WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

サキソフォン・コロッサス

2007年05月04日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 159●

Sonny Rollins

Saxophone Colossus

Watercolors0011_1  ソニー・ロリンズ畢生の名演にして誰もが最高傑作と疑わない1956年録音盤『サキソフォン・コロッサス』。

 信じられないことだが、私はこの大名盤を所有していなかった。ジャズをおぼえたての頃、何十回と繰り返し聴き、その後も折に触れて聴いてきたのだが、LPもCDも所有していなかったのだ。貧しい学生時代、貸しレコード屋(レンタルCDショップではない)で借りたLPをカセットテープ(TDKのADだ)に録音したものをずっと聴き続けてきたのだ。後藤雅洋『新ジャズの名演・名盤』(講談社現代新書)にはこの「サキソフォン・コロッサス」について次のような話が載っている。

「……しかし、これだけその存在が喧伝されてしまうと、"通"を気取るマニアはかえって手を出しかねて、何千枚ものコレクションを誇りながら、いまだにこの一枚を買いそびれているというウソのような話もある。確かにジャズファンにとっての「サキコロ」は、いい年をしたオジサンが漱石の『坊ちゃん』を買うような気恥ずかしさがついてまわる。」

 私もこのうちのひとりなのだろうか。"通"を気取っているつもりはないのだが、ブログにジャズの話題など書いているのだから、そう思われても仕方ない。ただ、実際には限られた資金でLPやCDを買うのだから、まだ聴いたことのないものを買いたかったというのが、本当のところだと思う。実は私にはそのようなアルバムが他にもいくつかあり、今回、ユニバーサル・クラシックス&ジャズからジャズ・ザ・ベスト超限定¥1,100 がでたということで、HMVのポイントも有効に使って、10枚ほど購入してみた。

 さて、CDで聴くしばらくぶりの『サキソフォン・コロッサス』。マックス・ローチのドラムの音が鮮度が良い。あれっ、マックス・ローチの存在はこんなにおおきかったっけ、と思わせるほどだ。そして酌めども尽きぬロリンズのアドリブ。昨日届いたばかりのCDなのだが、もう4回も通して聴いている。たまたま妻や子が実家に行っていることもあって、大音響だ。ジャズをおぼえたての学生時代のように、音の洪水に酔いしれる。音楽を聴くことの原初的な喜びが身体から溢れ出てきそうだ。友人と飲みにいくまでまだ1時間程ある。もう一回通して聴いてみようか。


ブルーノート盤ソニー・クラーク・トリオ

2007年03月24日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 145●

Sonny Clark Trio (BlueNote盤)

Watercolors0013  同じタイトルのアルバムの聴き比べ。昨日、記したように、ソニー・クラークには『ソニー・クラーク・トリオ』と題する作品が2つあり、タイム盤が全曲ソニー・クラークのオリジナル曲からなるのに対して、この1957年録音のブルーノート盤はスタンダード曲中心の構成である。ベースがポール・チェンバース、ドラムスがフィリー・ジョー・ジョーンズとマイルスバンドのリズムセクションということも興味深い。

 この印象的なジャケットのBlueNote盤は一応名盤ということになっていて、Jazz解説本には必ずといってよいほど登場する作品である。特に「朝日のようにさわやかに」の評価は高く、多くのJazz解説本は口をそろえて名演の評価を与えている。実際、私のもっているCDの帯にも、《 人気天才ピアニストがマイルスバンドのリズムセクションと残したピアノ・トリオの金字塔!これなしにジャズ・ピアノは語れない 》などと書かれている。しかし、ちょっと言い過ぎではなかろうか。いい演奏であることに異存はないが、いつも一方で、それ程だろうか、などと考えてしまう。Time盤に比べて、心にあるいは身体にじわじわと迫ってくるものがないのだ。「朝日のようにさわやかに」にしても、普通の意味で良い演奏であるが、他のミュージシャンの演奏にくらべてどこがすごいのかという点については、いまひとつピンとこない。高名な批評家の後藤雅洋氏は、その著書『新ジャズの名演・名盤』(講談社現代新書)の中で、《 パウエル派ピアニストの平均的fハードバップ・ピアノ・トリオという印象が強い 》と勇気のある発言をされているが、基本的にはその通りなのだと思う。

 後藤氏にならって勇気をもっていってしまえば、私にってはやはり、まあまあの作品である。しかし、名盤とは呼べないが、その悪くはない内容と、飾るべき価値のある印象的で素敵なジャケットによって、記憶に残る一枚だとは思っている。

タイム盤 Sonny Clark Trio


タイム盤ソニー・クラーク・トリオ

2007年03月23日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 144●

Sonny Clark Trio (Time盤)

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 麻薬中毒から心臓発作をおこし、1963年に31歳で死んだピアニスト、ソニー・クラーク。彼のレコードはアメリカではほとんど売れなかったらしい。後藤雅洋『新ジャズの名演・名盤』(講談社現代新書)には、人に聞いた話として、あるアメリカのジャズ関係者が来日した際、日本のジャズ喫茶ではウエイトレスの女の子がソニー・クラークの名前を知っているといって驚いたという話がのっているが、ソニー・クラークは本国アメリカより日本で人気のでたピアニストの代表といえるかもしれない。

 『ソニー・クラーク・トリオ』……、ソニー・クラークには、この同じタイトルの作品が2つある。1957年録音のブルーノート盤と、1959年録音の本作タイム盤だ。ブルーノート盤がスタンダード中心であったのに対して、タイム盤は全曲ソニー・クラークのオリジナル・ナンバーからなる。後藤雅洋氏は前掲書において、ブルーノート盤とタイム盤のどちらを好むかによって、微妙なファンの気質があらわれるとしているが、私としてはどちらかというとタイム盤である。彼独特のブルージーでよく歌うフレージングがより際立っているからである。

ひとつ不満をいえば、録音の古さもあるのだろうが、ピアノの音の明快さに比して、ベースの音がこもっているように聴こえることである。もごもごと口ごもり、肝心なことをはっきりいわないようなベースには、ちょっとフラストレーションがたまる。

BlueNote盤 Sonny Clark Trio


四丁目の犬

2007年03月13日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 138●

酒井俊     四丁目の犬

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 たまにおじゃまするプログkenyama's blogに最近「ジャズと新書ブーム」というエッセイが載っており、興味深く読ませていただいた。その中で紹介されていた岩浪洋三『ジャズCD必聴盤! わが生涯の200枚』(講談社+α新書)という本を先日たまたま書店で見つけぱらぱらとめくってみたところ、私の大好きなシンガー酒井俊の『四丁目の犬』のレビューを発見し、たいへん嬉しい気持ちになった。

 酒井俊の『四丁目の犬』、2000年のライブの録音盤である。しかし、何というジャケットなのだろう。買うものを拒絶するような写真である。コアなファンでなければ手に取ることさえためらうかもしれない。凡そジャズにまつわる作品だとは誰も思わないだろう(酒井本人はそんなことはどうでもいいだろうか……)。しかし、内容は充実している。名曲「満月の夕べ」をはじめとして、名曲・名唱と呼びたくなる楽曲が満載である。ジャズファンはともすれば、頭でっかちの教養主義やそれへの反動としての偏狭なマニアになりがちであるが、酒井の歌は本来的に音楽がもっている喜びを思い起こさせてくれる。特に、近年の酒井俊は、ジャズというジャンルに閉じこもることなく、音楽の原初的な喜びを希求して、積極的に外へ外へと自らを開いているようにみえる。実際、彼女のライブを何度か見たことがあるが、そのレパートリーはジャズのスタンダードはもちろん、映画音楽からトム・ウエイツやジョン・レノン、果ては童謡や美空ひばり・越路吹雪にまで及び、特定のジャンルに自閉することがない。演歌であろうが民謡であろうが、自らが表現の必然性を感じたものは積極的に取り上げるといったスタンスである。気分がのれば、マイクをつかわずに本物の生の声を披露してくれるのも好ましい。声が空気を伝わって聞こえてくる感覚にはたまらないものがある。酒井が《歌を歌う》ということを真摯に追い求めていることの証であろう。

 私は、酒井俊を現代の日本を代表するシンガーのひとりだと認識しているのだが、『四丁目の犬』は、今のところ酒井の最高傑作だと考えている。とくに、名曲「満月の夕べ」はいくつかのバージョンがあるが、このアルバム収録のものはその白眉といってもいいのではなかろうか。いつ聴いても引き込まれ、感動を余儀なくされる演奏である。

 酒井俊や「満月の夕べ」については、以前記事にしたことがあるので、そちらを参照されたい。

[関連記事]

酒井俊という歌手

変化を恐れない酒井俊に拍手


ソードフィシュ・トロンボーン

2007年03月12日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 137●

Tom Waits     Swordfishtrombones

Watercolors0004_5  私の住む街では今日一日雪だった。といっても、そんなに積もったわけではないが……。毎年思うのだけれど、雪の日には暖かい部屋で、雪景色でも見ながら、一杯やるに限る。そう考えて飲んでいたら、やや深酒してしまった(いつもだが……)。おまけに、CSの日本映画専門チャンネルでたまたまやっていた映画『トニー滝谷』を見て、妙にしんみりした気分になり、もう少し酔いたい気分になってしまった。そんな心持ちでしばらくぶりに取り出したのが、酔いどれ詩人トム・ウエイツだ。

 トム・ウエイツの1983年リリース作品『ソードフィシュ・トロンボーン』。数あるトム・ウエイツの作品の中でも私が最も好きな、かつ印象深く忘れ難いアルバムである。考えてみれば、このアルバムが真にリアルタイムで聴いたトム・ウエイツの最初の作品である。全編が素晴らしい。ただ、そのメロディーと詩に酔いしれるのみである。しかしやはり、⑥活気のない町、⑦イン・ザ・ネバーフット、⑫兵士の持ち物、などは格別である。メロディーが琴線に触れ、卒倒しそうである。そして、物悲しく美しいインストロメンタル曲⑮レインバーズで終わる構成は秀逸である。伝えたいこと、伝えるべきことをインストロメンタルで暗示して作品は唐突に終わる。

 1980年代前半、貧乏学生の私はこのアルバムを何十回聴いたことだろう。アルバイトで稼いだ小銭をもとでに、この作品を録音したテープをポケットに入れ、よくバーにいったものだ。安酒をなめながら、青臭い議論をした。背後にはいつも持参のこのアルバムが流れていた。

 1983年……、我らが時代……。


タル

2007年02月25日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 128●

Tal Farlow     Tal

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 タル・ファーロウの1956年録音盤(verve)。白人モダン・ギタリストの最高峰といわれるタルの快作だ。

 どうでもいいことだが、「白人モダン・ギタリストの最高峰」という言い方が嫌いだ。似たような言葉に「白いバド・パウエル」(=クロード・ウイリアムソン)とか「女バド・パウエル」(=穐吉敏子)などというのがある。スポーツ界でも「白いペレ」(=ジーコ)などというのが思い出される。素直な褒め言葉には思われない。白いペレとはいっても、黒いジーコとは誰も言わないからだ。留保された言い回しだ。タル・ファロウの、「白人モダン・ギタリストの最高峰」という言い方に関しても、それから「白人」の語が取れたものをあまり見たことがない。

 いい作品だ。ギターという楽器であくまでシングルトーンで勝負する姿が潔い。ブルージーとかリリカルとかいった修飾語が必要ない、あるいはそれを拒否するかのような、シングルトーンギターによる直球勝負である。じっくりと演奏を聴きたくなる一枚である。ギター、ピアノ、ベースというシンプルな編成も好感が持てる。過剰なものがなく、ただただモダンなギター演奏を聴くアルバムである。過剰なものといえば、奇才エディ・コスタのピアノとヴィニー・バーグのベースが妙に存在感があるということだろうか。さりげないが、この異様な存在感は一体何なのだろうか。


ソロ・オン・ヴォーグ

2007年02月22日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 127●

Thelonious Monk     Solo On Vogue

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 西洋音楽の平均律の権化であるピアノという楽器を使って、その不協和音の響きにより、ピアノという楽器の支配を脱出すること、それがセロニアス・モンクという人のめざしたテーマであることは周知の通りである。

 1954年録音の『ソロ・オン・ヴォーグ』。そんな小難しいことを考えなくても十分楽しめる作品である。訥々とした演奏が時代を感じさせるモノラル録音によって一層引き立っている。私としては、モンクの作品の中でも五指にはいるものと考えている。

 モンクは、一般に気難しい人と思われているようだ。実際そうだったのかもしれないし、そうではないかもしれない。ただ、少なくてもいえることは、このアルバムにおけるモンクの演奏は、歌心に溢れ、音楽を愛する心に満ちているということだ。


チック・コリア風味のスタン・ゲッツ

2007年02月06日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 126●

Stan Getz     Captain Marvel

Watercolors0004_2 しばらくぶりのスタンゲッツ。1972年録音の『キャプテン・マーベル』だ。

 Stan Getz (ts)

  Chick Corea (el-p)

  Stanley Clarke (b)

  Tony Williams (ds)

  Airto Moreira (per)

 あのかもめジャケットのReturn To Forever の一ヵ月後に録音されたこの作品は、チック好みのラテン色溢れるナンバーをゲッツが料理していくという趣向だ。曲目も① La Fiesta やオリジナル盤にはなかった⑦ Crystal Silence などReturn To Forever のアルバムとダブるものもあり、メンバーもチックのほか、スタンリー・クラークやアイアート・モレイラなどReturn To Forever のメンバーが起用されているのが興味深い。チックがエレクトリック・ピアノを使ってReturn To Forever ばりの演奏を展開し、ゲッツがそれにどう応じるかが聴きどころだ。

 私は好きだ。結論だけいうなら、やはりスタン・ゲッツはすごい。フュージョンまがいのサウンドにもきちんとレスポンスし、それでいてゲッツ自身の特色を失うことはない。相手に合わせつつも、言うべきことはきっちりいわせてもらうといった感じだ。名曲⑦ Crystal Silence などReturn To Forever のものを聴きなれた耳には違和感を感じるが、聴き込むにつれ、それとは違った深い落ち着きのある音色に魅了される。

 


元気印のソニー・スティット

2007年01月04日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 110●

Sonny Stitt    

Plays Arrangements From The Pen Of Quincy Jones

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 ソニー・スティットの1955年録音盤『ペン・オブ・クインシー』。全編クインシー・ジョーンズの編曲で、11人の小編成オーケストラをバックにスティットが吹きまくるという趣向である。

 スティットはチャーリー・パーカーのそっくりさんといわれ、パーカー存命中はもっぱらテナーを吹いたりしていたようだ。

 彼のプレイを聴いていていつも感じるのは、元気がいい音だということだ。スウィンギーな曲はもちろん、バラードプレイにおいても圧倒的に元気がいい。われわれ日本人は、バラードというと「陰影感」とか「情感」などというものを求めるのだが、まったく異なる次元のバラードだ。スティットのプレイに情感がないというのではない。われわれ日本人が求めるような陰影に富んだ情感はないということだ。スティットはどこまでもストレートに音を出してゆく。音は概して強く、しっかりとしている。それは原色の油絵を思わせ、日本的な墨絵のような趣は一切ない。

 ① My Funny valentine 、私が知っているこの曲の演奏の中で、最も印象的なものといっても過言ではない。一音目から張りのある、強い、元気な音である。もちろん彼なりの情感をこめた演奏ではあるが、むしろ感じられるのは曖昧さを許さないようなはっきりとした意志だ。論理的な音といってもいい。スムーズなアドリブにすべてをかける彼にとって、もちろん褒め言葉である。

 ソニー・スティット……、元気なバラード……。


ソニー・ロリンズの「橋」

2006年10月22日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 72●

Sonny Rollins     The Bridge

Scan10003_4  ① God BlessThe Child がたまらなく好きだ。何というか「深遠」を感じる。コルトレーンとは異なり、ロリンズにしてはめずらしいことだ。あまりに才能がありすぎて、「深遠」とか「苦悩」とかの余分なものをその演奏から感じさせることはほとんどないのだ。彼が吹く音はそれ自体すでに美しい響きであり、流麗なアドリブはそれ自体が音楽である。そこには音楽だけがあり、余分なものは一切付随していない。

 しかし、彼自身に苦悩がないかといえば、もちろんそんなことはない。周知のように、ロリンズは絶頂期に3度も突然の引退(失踪)を行っている。才能がある人ゆえに、自己の演奏とセルフイメージとの乖離を感じると納得できなくなるのだろう。このアルバムは彼の2度目の引退の後に発表されたものだ。この時の引退は約2年間の長期に及び、ロリンズは真に納得できるサウンドを獲得するため、ウィリアムズバーグ・ブリッジの歩行者専用道路で空と川に向って求道者のような形相でただひたすらサックスを吹き続けていたという。すごい話だ(だからジャズはすごい)。

 『橋』には、その修行の面影を感じされる「深遠」さがあり、同時に何か吹っ切れたような音楽の喜びがある。そもそも『橋』というタイトルがいいではないか。単純な私は、前述の引退の逸話を考えた時、そのタイトルの素敵さに感涙むせぶ程である。

 ロリンズはほぼ同時期に活躍したジョン・コルトレーンとよく比較されるが、和田誠・村上春樹『ポートレート・イン・ジャズ』になかなかいい表現があるので引用しておきたい。「僕は思うのだけれど、ロリンズには『戦略』というものが基本的になかったのではないか。テナー・サックスを手にマイクに向って、曲を決めて、そのまま頭から見事に『脱構築』を成し遂げてしまう。これはやはり天才にしかできない所業だろう。コルトレーンはテキストをひとつひとつ積み上げて、階段を上るように、あくまで弁証法的にアナログ的に音楽を作りあげていった。」

 文系・ロリンズと理系・トレーンというわけだ。


スウィート・ジャズ・トリオ”ライブ”

2006年10月06日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 62●

SWeet Jazz Trio     "Live"

Scan10020_1   今夜は嵐だ。この嵐が終わればいよいよ秋めいてくるのだろう。

 ここ数年、秋によく聴くアルバムがある。Sweet Jazz Trio の"Live"である。Sweet Jazz Trioは、コルネット、ベース、ギターという編成のトリオだ。この編成がなかなかいい。ドラムがないことによって、サウンドがスムーズに流れ、柔らかで温かいニュアンスをかもし出している。これからだんだん寒くなっていく秋という季節にうってつけのアルバムのような気がする。温かいココアやコーヒーを飲みながら聴きたい。というわけで、わたしもビールをやめて、温かいコーヒーを飲みながら聴くことにした。近所のコーヒー店で買ったモカ・イディドだ。うまい。香りも良い。

 「温かくて優しくてせつなくてお洒落」……。帯の宣伝文句がよく作品を表している。ソフト&メロウなサウンドだが、耳ざわりが良いだけのいわゆる「きれい系ジャズ」ではなく、一本しっかりとした芯が通っている。これからはじまる秋の夜長を今年も共に過ごすことになりそうだ。


セロニアス・モンクのミステリオーゾ

2006年09月24日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 55●

Thelonious Monk     Misterioso

Scan10020  有名盤である。例えば、たまたま手元にある『ジャズ喫茶マスター、こだわりの名盤』(講談社+α文庫)の中で新宿 JAZZ PUB MICHAUX 店主の御正泰さんも自分の好きなモンクのベストレコードとして紹介している。ところがなぜか私のモンクコレクションにはなく、やっと最近購入した一枚だ。わたしが買ったのは、Jazz紙ジャケ十八番シリーズ。

 一聴して、私も自分の好きなモンクのベストレコードといいたくなった。1958年録音のこの『ミステリオーゾ』は、ファイブ・スポットでのライブを収録したもので、くつろいだライブの雰囲気がよく伝わってくる。

 モンクの個性的な訥々としたピアノに、ジョニー・グリフィンの流麗なテナー・サックスがよくマッチしている。モンクの音楽は、モンクの音楽としかいいようのない個性的な語り口のため、中には敬遠するむきもあるが、この作品なら多くのファンが自然体で聴くことができ、しかもモンクの個性を十分に味わうことができるのではなかろうか。

 不協和音と独特のタイム感覚が特徴のモンクの音楽は、いったん好きになるとクセになってしまうらしく、かつて私もモンクばかり聴いていた日々があったことを思い出す。またモンクを集中的に聴いてみようかなどと思わせる一枚である。


サラ・ヴォーンのアフター・アワーズ

2006年09月17日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 49●

Sarah Vaughan    

After Hours (Roulette盤)

Scan10008_11  サラ・ヴォーンにはAfter Hoursという名のアルバムが2枚ある。一つはコロムビア・レーベルのもので、1949年~1952年に録音したものからセレクトした企画物であり、もう一つは1961年に録音されたこのルーレット盤である。

 伴奏はギターとベースのみであり、それゆえ、全体がリラックスした雰囲気で、サラの情感豊かなボーカルもより際立って聴こえる。オーケストラをバックにした演奏も迫力があって素晴らしいが、こうしたシンプルな編成は、歌が本当にうまいのかどうかがわかってしまう恐ろしさがある。こんなことは周知のことだが、サラ・ヴォーンはブルース・フィーリングだけの歌手では決してない。

 エラ・フッツジェラルドとジョー・パスのやつもそうだが、ボーカルとギターの組み合わせは不思議な暖かさがある。一杯やりながら(いつもだが……)、リラックスして聴きたい一枚である。


トム・ウェイツのスモール・チェンジ

2006年09月16日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 48●

Tom Waits     Small Change

Scan10007_12  3連休だ。そのうち2日間は久々の完全オフだ。そんなこともあって、今日はちょっと調子に乗って飲みすぎた。そうだ、トム・ウェイツを聴こうと思ったのは、たまたま流していたFM放送でトム・ウェイツがかけられたからだ。このCDを再生装置のトレイにのせるのは、何年振りのことだろう。

 1976年録音の「スモール・チェンジ」。初期トム・ウェイツの代表作の一つだ。傑作の誉れ高いデビュー作はフォーク色が強かったが、この頃になると、明らかにジャズっぽいサウンドになる。よくみてみると、なかなか味のあるSAXはルー・タバキン、ドラムスもシェリー・マンではないか。意外なことだが、今ではビック・ネームのトム・ウェイツも初期の頃はセールス的にはまったくだめだったらしい。このアルバムがはじめてトップ100にはいったアルバムだ。

 トム・ウェイツはよく「酔いどれ詩人」などといわれるが、本当は酒が飲めないらしい(噂)。にもかかわらず、そうした言い方をされるのは、ビートやスピードの自由な感覚が、酔っ払いの生理的なリズムに合うのだろう。しかも、どんなに嗄れ声で歌おうと吼えようと、曲の背後にいつも美しい歌心があるのを感じることができる。かくいう私も、今聴いていて実に気持ちがいい。身体がビートに反応してスウィングし、歌を口づさんでしまう。

 トム・ウェイツの書く曲は、多くのミュージシャンにカバーされることも多く、ほとんどスタンダード化している作品もあるが、このアルバムでも素敵な曲が随所にちりばめられている。① Tom Traubert's Blues や ③Jitterbug Boy、 ④ I Wish I Was In New Orleans、あるいは⑤ The Piano Has Been Drinking (Not Me)、 ⑥ Invitation To The Blues などは涙なくしては聴けないほど素敵なメロディーだ。

 今夜はもう少し酒を飲むことになりそうだ。


スタイル・カウンシルのカフェ・ブリュ

2006年09月15日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 47●

The style council     Cafe' Bleu

Scan10007_11  恐らくは、私がロック的な音楽をきちんと聴いた最後のものである。その意味で青春の一枚である。調べてみると、1984年の作品だ(もつと以前だと思っていたが……)。当時、私の関心はすでにジャズに移っており、ロック的なものを聴くことはほとんど無かったが、たまたま知人に薦められて好きになったのだ。かなり聴きこんだ作品といってもいい。

 それにしても、あのパンクバンド、ジャムポール・ウェラーがこのようなサウンドを作り上げるとは驚きだ。ジャムも好きなバンドではあったが、スタイル・カウンシルのサウンドは次元が違う。ゴスペルやジャズの要素をふんだんに盛り込んだ、大人のトータル・ポップとでもいおうか。シンプルなサウンドだが、味わい深い音楽だ。たいへんおしゃれなサウンドであるが、毒やスピリッツをちゃんともっている。もうロックやポップに見切りをつけて聴かなくなってしまった私が思うのだが、スタイル・カウンシルの音楽は、もうこれ以上は発展しないというロックやポップの最終的な進化型ではなかろうか。セックス・ピストルズのジョン・ライドンは「ロックは死んだ」と語ったが、スタイル・カウンシルの音楽は最後に咲いた花と言うべきなのではないだろうか。

 それにしても、スタイル・カウンシル以降、いろいろなロックやポップのミュージシャンが現れたのだろうが、たまにラジオで接しても全くつまらなく、聴く気さえおきない。

 スタイル・カウンシルの「カフェ・ブリュ」、名作である。