WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

聖なる館

2009年02月09日 | 今日の一枚(K-L)

◎今日の一枚 227◎

Led Zeppelin

House Of The Holy

048

 先日、NHKで「ロック黄金時代」なる番組の3話分一挙放送をみた。ゲストコメンテーターや一般参加者が自分たちの好きな60~70年代のロックについて語り合うという趣向だった。内容はいまいち濃いものではなかったが、ある時期同じような音楽を共有したいわば"共犯関係"のような奇妙な連帯感を楽しむことはできた。冒頭から、ピンク・フロイドが話題の中心になるあたりがなかなか良かったが、第2話のスーパーロックギタリスト特集でしばらくぶりにジミー・ペイジの名を聞き、無性に聴きたくなった。

 レッド・ツェッペリンは好きだった。少なくとも、ディープ・パープルなどより遥かに音楽性が高いと考えていた。ただ、ギター少年としてジェフ・ベック派を自認していた私は、ジミー・ペイジの良い聴き手ではなかったかも知れない。しかし、印象的でかっこいいリフやギターソロのドラマチックな構成など、ペイジのギターには魅了されたものだ。 番組中、萩原健太氏がペイジはベックやクラプトンに比べてギターテクニックとしてはワンランク落ちる旨の発言をしていたが、そうなのだろうか。よくわからない。ただ、ペイジの企画力・構成力・発想力が優れているという点は納得できる。また、ツェッペリンでの成功が強烈な印象となり、その後のギタリストとしての展開・発展のさまたげになったという点もその通りだろう。それほどにまで、ツェッペリンにおけるペイジのギター・プレイは印象的である。

 ツェッペリンの多くの名盤の中から私がターンテーブルにのせたのは、1973年作品、『聖なる館』だ。ペイジのギターを思い起こして真っ先に頭に浮かんだのは、「レイン・ソング」だったからだ。「レイン・ソング」……。美しい曲だ。全編がペイジの印象的で美しいギターを中心に構成されている。アコースティックギターをも駆使したペイジのプレイが曲の骨格となり、演奏を引っ張っていく。ボーカルは完全に脇役である。少なくとも、サウンドを構成する1パートに過ぎない。聴き終って、耳に残り口ずさみたくなるのは、ボーカルではなくペイジのギターだ。このようなギターを弾くペイジが私は好きだ。リッチー・ブラックモアには決して弾くことができないギターだ。ベックやクラプトンにも無理だろう。

 ロックを聴かなくなって数十年だが、「レイン・ソング」の美しいサウンドは今も私の耳に残っている。ギターの展開を今でもほぼ正確に口ずさめるほどだ。しばらくぶりに聴いた「レイン・ソング」だが、やはり私の期待を裏切らなかった。最初の一音を聴いただけで、心がとろけそうになる。いいものはいい、などという感情的な物言いは私の性には合わないのだが、少なくとも、いいものは決して色褪せないということを証明するような一曲である。