◎今日の一枚 242◎
Art Pepper & George Cables
Goin' Home
ジャズと出会った時の話をしよう。もう三十年近くも前の話だ。大学の同じ学科に通う先輩によくジャズ喫茶に誘われた。その先輩がなぜ僕を選んだのかはわからない。彼は週に2~3度は僕を誘った。渋谷にある大学から近い、「音楽館」や「ジニアス」、「ジニアスⅡ」という店がよく連れて行かれた場所だった。別に嫌ではなかった。大学からジャズ喫茶までの道を歩きながら聞く彼の話は、僕にとってとても興味深いものだったし、僕は基本的にその穏やかな性格の先輩が嫌いではなかった。我々が専攻していた日本中世史についてのいろいろな知識や、最近読んだ論文や史料のこと、学界の動向などが彼の話の内容だった。きっと僕はまじめなタイプだったのだろう。
けれども、ジャズ喫茶というところはいただけなかった。耳に立ち直れないほどのダメージを与える大音量、アドリブという名の意味不明の旋律、自分だけがそれを理解しているといった鼻持ちならない客たちの雰囲気。僕にはまったく理解不能だった。経済的にも社会的にも文化的にも、ジャズ喫茶というものが存立しているということ自体が大きな疑問に感じられた程だ。僕は先輩の手前、まるで修行僧のようにじっとそれに耐え続けた。じっと、じっとだ。帰りの扉を開けたときの解放感と静寂はたまらないものだった。
ジャズは突然わかるのだろうか。ある10月の昼さがり、神保町の古本屋街を歩き疲れ、僕は「響」というジャズ喫茶に入った。心も身体もぐったりとしていた。女の子のことや学問のこと、経済的なこと、僕はいくつかの精神的なトラブルを抱えていた。この世界のあらゆる重石が乗りかかってきたような気がした。僕は硬い椅子に腰掛け、ビールを注文し、煙草をつけた。ビールが冷たかった。音楽が聞こえてきた。ART PEPPERとGEORGE CABLESの1982年録音作品『GOIN’HOME』。ペッパーの晩年を支えたピアニスト、ジョージ・ケイブルスとのデュオ作品であり、ペッパーの遺作となったものだ。涙があふれてきた。なぜだか涙がとまらなかった。僕は周りの客に覚られないように涙をぬぐい、じっとそれを聴いた。優しくすべてを赦し、包み込むようなアルトやクラリネットの音色だった。PEPPERとCABLESの息遣いが、そしてその会話するような駆け引きが、手に取るようにわかるような気がした。
それがジャズがわかったということなのかどうかはわからない。けれど、以来、ずっとジャズを聴き続けている。結構なお金と時間を費やしてきたように思う。そういう意味では、それが良かったのかわからない。20年後あるいは30年後、僕はジャズを聴き続けているだろうか。たぶん聴き続けているだろう。そのためのお金と時間を浪費しながら。大切なものを得るためには、何かを犠牲にしなければならないのだ。
ところで、僕はその先輩の名前をどうしても思い出せない。僕にジャズを教えてくれた僕の先輩。彼はある日突然、キャンパスから消え去ってしまった。噂では父親の町工場の経営が悪化し、大学を辞めたのだという。以来、彼とはずっと会っていない。彼を探し出す方法もあったのかもしれないが、僕はそうはしなかった。そんな自分を、そして彼の名さえ思い出せない自分を、僕はときどき嫌な奴だと思うこともある。けれども、大切なことをどうしても思い出せないこともあるのだ、と今は思う。
このアルバムを聴くたびに、名前を忘れてしまった先輩のことを思い出す。それは自分の出発点であり、戻るべき場所のような気がする。Goin' Home、家に帰る……、不思議なタイトルだ。