人間というのは不思議なもので、自分達のやっていることが、ひとつの力となって高められてくると、前後が見えなくなり、わけもなくその坩堝のなかに入りこんでしまうものです。そんなときに、これは危ない、と感じる人はごくまれです。それがわかる人は、やがて、人間のまいにちのごく平凡な生活に目を戻し、あの坩堝は危なかった、と歩いてきた道を振り返るものです。(『きぬた』)
『きぬた』の終りの方にでてくる言葉です。ほとんど人生訓ですが、それでもなかなかに含蓄のある言葉であり、私などはときどき思い出します。
人間というのは不思議なもので、自分達のやっていることが、ひとつの力となって高められてくると、前後が見えなくなり、わけもなくその坩堝のなかに入りこんでしまうものです。そんなときに、これは危ない、と感じる人はごくまれです。それがわかる人は、やがて、人間のまいにちのごく平凡な生活に目を戻し、あの坩堝は危なかった、と歩いてきた道を振り返るものです。(『きぬた』)
『きぬた』の終りの方にでてくる言葉です。ほとんど人生訓ですが、それでもなかなかに含蓄のある言葉であり、私などはときどき思い出します。