WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

いまを生きる

2014年08月15日 | 今日の一枚(O-P)

●今日の一枚 374●

Pat metheny

Watercolors

 

訃報に接した。俳優のロビン・ウィリアムスが亡くなった。自殺だったらしい。好きな役者だった。

 若い頃、「いまを生きる」(1989)に魅了された。全寮制の名門校に赴任した教師の話だ。厳格な規則に縛られて生活する生徒たちに対して、ロビン・ウィリアムス扮する教師は、詩の素晴らしさや、生きることの素晴らしさについて教えようとし、生徒たちも次第に目覚めていく。印象的だったのは、授業中に突然教卓の上に立って「私はこの机の上に立ち、思い出す。つねに物事は別の視点で見なければならないことを。ほら、ここからは世界がまったく違って見える」と語り、生徒たちを同じように教壇に立たせるシーンだ。

 私も、そのような教師になりたいと思っていたのだ。生徒を教卓の上に立たせる教師にではない。物事を別の視点から考えさせることのできる教師にだ。1980年代の後半、私は愛知県の定時制高校に新任教師として赴任した。荒れた学校だった。学校を立て直すべく、教師たちが奮闘している最中だった。私はまだ、授業技術も、生徒指導技術もなかったが、心優しき先輩教師たちの力を借りながら、文字通り身体を張って頑張った。傲慢ないい方だか、学校を、そして生徒たちを自分の力で立て直したいと思った。独りよがりで力まかせだったが、情念のようなものだけはあったのだ。いろいろな経験をした。うまくいったことも、いかなかったことも、そして失敗も含めて、その後の教師生活で経験しないようないろいろなことだ。教師たちの努力の甲斐もあって、数年で学校は落ち着いた。私の力など微々たるものにすぎなかったが、そのような教員集団の中にかかわれたことは大きな経験となった。ステレオタイプで固定的にものを考える傾向のある暴走族出身の「不良生徒」たちにとって、別の視点で物事をみるスタンスは意表をつかれるものだったらしく、しばしば生徒たちと対立し、そして和解した。議論はしばしば白熱し、あるいは時に混乱した。思考をぐるぐるかき回すことはできたと思う。私の原点である。

 パット・メセニーの1977年録音作品『ウォーターカラーズ』は、そのころよく聴いたアルバムだ。日々の仕事に疲れた心身を補正するため、よく琵琶湖までドライブしたものだ。晴れ渡った青空をうけていぶし銀のように輝く琵琶湖の湖面はほんとうにきれいだった。中古のシティーターボの、あまり音の良くないカーステレオからは、BGMのようにこのアルバムが流れていた。水面を音が飛び跳ねるような、瑞々しいサウンドだ。今聴いても新鮮である。⑤ River Quay に心がウキウキする。メロディーを口ずさみながら、湖岸を走る情景がよみがえるようだ。

 以後の私が、十分にロビン・ウィリアムス扮する教師のようであったかどうかは自信がない。けれども、50歳を過ぎたいまでもそうありたいと思っている。退職までもうそう多くの時間があるわけではないが、まだできることはあると思っている。