◎今日の一枚 496◎
Miles Davis
Four And More
『三島由紀夫 VS 東大全共闘 50年目の真実』をDVDで見た。1969年5月3日、駒場キャンパス900番教室で行われた、三島由紀夫と1000人を超える東大全共闘の学生による公開討論会のドキュメンタリー映画である。なかなか、いや、かなり面白かった。言葉が言葉として通じていると思った。なかでも、三島の他者の言葉を聴く力がすごいと感じた。
出演者のコメントでは、内田樹と平野啓一郎のものが核心を突いているように思えた。橋爪大三郎のものは、残念ながら、後付けの自己弁明的な言葉に思えた。討論の中での、芥正彦という人が痛々しかった。批判や軽蔑ではない。むしろ、ある種のシンパシーである。アイデンティティーという概念や記号学という武器なしに、素手で社会や文化を、根源的に論じようとする姿が痛々しかったのである。それは高度に抽象的で観念的な思考だったが、生産という言葉を吟味せず、議論を生産関係論へ転換させようとする学生より、ずっと真摯で誠実で根源的な問いに思えた。ただ、芸術的表象に関心をおく芥と、思想に関心をおく三島の議論は、かみ合わず、芥はそれにイライラしているように見えた。人は見たいように見るのである。ただ、芥がその後の人生で自らの思考を問い続けてきたことだけは確かなように思える。
全体的に、面白い作品だったが、欲をいえば、討論の場面の三島と学生の言葉ををもっと聞きたかった。最近、耳が衰えた所為か、はじめテレビの音声が聞き取りにくかったが、ネックスピーカーを使うとで音声がクリアに聞こえ、時間が過ぎるのがあっという間だった。
ピュアだが、現在とは違った意味でハードな時代だったのだと思う。根源を問われるという意味においてだ。私の時代に、アイデンティティーの概念や記号学や構造主義というツールがあって良かったと思う。でなければ、強度のない人は、錯乱するか自殺してしまったかもしれない。
宣伝文では、タレントのYOUの次の言葉が印象深かった。
108分間。彼等の言葉と熱に圧倒され続けた。生きる考える行動をする意味が明確に与えられた時代。承認欲求に溺れるような真逆の50年後。同じ場所とは思えない。
今日の一枚は、マイルス・ディヴィスの『フォア・アンド・モア』である。1964年のニューヨーク、リンカーンセンターでの実況録音盤である。
Miles Davis(tp)
Herbie Hancock(p)
George Coleman(ts)
Ron Cater(b)
Tony Williams(ds)
スピード感とドライブ感がいい。60年代のマイルスのサウンドに決定的な影響を与えているのは、実はトニー・ウィリアムスのドラミングなのだ、と私は以前から思っている。
東大全共闘には、60年代のマイルスが似合う。それは、速度と強度と孤独に関係しているように思う。