WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ローランド・カークのドミノ

2006年08月26日 | 今日の一枚(Q-R)

●今日の一枚 34●

Roland Kirk     Domino

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 20年ほど前『名演Modern Jazz』(講談社) という本で故・景山民夫の紹介文によって、ローランド・カークというマルチ・リード奏者を知り、このアルバムを購入して以来、ずっとローランド・カークの音楽が大好きだ。

 盲目の人である。なんでも幼い頃看護婦の手違いで目が見えなくなったらしい。晩年には、脳溢血のため半身不随になり、それでも演奏を続けていたとのことである。きっと、カークにとって音楽こそが世界とかかわる唯一の手段だったのだろう。

 テナーとアルトとバリトンを同時にくわえて吹いたり、フルートやマンゼロにもちかえたり、果てはホイッスルを鳴らしたりと一見キワモノ的な演奏をする男である。が、あのジャズ喫茶「いーぐる」の後藤雅洋さんも

重要なのは、ローランド・カークの演奏技術が彼の音楽表現と不可分に結びついているということであり、決してテクニックのためのテクニックではないという点なのだ。その証拠にカークは、この奏法をのべつまくなしに披露するわけではなく、よく聴いていればわかるが、音楽的に必要と思われるところでしか使用することはない。」とか「ここで重要なのは、それが二人の演奏者がそれぞれテナーとマンゼロを吹いたのでは絶対に表すことができない表現力を獲得している点なのだ。」(『Jazz Of Paradise』Jicc出版局)

 と述べているように、レコードやCDを聴いていてもキワモノ的・見世物的な印象は一切ない。実際、私がカークの音楽を初めて聴いた時の印象も、楽器が不思議に気持ちの良いハモリ方をするなというものであった。

 比較的ポップな曲からなるアルバムDomino は、大好きな一枚だが、しばらくぶりに再生装置のトレイにのせた。アルバム全体を貫く疾走感がたまらない。アドリブはよどみなく流れ、楽器の響きは哀愁を感じさせる。バラード演奏でもないのに、聴いていて涙がでそうになる。聴き終わったあと、何か軽い喪失感のようなものが漂う不思議なアルバムである。


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