WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

八幡神と応神天皇

2021年06月10日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 511◎
Michael Franks
Sleeping Gypsy

 「王朝交替説と応神天皇」(→こちら)の続きである。
 宗教学者の島田裕巳のいくつかの著書は、応神天皇について興味深い知見を提供している。それは例えば、八幡神との関係についてだ。
 八幡神は、『古事記』にも『日本書紀』にも登場しない神である。その点で、日本土着の神ではないともいえる。ところが、八幡神を祀る神社の数は、圧倒的に日本で第一位である。皇祖神といわれる天照大神を祀る神社をはるかに凌駕する。この八幡神が応神天皇の霊であるとする伝承があるのだ。それゆえ、八幡神は、天照大神に匹敵する皇祖としての地位を確立することになる。例えば、石清水八幡宮に勧請された当初から、八幡神は「皇大神」と呼ばれており、古代・中世以来、歴代天皇は伊勢ではなく石清水を行幸している。石清水への行幸が240回に及んだのに対して、伊勢へは皆無だった。
 ところで、応神天皇の父である仲哀天皇は、実質的に天照大神に呪い殺されたといえる。この時、仲哀天皇の皇后であった神功皇后は妊娠しており、生まれた子こそ応神天皇なのである。この応神天皇と習合した八幡神が、その後天照を凌ぐ勢いを見せ、勢力を拡大した武士にも信仰される神となったことについて、島田裕巳氏は、「応神天皇による敵討ちではなかったのだろうか」「八幡神は、皇祖神としての天照大神の地位を簒奪したともいえる」と述べている。傾聴に値する見解であろう。
 応神天皇とは、実に興味深い存在である。

 今日の一枚は、AORの推進者、マイケル・フランクスの『スリーピング・ジプシー』である。1977年作品である。
Joe Sample(p)
Wilton Felder(b)
John Guerin(ds)
Larry Carlton(g)
David Sanborn(as)
Michael Brecker(ts)
Ray Armand(per)
Joao Palma(ds)
Joao Donato(p)
Helio Delmiro(g)
 名曲「アントニオの歌」を含むアルバムである。「アントニオの歌」はいい曲だ。ただ、あまりに聴いたせいか、聴き飽きしてしまった感がある。改めてこのアルバムを聴きなおしても、その曲だけ特別な感じはしない。特筆すべきは、やはりアルバム全体を貫く、ジャージーでメローな雰囲気である。今聴いても、あるいはポピュラー・ミュージックが型にはまってしまった感のある現代だからこそ、新鮮に響く。
 思えば、ブルース・ロックやハード・ロック一色だった若造の私にとって、AORとの出会いは、ある種の袋小路から目を開かれた契機だったように思う。





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