●今日の一枚 83●
Rahsaan Roland Kirk
The Inflated Tear
「溢れ出る涙」。ちょっと恥ずかしいが、私はこういう浪花節的な言葉に弱い。しかも盲目で半身不随の天才サックス奏者の演奏ときている。それだけで、聴く前から興奮してしまう。そして、① The Black And Crazy Blues を聴いた瞬間、興奮ははやくも頂点に達してしまう。感動的なブルースだ。The Black And Crazy Blues というタイトルがこれほどぴったりの演奏はなかろう。文字どうり、涙が溢れ出そうだ。そして⑤ The Inflated Tear の深い悲しみを背景したような不思議なハーモーニーの響き。単純な私は、そこに「人生」や「苦悩」や「情念」あるいは「孤独」や「悲哀」や「根源的な哀しみ」を見出そうとしてしまうのだが、本当はそんな陳腐な概念が吹き飛んでしまうような種類の独自の世界なのだと思う。
1967年の録音盤だ。私のもっているのは輸入盤でオリジナルのものとジャケットが違うのだが、もう20数年間もこのCDを繰り返し聴いているので、新しい音のいいやつを買おうという気持ちがおきない。
ところでちょっと話がそれるが、最近よく使っているBOSE社のWBS-1EXⅢというCDレシーバーだとこの古いCDがうまくかからないのである。CDが認識されず、再生できないのである。手軽に使え、しかも中音域が比較的鮮明で、結構気に入っているステレオ装置なのだが、残念である。BOSE社のこの製品についてはネットでもいくつかの不具合の報告があり、実際私のものにもいくつかの不具合があるが、この製品はなぜか突然生産中止になっており、BOSE社への不信感はつのるばかりである。CDの方も最近はやりのデジタル・リマスタリング24ビットとかのやつを買わねばならないかも知れない。
以前、「ドミノ」について述べた時にも書いたのだが、後藤雅洋さんの「重要なのは、ローランド・カークの演奏技術が彼の音楽表現と不可分に結びついているということであり、決してテクニックのためのテクニックではないという点なのだ。その証拠にカークは、この奏法をのべつまくなしに披露するわけではなく、よく聴いていればわかるが、音楽的に必要と思われるところでしか使用することはない。…………ここで重要なのは、それが二人の演奏者がそれぞれテナーとマンゼロを吹いたのでは絶対に表すことができない表現力を獲得している点なのだ。」(『Jazz Of Paradise』Jicc出版局)というローランド・カークの演奏についての論評は、まったく至言である。彼の演奏は、他の誰とも違う独自の世界をもっている。そしてそれは、ジャズを聴きなれているとかそうでないとかにかかわらず、誰にでも一聴してわかるような種類の独自性である。
ローランド・カークは、私のフェイバリット・ミュージシャンのリストの中でも独自のまったく独自の位置を占めている。
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Roland Kirk Domino
http://blog.goo.ne.jp/hiraizumikiyoshi/d/20060826
BOSEはちょっとひどい!
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