WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

「遠い世界に」と失われた「明日の世界」

2006年11月04日 | つまらない雑談

5550005  数年前、ふとしたことから「五つの赤い風船」のベスト盤を買った。なぜ買ったのかよく思い出せないのだが、収録されている「遠い世界に」という曲のメロディーを知っていたことと関係があるのかも知れない。「遠い世界に」は音楽の教科書にも載っているのだ……。買ったCDは1~2度かけただけで長く棚の片隅で眠ることになった。私は、フォークというものに接してこなかったため、懐かしの「フォーク・ソング」を聴いても特別の感情をもつことはない。若い頃、周囲にはまだフォーク・ブームのなごりがあり、多くの友人たちがフォークに狂っていたにもかかわらずである……。

 きのう、なぜかそのCDを聴いてみようという気になった。やはり、多くの曲がピンとこず、はっきりいって聴くのがつらかった。ハーモニーやサウンド自体が貧弱な気がした。しかし、「遠い世界に」だけにはどこかひっかかりを感じた。歌詞が何か気になるのだ。

遠い世界に旅に出よう

それとも赤い風船に乗って

雲の上を歩いてみようか    

太陽の光で 虹をつくった

お空の風をもらって帰って

暗い霧を吹き飛ばしたい

僕らの住んでるこの町にも   

明るい太陽 顔を見せても

心の中はいつも悲しい     

力をあわせて生きることさえ

今ではみんな忘れてしまった 

だけど僕たち若者がいる


雲にかくれた小さな星は    

これが日本だ 私の国だ

若い力を体に感じて     

みんなで歩こう 長い道だが

一つの道を力のかぎり     

明日の世界をさがしに行こう


 「暗い霧を吹き飛ばしたい」「力をあわせて生きることさえ、今ではみんな忘れてしまった」「これが日本だ、私の国だ」などのことばが妙に生々しい。生々しいとは社会性を帯びているという意味である。とくに「これが日本だ、私の国だ」という部分は何か唐突な政治性を感じさせ、違和感すらある。このCDの収録曲「まぼろしの翼とともに」の中にも《 僕とおなじ学生だった 国のために死んでいった 》などのことばが登場し、国家や社会との関係を強烈に印象づけられる。日本の多くのフォーク・ソングが自己の内面の空白や蹉跌あるいは男女関係におけるディスコミュニケーションをテーマに歌うのに対して、異質である。

 Wikipediaによると、五つの赤い風船が結成されたのは1967年であり、1972年に解散している。まさに、東大紛争を頂点とする全共闘運動のリアルタイムである。しかも、「遠い世界に」がリリースされたのは1969年5月8日である。1969年1月19日に安田講堂が「落城」し、全共闘運動が挫折していくその直後ということになる。そのような時代性が歌詞に反映しているのだろうか。そう考えると、前掲の歌詞もうまく理解できる。全共闘運動に敗北した若者たちの心象風景のひとつとして理解できるわけだ。

 ところで、五つの赤い風船は前述のように1972年に解散している。1972年といえば、連合赤軍事件のあった年である。浅間山荘事件のあと、榛名山におけるそれまでのリンチ殺人が次々に明るみにされ、学生運動は名実ともに衰退の一途をたどり始める時期である。五つの赤い風船の解散は、そのことと何か関係があるのだろうか。「遠い世界に」のラストで《 明日の世界をさがしに行こう 》と歌った五つの赤い風船は、連合赤軍事件によって、探しに行くべき「明日の世界」も失ってしまったのだろうか。

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿