王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

小泉総理と靖国神社参拝 その2

2005-10-17 12:34:00 | 靖国関連
今朝靖国神社に小泉総理が参拝した 昇殿せず公人としての記帳も無くポケットから小銭を出し賽銭箱に投げ入れていた 手を合わせただけの略礼に見えたので私的参拝を印象付けたのかもしれない
爺は10月1日の欄で書いたように日本の様な大国の総理大臣が国論を割るような行為をなすべきでない そのひび割れに外国勢力が干渉する余地を作ってしまう 靖国神社に参拝したければいくつかの問題点を整理してからおまいりすべきと考える それが赤紙一枚で祖国のため犠牲になられた軍人軍属等に対する礼だと思う

いくつかの問題点
1:戦後政教分離との憲法の規定に反し厚生省(引揚援護局)の役人は戦死者を認定すると靖国神社の祭神基準(どなたを神に御祀りするか)に照らし祭神名票を作り靖国神社に送付 靖国側はそれに基づき戦死者を神と祀った
2:ご家族の宗教意思とは関係なく日本の神となるから一部遺族と御霊を返せ 分祀できないとの信教の自由に係わる争い事が起きている
3:サンフランシスコ講和条約発効に伴い東京裁判の受け入れ同平和条約11条による戦犯の減刑規定などを受け昭和28年(1953年)“戦争犯罪による受刑者の放免に関する決議”により戦犯全員釈放の決定(亡くなった方はいかんともしがたい) 昭和29年(1954年)からは戦病者傷病者戦没者遺族等援護法により戦犯の遺族も年金を受け取り可能となった しかもこの際戦死の概念を広げ刑死した戦犯には法務死との呼称を与え戦死扱いにした
4:この処置と1項で指摘の癒着によりA灸戦犯は靖国神社に祀られる準備は整った次第
5:世間の様子を見ながら昭和34年からはBC級戦犯の合祀 53年(1978年)には密かにA級戦犯を合祀さまざまな論争を起こす問題点が作られた

戦後日本人自らがあの悲惨な戦争を引き起こしたのは誰なのか追求する事無く今日に至っている 天皇のお名前で軍人軍属を召集し戦地銃後で斃死させた者(極東軍事裁判のA灸戦犯)は爺の様な日本人から見てもやはり戦争責任者なのだ 召集令状一枚で国のため命を捨てた御霊と共に祀られる対象ではない 穏やかな日本人は親族九代とか三代も有罪とは言わない代わりT大将のお孫さんから“靖国神社から出てゆくことは侵略戦争を認めることであり他の二百数十万の英霊に申し訳ない”なんてセリフは聞きたくなかった ではお前の爺は英霊と生き残った人にどのような責任を取ったというのかしら

大東亜戦争聖戦論者の極右を遠ざけA級戦犯の責任の前に天皇の責任をと言う極左に遠慮を願い 天下の中道を行く意見を集約してこそ日本国総理大臣の誕生というもの まだまだ中道庶民のいらいらは続きそう  



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小泉総理と靖国神社参拝

2005-10-01 20:45:08 | 靖国関連
昨日大阪高裁で小泉総理の靖国神社参拝につき一部違憲判決が出たとのこと 爺が理解するには 総理の靖国神社参拝が“金銭の賠償をするほどではないと訴えを棄却したが 政教分離の憲法規定に反しその程度を越えると判断”した様だ 原告の顔をみると台湾の方で確か8月中ごろ先祖の御霊を返せと靖国神社に抗議に来ていた そもそも台湾人のご遺族、朝鮮人のご遺族には御霊を靖国には祀られたくない方がいる(そうだよね 宗教が違うものね)当然日本人の中にもさまざまな理由で靖国には祀られたくないご遺族がいる 靖国神社は教義により分祀出来ない といってこれらの要求を門前払い 祀られる側の信教の自由を束縛している もすこし柔らかく言っても靖国の教義を押し付けている 
                          

さて小泉総理は靖国参拝の理由を“このたびの戦争で国のため犠牲になった御霊に哀悼の念とその尊い犠牲の上に築かれた今日の繁栄を思う時改めて不戦の誓いを新たにする”との趣旨を繰り返し述べている その言や良し しかし爺が思うには参拝する度に憲法論議 公的私的など国論を割って議論される様な行動をとっては御霊が鎮まらないと思う 日本国の総理大臣ですからお参りしたければ問題点を左右どちらの側から見ても我慢が出来る程度に環境を整え解決しその後参拝することが総理の貫禄と言うものでしょう 簡単に言えばそれが国民的美少女ならぬ国民的総理ですよ この国論の揺れの上に一部外国の思惑、謀略、政略がのるから日本人同士が言い争いから憎しみあいする様になっている 
                           
そもそも靖国参拝の問題は戦犯合祀(特に昭和53年A級戦犯合祀)により今日問題とされている点の核が出揃った つまり昭和20年8月昭和天皇は自ら決断なされ終戦となり天皇は国民に対する責任を御取りになり政治の場から身を引かれた 大東亜戦争の責任者である輔弼の臣(天皇の行為に責任を持つ者)等は自ら責任を取る事無く極東軍事裁判の結果、死刑を含みそれぞれ判決が下された A級戦犯(天皇のお名前で戦争を始めたもの)とBC級戦犯(命令により戦争に参加した者)に分かれているのはご承知の通り 日本は昭和27年平和条約が発効となり米軍の占領を解かれ独立国となった 昭和28年から30年にかけ戦病者傷病者戦没者遺族等援護法、恩給法の改正があり戦犯の遺族又戦犯が支払いの対象となる この事は戦犯の家族遺族の生活が困窮窮まりないとの趣旨で戦死の範囲を拡大し公務死なる概念が作られ年金の適用範囲が広がりその中に戦犯の名が含まれた この事を取り上げて当時の国会が野党も含めて賛成であったと強調するのは説明不足だ 年金を出すから日本全体が戦犯の罪を許したとの証拠にはならない しかもこの間厚生省の戦死認定者の名簿は靖国神社に送られそれが元になりご遺族の意思に関わらず靖国神社にお祀りしている この手続きに乗り公務死の方のお名前も靖国神社に送られた 昭和34年からBC級戦犯の合祀、昭和53年にはA級戦犯が密かに合祀された
                        

大東亜戦争は祖国防衛戦争だとの意見があり靖国神社もそれに近い、戦犯は極東軍事裁判が勝手に決めた事でそもそも無効或いは講和発効で免責されたと主張する方もいる 爺は9月21日の記事で述べたように天皇の股肱の臣に戦争を起こし日本国中を焦土にした責任があると思う 本来日本人がこの悲惨な結果に誰が責任があるのかしっかり決めねばいけないものを出来なかった 戦争が終わりほっと一息ついて食うのに精一杯だった だから日本人の中道派はまあ占領軍による判決はA級戦犯についてはそんなものだと受け入れている それでなければ昭和の始めから15年にも亘って“令して行われず、禁じて止まず、権限無きが行い、ある者が止めない”という総無責任体制の戦争の結果についてけじめがつかない A級戦犯は天皇の名を以って召集令状を出し大勢の兵隊、軍属を戦死させたのですから一緒に御祀りする対象では無いのですよ 村山談話や小泉総理の気持ちが政府見解であるならそれに沿った行動と問題の整理が必要であろう 靖国神社のA級戦犯合祀は当時の厚生省引揚援護局の役人(特に旧日本軍の佐官クラス)と靖国神社と遺族年金に絡む族議員による小型大東亜戦争といえましょう
意図を隠して法を作り、原則を曲げ、秘密裏に行い、ばれると居直る しかも英霊(戦争で死んだ方)を盾にとり批判をすれば英霊XX人にあいすまない 等は辻正信も顔負けの発言 英霊が悪いのでなく戦争責任者を英霊と共に祀っている事が大きな問題なのです 
政教分離とは宗教が政治に介入してもいけないのです 分祀できない等と宗教が不作為による政治介入すれば信長公ならば焼き討ちされたであろう 小泉公はどうかなー 
戦争で亡くなった兵隊さんに哀悼の念を捧げあわせて銃後で亡くなった70万人の一般国民に重ねて哀悼の意を捧げます
                        
                     
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桜井よしこさんと大東亜戦争

2005-09-21 20:32:59 | 靖国関連
18日の日曜日 朝日テレビのサンデープロジェクトを途中から見た 自民党国対委員長の中川氏と桜井よしこさんが郵政民営化の賛否で議論していたようで桜井さんは“悪魔は細部に宿る”とどこかの諺か箴言を引き今の民営化に反対の様であった その後小泉総理の靖国神社参拝に言及し“ハルノートにより日本は大東亜戦争に立ち上がらざるを得なかった”つまりあれは祖国防衛戦争であり“小泉総理は靖国神社へ参拝すべき”との趣旨の発言をされていた 爺はアー驚いた なんとなく優しげなお顔と物言いで俗に言う物分りの良い知的なおば様と思っていたのだが すげー事言うじゃんと “ハルノート”を昭和16年秋の一時点で読めば 1)日本は中国本土(満州も入る)と仏印より(従来からの利権を一切捨て)撤退せよ 2)重慶の蒋介石政権以外を認めるな 3)三国同盟を廃棄せよ との趣旨だから これを飲めば米英に江戸城で城下の誓いをさせられるも同様だ これまでの利権をすてむざむざ引けばこれまでに死んだ幾千あるいは幾万の英霊(戦争で死んだ兵隊さん)に相すまぬ 勝てるかどうかも判らぬがこのままでは軍も国民も納まらぬ そこでやむを得ず米英蘭支に立ち向かったとの見立てであろう だが事ここに至るには昭和の初期から満州事変、日華事変、北支事変と中国大陸へ進出した日本軍隊および日本国の有り様 更に昭和16年春ソ連との日ソ中立条約の締結により南方進出=対米硬化の決定 その行き着いた先がハルノートではないか 桜井さんほどの物書きが知らぬわけでもあるまいに ジリ貧で過ごせば台湾は残り千島列島の半分位は残ったかも 歴史にもしもは無いから世界の一流国たる米英を相手にぼこぼこにやられた 前線はもとより本土はB29と艦砲射撃で焼け野原 原爆2発 停戦後のソ連の継戦 前線と銃後で310万人余の新たな英霊(死者)をだした 昭和天皇は自ら終戦の決断をなされ統治責任を御取りになり政治の場から身を引かれた 輔弼の臣たる(天皇のお名前で国策を決定した者)A級戦犯等は自ら責任を取る事無く彼らの出した召集令状により戦死した軍人軍属と一緒に靖国神社で神と祭られている 刑死した人間が靖国に入ってくる訳がないから誰かが意図的にその様にしたという事 これは外国がどうこう言う前に日本人が怒らねばならない 三族連座で孫まで責任取れとは言わないからせめて靖国から出て親族の御霊屋に鎮まってくれ   
                       
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