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横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

コント55号の坂上二郎さん 逝去

2011-03-11 08:17:55 | 芸能
坂上二郎さん死去=コント55号で一時代築く(時事通信) - goo ニュース

昨日10日「コント55号」のコンビの一人坂上二郎さんが亡くなりました。
76歳だそうで浜爺が思ったよりずっとお若い最後でした。

テンポの速いコメディーで浜爺も若い頃から好きでしたよ。
こんと55号の出来たのが66年頃だそうですから結婚前で子どもと一緒に見ていたわけ出ないのです。それで面白かった事だけ思い出します。
大人が見て面白かったんですよね。

その後二郎さんと相方の欽ちゃんとは別の道を歩んだようです。
その二郎さんが03年脳梗塞で倒れたそうです。
リハビリ後の舞台映像を見ましたが「昔のテンポの速い会話と反応」が見られないのが残年でした。
それでも周りが敬意を払って(と思うのですが)舞台で余り動きの無いそしてセリフも少ない役柄を勤めているのを知りました。
最後には映像だけが舞台に流れる(かなり無理目の)演出もありました。浜爺は結構体調が悪いのでないかと気にはなっていました。

さてそんな二郎さんですが昨年8月に2度目?の発作で転倒しかも利き手の右手を骨折とか。
本人も介護する側も大変な日々だったと思います。
昭和が又一つ消えてゆきました。
二郎さん 安らかにお休み下さい。    合掌


時事通信:
お笑いコンビ「コント55号」で知られるコメディアンで俳優の坂上二郎さんが10日午前9時40分、脳梗塞のため栃木県那須塩原市の病院で死去した。76歳だった。鹿児島市出身。葬儀は近親者で行う。

 中学校を卒業後、鹿児島市内の百貨店に勤務したが、1953年にNHKのど自慢で優勝したのを機に歌手を目指して上京。その後、獅子てんや・瀬戸わんやの門下になり、浅草の劇場でコメディアンとして活躍。そこで、萩本欽一さんと知り合い、66年にコンビを結成した。コンビ名は、王貞治選手の本塁打新記録55本にあやかってコント55号にした。

 テレビ出演の際、テレビカメラの枠を無視して跳ね回り、それまでになかったダイナミックなコントを展開し、一躍お茶の間の人気者になった。中でも「飛びます、飛びます」のフレーズは有名。「お昼のゴールデンショー」や「コント55号のなんでそうなるの?」「ぴったしカン・カン」などのバラエティー番組のほか、喜劇映画「コント55号」シリーズで人気を集め、一時代を築いた。

 70年代に入ってからは俳優として本格的に活動を始め、ドラマ「夜明けの刑事」シリーズでは、主人公の人情刑事を好演。映画「天城越え」(三村晴彦監督)、「御法度」(大島渚監督)などに出演したほか、舞台でも活躍した。

 2003年にゴルフ場で脳梗塞の発作を起こしたが、リハビリで舞台に復帰。萩本さんと共演するまで回復したが、昨年8月に再び自宅で倒れ、入院していた。 
(引用終わり)

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