今からもう30数年まえ
大阪に住んで二度めの冬を迎えようとしていた。
三畳一間のボロアパートは家賃もその頃でも破格の8000円だった。
隙間風の目張りをしたら一冬窓を開ける事が出来なかった。
暖房はちっちゃな電気ストーブに万年床
訪ねて来る者もいなくてたまにドアを叩くのは新聞の勧誘員ぐらいだった
アパートは狭い路地のどん詰まり、裏にはどぶ川が流れていて
窓から阪急電車が見えた
電車は通勤、通学の乗客が大勢乗っていたが
その頃の僕には無縁だった
人々が労働に勉強に精を出す頃
やっと起きだして阪急の立ち食いうどん屋で朝昼一緒の飯
それからパチンコ
金が無くなると母親に電話でせびる
うそだらけの言い訳
それでも数日するとちゃんと書留が届いた
書留の中に現金と手紙
(おとうちゃんに内緒で送るよ)
(しっかり勉強して今度は受かるんだよ)
・・・
ダンボールの小包み中にお金を入れて送って来る事もあった
みかんに干物、庭の柿、下着にお菓子
お金だけとるとパチンコ屋に走った
後の荷は放っておいたから
生ものはいつも腐らした
そう言えば
あの頃の母との絆って
茶色い仕送りの現金封筒だな
ロクでもない奴やったな
今もロクなもんじゃ無いけど