HIROZOU

おっさんの夜明け

大晦日

2018-12-31 07:56:56 | Weblog

とうとう明日から新しい年が始まる・・

そして新しい年号も

来年は行動あるのみ

明日は故郷に帰省

おとうちゃん、おかあちゃん、帰るきにね

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天命

2018-12-29 10:01:30 | グチ

平成最後の12月・・

開業29年目にして初めての赤字経営

こりゃ来年の暮れは確実にここにいないな

かと言って

他人さんに使われたくない

でもこれは神様のお導きの所詮

天命だ

来年はきっと地獄を見るな

火を見るより明らか

ぎょえ~~~

どないしよ

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おっさん道

2018-12-27 18:34:27 | Weblog

今日も昼休みはヒトカラ(一人カラオケ)に

ここんとこ風呂屋とカラオケ交互に行っている

カラオケは歌いこんでいる分、高音域の声が出せるようになって来た

今日は東京ロマンチカの小樽の人よを歌いこんできた

他に津軽平野に望郷酒場~♪

おっさん道を邁進しとるぞ!

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星めぐり

2018-12-26 10:09:01 | メモリー

昭和なこの曲もよく有線で流れて来る

豊川穰の星めぐり・・

かわいそうな~♪星めぐり~♪で曲が始まる

豊川譲さんはご両親がいなくて孤児院で育った

それからスカウトされてジャニーズ事務所に入ったんだが

最盛期のプロマイド売り上げは森田健作に次ぐ2位だった

でも曲の内容が

孤児とか、かわいそうなだとか、孤独とか

本人は別に気にもしていないような境遇をイメージとして植え付けられた

昔の芸能界ってこう言う事を平気に宣伝したし曲の内容も本人の育った環境がイメージとして売り出している

私生児の三善英史さんなんかもそうだな

丸山町の芸子さんをされていたお母さんとの生活が詩の中に唄われた曲もあった

豊川譲さんもそう言う葛藤とかもあって‘クスリ,に走ったんだろうな

豊川譲さんの一番すごいのはジャニーズにもかかわらず(失礼)

歌が上手いんじゃ!

でもクスリのせいでジャニーズの歴史から抹消された

でも、田原のトシちゃんと一緒で一時ジャニーズの屋台骨を支えて

今日のジャニーズがあるんだからなにがしらかのもんがあっていいんだろうけど

何も無いだろうな



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恋人試験

2018-12-26 09:02:40 | メモリー

仕事中は職場に有線放送を流している

チャンネルはだいたい昭和の歌謡曲・・

さっきまつもとちえこ恋人試験が流れていた

昔、深夜放送でこの曲を聞いた時、衝撃だった

ある意味、太田裕美の木綿のハンカチーフよりインパクトがあった

私の~いちばんすきなとっこ♪ど・こ・で・す・っ・か?~♪

えらい楽しげな歌やんけ

と純情な高校生は思った

それにこの子

「ねっ!バスボン~♪」

とか石鹸のコマーシャルにも出てた

えらい人気やんけ・・

鼻が上向いとんのに

歌詞の中に私と一番行きたいとこ何処ですか?とか言うフレーズがあって

スナックとかディスコが出てた

(わしの町にはディスコどころかスナックも無くて若者が踊りに行く先は盆踊りだった)

こりゃ若い娘と付き合うにゃ都会に出にゃならんな・・・

と痛切に思ったな

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虫になりたい

2018-12-25 16:49:31 | Weblog

            

小さな花の花びらの中に黄色い虫がいた

何をしてるんやろ

・・・

結局クリスマスはどこへも行かず

何も貰えず

朝から風呂屋へ行って

それから晩まで酒三昧

体によーないな

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スリッパ買うてくれ

2018-12-23 07:57:51 | グチ

今日はどこか遠くに行って見ようかと思ったけれど・・・

どんよりした天気が・・・

昨日は午後からおっさん一人で買い物に出た

着るものはほとんど下着ぐらいしか買わない

現在着ているものはほとんど昔に買ったもん

昨日は厚手のヒートテックのシャツ(980円)を買った

あったか~~い!

(自分へのご褒美、クリスマスプレゼントじゃ!誰もくれんからのぅ~)

帰ってから

しまった!冬用のスリッパ買うのを忘れた・・

ふと、台所に行く途中に見た

娘が女房に手袋をプレゼントしとる

わし、スリッパの裏側ツルツルなんやけど・・

プレゼントなんぞ別にいらんけど

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クリスマスの思い出2

2018-12-22 10:30:06 | メモリー

時は移ってとある東京の近郊県

(なんじゃ?)

その日も病棟でちんたらジジババをもみもみしていたら

見慣れない白衣とピンクのエプロンをしたかわいい女の子がいた

看護の実習生だ

僕もその頃、23~4の遊びたい盛り

何と言って親しくなったのか忘れたが

「クリスマスの日どっかに行こうよ、どこに行って見たい?」

「私、栃木の田舎もんだから東京に行って見たい」

「へっ!」

と言う訳で、クリスマスのその日いつものパチンコ屋通いで金が無いので

そっとマルイのカードで5万円借りて彼女と東京に繰り出した

東京と言っても僕は東京をよく知らず

女の子と昼間デートなんかもした事が無かった

ふだん女の子と行くのは飲み屋だけ

それでも赤坂はよくパチンコを打ちに行ったので

赤坂の街とホテルニューオオタニぐらいは知っている

ニューオオタニで飯食ってホテルに入っている高級ブランド店のショーウィンドウを眺めていたら

大きなクマのぬいぐるみが置かれていた

彼女が・・

「かわいい!」

と言った

値段を見たら4万円近かった

もうその頃、僕はスケベ根性で頭がおかしくなっているもんだから

「買うたるわ!」

「えっ!ほんとうれしい!」

そいでもってかわいくも無い大きなクマのぬいぐるみを買わされた

うれしそうに、そのクマのぬいぐるみを抱えて彼女はこう言った

「私、これから東京のおばさんのところに行かなくちゃ行けないんで今日はこのへんで」

彼女は行ってしまった

あくる日、病院に行くと実習生の実習期間はもう終わっていた

僕は彼女の電話番号も聞いて無かった

僕に残されたのはマルイのローンだけ

懐かしいクリスマスの思い出だな

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クリスマスの思い出

2018-12-22 08:24:14 | メモリー

今年は平成最後のクリスマスか・・・

クリスマスにもあんまりいい思い出が無いな・・

脳裏に映るのは10代最後のクリスマス、京都の四条河原町

その頃、無職な僕は河原町のミカドと言う名のパチンコ屋のスマートボールに嵌っていた

その時分でも、パチンコ台は手で弾か無くて主に電動式になっていて

ましてや、もうスマートボールなんて代物はほとんどの店で消滅していたのが

何故だか京都の一等地のこの店に置かれていた

ここのパチンコ屋の前に坂本龍馬と中岡慎太郎の終焉の地の碑があり

幕末史に有名な旅籠の近江屋があった場所だ

電動式の台に座った日にゃすぐの持ち金が底をつくが

スマートボールは一発づつねらって打つので僕の様な暇な貧乏人にぴったりだった

もちろんこの球も換金が出来て射幸性を煽っていた

10代最後の年の瀬、来年20歳を迎える無職な青年が自分の置かれた立場も忘れて足繁く通った

河原町に行くとパチンコの合間?気分転換に町を徘徊した

だいたいが歩いて行けるところ

清水寺に八坂神社、花見小路

木屋町や花街の祇園なんかは僕とは別世界の町だった

スマートボールで少し儲かると新京極のうどん屋に走った

今でも京都の古いうどん屋に入ってコシの無いふにゃふにゃのうどんに甘いお稲荷さんを食べると

(これじゃ!これが京都のうどんじゃ)

とか思う

いったい何の話やったっけ?

そうそう

クリスマス

その日は確かクリスマスだった

ピューピューと北風が河原町に吹き付ける冷たい晩

街にはジングルベルとその頃流行っていたモンタ&ブラザーズの‘ダンシングオールナイト,が流れていた♪

その日はパチンコで頭がヒートアップしてとうとう帰りの電車賃160円の最後の100円玉まで投入してしまって

手持ちの金が60円になってしまった

(しもうた60円しかのうなってしもうた・・)

街がクリスマスで浮かれている晩に

まぬけな青年は60円を握って街を夢遊病者のようにさ迷った

(あかん、どうやって大阪まで帰ろう)

四条大橋から暗い鴨川をのぞき込んで考えた

ふと、左手を見ると木屋町の入り口に交番があった

「おまわりさん、100円貸してもらえんでしょうか?」

「しゃー無いな~やるわ!」

「いや!そんなわけに行きませんから」

「ほんなら借用書書いて」

・・・と言うわけで

100円借りて家に帰った

今でも京都に行ってそこの交番の前を通ると・・

(昔、100円貸して貰ったとこやな・・)

と懐かしい思い出に浸っている

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冬の朝

2018-12-19 07:35:50 | メモリー

今日も寒いな

そう言えば、高校生の頃、学校まで片道20キロを自転車で通っていた

でも20キロって言っても道幅が広く素晴らしく舗装された国道で車もそんなに走って無くて

だいいち学校まで信号が2か所しか無かった

(どんな田舎じゃ!)

現在は4~5か所か

だから高校までの通学時間が35~6分だった

都会の道路を自転車で20キロこぐとどんなにかかるんじゃ!

学校までの道は素晴らしい景観で

山本コータローの‘岬めぐり,に出て来る歌詞ぴったりの風景が続く

うちの浜から出て漁港を見下ろす大きな橋を渡り

トンネルを抜けたら隣の県で

そしてまた漁港の上をつなぐ大きな橋を渡る

それからずっと右手に海辺をの景勝地を見ながら学校まで自転車をこぐ

なだらかな坂道を上ったり下りたり

でも雨の日や冬の寒い朝はちょっと辛かった

冬になると僕はいつも起きられなくて

毎日のように母親の軽トラの荷台に自転車を積んでもらって

先に出た同級生たちの自転車に追いつくところまで運んでもらって

そこで下ろして貰ってた

その場所はいつも同じ場所で

隣町を過ぎた辺りの坂道

毎日毎日そこまで軽トラで運んでもらった

あれからもう何十年経っただろうか

数年前、その坂道の左手に立派な老人ホームが出来て

現在、母がそのホームに入っている

ホームに初めて母を訪ねた日

2人で同じソファーに座って目の前の坂道を僕は指をさして

「お母ちゃんに毎日ここまで乗せて来てもろうたやん」

と言ったら

認知症の母はキョトンとしてた

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