昨日は川崎大師まで行って来ました。
厄除け祈願ですが
お天気が良くて凄い賑わっていました
今回川崎大師さんでは飲み食いしなくて
帰りに浅草によって飲み食いしました
今月に入って過去一番に暇
ただただ赤字の垂れ流し
世の中の不況もあるけどもうこの業界にニーズが無いもんな
ニーズが無いのに資格者はいっぱいおる
いっぱいおるのに雇ってくれる就職先も無い
僕が資格を取った頃はだいたい年に1000人ぐらい受験した
まだ知事免許だった
今は厚生大臣免許で国家試験受験者は数年前は7000人になった
この数年、骨接ぎは金にならないと分かって来たから減って来たけど
僕が社会人になった40年ほど前、就職した総合病院のリハビリの主任は骨接ぎ学校の先輩
数年して開院した近くの大学病院のリハビリの主任は骨接ぎ学校の同級生
今は主任どころかこの資格じゃ病院で雇ってくれない
昔はPT(理学療法士)がいなかったんだ
いたけどすごく少なかった
僕が骨接ぎの資格を取った頃のPTの資格を取る人は年に5~600人
現在じゃ10000人以上1000人じゃ無いよ10000人
骨接ぎもPTも昔は夢のような時代があった
W浅野のドラマの頃かな
まあ、あの頃って世の中皆、良かったけど
骨接ぎはベンツでPTはおしゃれなBMだった
PTは名義貸しでようけ儲けた
病院で汗水流さず夜間の准看学校の講師に力を入れた
PT先生は金を持ってるもんだから生徒を垂らし込み放題
今じゃ名義貸しどころか看護学校の講師の口もあまり無いだろうけど
もう骨接ぎもPTも〇んでるね
でも両方とも儲かってる奴は儲かってるんだ
やっぱりやり方なんだろうね
いつの時代もどんな環境でも出来る奴は出来る
僕みたいなアホッタレには無理だけど
さっ!
しょうも無い事書いとらんと帰ろう
昨日の昼にお宮の庭で
自然はちゃくちゃくと春に向かっています。
私の稼ぎはずっと冬のままでしょう
所変わって職場の二階、普段はたまに休憩室として使っています。
それにしても築40年以上のテナント
今朝は氷点下でした
地区で1,2を争うボロ屋
夏の暑い日と40℃以上違うやん
近いうちに電気料金が3割アップするらしい
原発は危険なので原発は止めて安心安全な自然エネルギーに移行しようと盛んに唱えた人達がいた
確かな電力を供給できる原発と未知なる自然エネルギー
何だか分からないけど
何より日本人より頭の良いドイツ人が原発を止めているじゃ無いかと
だから原発は危険なんだと
確かにドイツ人は頭が良い
先に日本と同盟を組んだドイツ
両国とも同じように軍事力は制限された
だけど頭の良いドイツ人は日本のように軍事に関して何が何でも全部ダメと言うような所は無かった
兵器の量産こそして無いけど輸出は出来るんだ
これはでかい
コストは下がるし研究にも力が入る
自然その研究は産業の他分野にも生かされる
兵器や軍事研究のすそ野は広いんだ
日本は研究にも横やりが入る
作っても売れないものに力を入れる会社は無い
必然、新しい産業は生まれないし発展しない
三菱の旅客機は失敗して中国の旅客機は成功した
あたりまえだよ国の力の入れ方が違うんだから
日本を危険だ危険だとまくし立てる
中国や韓国に軍事の縛りが無くてどんどん国は発展して日本を追い越した
中国や韓国は今や一大兵器産業で国が発展して今後輸出の主力品となるだろう
もう日本は追いつけない
防衛産業が国を富ますのは皆分かってるけど
日本では口にも出せない
また戦争に突き進むのかとまた中国や韓国を侵略するのかと
言えば言うだけ日本は衰退してしまった
日本人のどれだけの人がもう一度戦争を起こそうと思ってるのかと言われると
ほとんどいないんじゃ無いか
そのほとんどいない一部の人間の考えが怖いんだよと
おっしゃる方々がいる
戦争に突き進めた人も一部の人でその反対も一部の人
そのどちらも一部の人の発言力発信力がでかいんだ
だいたいの日本人はどうでもいいと思ってるんだけど一部の人に引きずられるんだ
僕もそうだけど
綺麗事が通じた時代
これがまだアジアの中で日本と言う国が謳歌を極めていた時代なら分かる
今や周辺国に追い越されて
年金で食ってる年寄りよりずっと収入が少ない若者が大勢いる
綺麗事でお腹は膨れない
別に戦争をしようと言うんじゃ無い
車にスポーツカーがある
早さを追求して馬力をあげて洗練されたスタイルを作る
普通の乗用車も性能が良くなって車産業が発展する
そんなに早い車を作ったら危険じゃ無いか止めてしまえと言われたら発展しない
仮想戦争に備える
あるか無いか分からない戦争に
今時、軍艦作って戦車作って兵隊鍛えてたんじゃだめだ
次世代の戦争
誰もが思い付か無い軍事兵器
そうだ相手も自分も死なず物も壊さない戦争の兵器
もう戦争をするのがアホらしくなるような兵器
そんなもん出来るわけ無いじゃ無いかと思ってる人間ばかりだと
国は衰退する
人も殺さず傷付けず物も壊さない軍事兵器を研究すると言っても
一部の人は反対するんだろうな
兵器だから
先の戦争を起こした日本人はとことん懺悔して
食う物も食え無くなっても自業自得だ
日本人は皆、危険思想な国民だから私たちが抑え付けて無いときっと暴走すると
そして後ろでペロっと舌を出す
段々と日本人自身が気付きだした
これはちょっと違うんじゃ無いかと
おかしいと
綺麗事を唱えているうちに貧乏人ばかり増えて
治安も悪くなった
今朝のニュースで賽銭箱を壊して中から小銭を拾うてるおっちゃんの映像が出てた
この間は地元の餃子?の無人販売の店で金払わんでくすねている、にいちゃんが出てた
にいちゃんは捕まったみたい
何だか身につまされると言うか、けっして他人事に思われない今日この頃
昨日は成田山に行って来ました。
大勢の参拝者の方がいましたが、正月も8日なので立ち止まらずにお参り出来ました。
鰻屋は相変わらず繁盛していました。
あんなに大勢のお参りの方全員きちんとマスクをしてるんですよ
数年前、両親共老人ホームに入所して誰もいない実家の正月に帰省して
郵便物を見てみたら兄宛ての年賀状が2枚ほど届いていた
送り主の住所を見てみると地元で無くて知らない日本海側の地名と関西の地名
きっと兄の大学時代の友人だろう
兄にも年賀状をくれるような友人がいたんだ
兄はその前の年に亡くなっていた
この友人の方は兄が亡くなった事を知らない
実家の兄とはほとんど話を交わしたことも無く
大学時代に何をしていてどんな友達がいたかなんて一切分からない
兄は生まれながら体に障害があって大学を出てからはひきこもりの様な生活を送っていた
両親が生活の面倒を見ていた
稀に不自由な体で山仕事を手伝ったりしていたみたいだけど
老いても両親は兄に仕事の強制はしなかった
兄の体の不自由なのは自分達のせいだと思っていたんだ
子供の頃はその障害を理由によくいじめられていて
僕はそのいじめをいつも見て見ぬふりをしてやりすごしていた
必然、家の中でも兄との会話は無くなった
兄が倒れたと言う連絡があった
救急搬送で隣の徳島の病院まで3時間かかった
都会の人は信じられ無いだろうけど過疎の町から脳外科のある病院まで救急車で3時間かかったんだ
助かる人も助からない
兄は植物状態になった
未婚だった兄に付き添う人とて無く高齢の両親には頼めない
姉と僕とで善後策を話し合ったが埒が明かない
その頃は二人とも仕事があって兄の事を押し付けあった
僕もたびたび仕事を休んで飛行機に乗り兄の入院や転院手続きに行かされた
心の底で・・
(何もこの俺に)
とベッドの上で物言わぬ兄を眺めて愚痴ってみた
結局1年半程病院をいくつかたらい回しにされた
そうせざるを得なかった
結局最後は高知の病院で亡くなった
死に際に間に合った
涙は出なかった
ふと思ったのは
兄の人生ってどうだったんだろう?
幸せだったんだろうか
そうじゃ無かったのか
亡くなったあくる年に兄に届いた2枚の年賀状を見つけて
けっこう人並みの人生を送ったんだと思って
何だかホッとした
ふぅ~~~ん
最近はいろんなもんが流行ってるんやな
今日は浅草の待乳山聖天さまの大根まつりで
中風封じ?にいっぺん、ふろふき大根をよばれに行かにゃと思っていたんだけど
SNSで聖天様の記事を読んだら関東いちのパワースポットなんだと
わし何度も行ったけど・・
そうか!
信心が足らなかったか
スピリなんちゃらがどうたらこうたら
他人さまの信心に批判はしたらあかん、なんちゃらは宗教とは違うそうだけど
わし自身人一倍信心深いし
お宮参りなんか毎日のように行ってるし
でもこれはある種の自己満足だな
神様仏様を一生懸命拝んでお金持ちになったり幸福になれたりしたら
これほど楽な事は無いもんな
拝んだだけで勉強しないでええ大学に入ろうたってどだい無理
やっぱ一生懸命精進して努力しないと
連休は成人式なのか
僕もうん十年前に成人式だった・・
あの頃、世間にバブルの兆しが見えて何だか足元がふつふつと浮き出しそうな時代
女の子が皆、聖子ちゃんカットで男もロン毛?でパーマを掛けてた
原宿でタケノコが踊り、ディスコが大流行、老いも若きも踊り狂うてた
貧乏人の合言葉
「わしは着る物、履く物、皆ダイエーじゃ」って言うていた友人が
「マルイの月賦で5万円のカシミヤのセーター買うた」って
僕も成人式のスーツ代にって母親が20万円くれた
1980年代って日本が貧しく質素倹約な時代から脱却した時代だな
必然、顔の表情が豊かになった
2010年代の中国がそうだろう
人民服の頃って表情暗かったけど
現代は明るいもんな
明るすぎてうるさいくらい
反対に暗いのは現在の日本人
暗いだけじゃなくていつも何かに怒ったような表情してる
あのバブリーな時代は遠い昔で
これから迎える日本の未来はたぶん谷底のような未来だろう