何だか最近、求人広告によく目が行くんだけど
我が前途は真っ暗闇闇闇だらけ
さっきスーパーに寄ったら
シルバー人材センター派遣のタカオさんが品出しをしていた
そしたら同じ品出しの綺麗な若奥さんとうれしそうに話しながら大根を棚に並べてた
ほうほう
スーパーの品出しでも美人な奥さんと知り合いになれるんやな
レジ後ろにアルバイトの時給が出てたが
品出しは1時間900円でレジ打ちが950円とな
900円か・・・
わし、ここんところの日給 -6000円程だから
来れば来るだけ赤字を増やすより
品出しで1時間900円貰った方がマシやな
そうしたところ乱戦の中、忠右衛門の目に赤い幌を着けた武者侍を見つけた
幌侍は主君の親衛隊とも言われるエリートだ
(あいつだ、相手に不足は無い)
忠右衛門は幌侍に駆け寄り名乗り上げた
「われこそは長曾我部盛親が家臣忠右衛門、お手合わせ願いたい」
「おのれ、ちょこざいな、こわっぱのくせにわしに勝負を挑むとは」
その時、山田何べえは突風のように騎乗から忠右衛門めがけて槍を突き下ろした
おお~怖っ
忠右衛門は一瞬身を伏せた
その時、一陣のつむじ風が戦場を舞い山田何べえの目に砂埃が飛び込み
山田何べえは手で目を覆った
「今だ」
忠右衛門は渾身の力で槍を山田向かって突き上げた
「うっ!」
勝負は一瞬で終わり
忠右衛門は初陣で敵の兜首を挙げた
近づいて来た味方の家臣が兜首を見て
「やや、これは藤堂高虎の重鎮山田何べえだ、忠右衛門勝ち名乗り上げろ」
それを聞いて忠右衛門
「われこそは長曾我部盛親が家臣、忠右衛門なりぃ~藤堂高虎殿家臣山田何べえ殿を打ち取ったりぃ~」←ここが大事
その後、長曾我部隊は押し返され盛親は大阪城に撤退し忠右衛門の夏の陣は終わった
しかし、忠右衛門の功名は敵味方に知れ渡った
最後まで稚拙な文章を読んで下さりありがとうございました。
byひろ造
忠右衛門の夏の陣の様子を小説風に書いてみよう
慶長20年(1615年)5月6日未明、八尾の戦場は深い霧で覆われていた。
堤の上からときおり饐えた臭いのする生暖かな風が湿地の葦の葉を揺らした
忠右衛門ら長曾我部盛親隊は草むらに身を低くして敵の気配を窺っていた。
霧の向こうからドスンドスンと多くの馬の蹄の音がこちらに近づいて来る
ガチャガチャと甲冑の触れ合う音も聞こえる
忠右衛門の槍を持つ手が震え、胸の鼓動もドクンドクンと高鳴り耳に陣ぶれの太鼓より大きく鳴り響いた
忠右衛門の袴の中に生暖かい水が漏れた、忠右衛門は緊張の為、しょんべんまで漏らした
忠右衛門、この時22歳この日が初陣だった
父は盛親と一緒に関ヶ原に参陣はしたが長曾我部軍は戦に加わらなかった
父はその後、病気で亡くなり
祖父は秀吉の朝鮮の疫に出陣し、かの地で討ち死にした
猫の額ほどの領地も関ヶ原の戦い後、土佐に入って来た山内氏に取り上げられ
流浪の身となった今では失う物は何も無かった
そう考えて来ると少し冷静さを取り戻して来た
(侍として生きて来たからには最後は潔く戦って死のう)
少し霧が晴れて来てもうすぐ戦いが始まる、忠右衛門は槍の柄をぎゅっと握りしめた
その時、味方の陣から法螺貝が鳴り、どーんどーんと太鼓が打ち鳴らされた
突撃の合図だ、
忠右衛門の血はさかのぼりワーと言う鬨の声を叫びながら無我夢中で相手陣内へ突入した
あちこちで甲冑がぶつかりあい叫び声とうめき声、怒号が響き渡った
(どうせ、打ち倒されるならへたな雑兵にやられるより大物にやられよう)
忠右衛門は騎乗の兜武者を探した
続く
かくして大阪城に入った長曾我部盛親の家来の忠右衛門
関ヶ原の後領土没収となった盛親はお家再興を計り
戦国の世の常として主君が改易となった後、浪人の身となっていた忠右衛門も主君の元にはせ参じた
当時。大阪城にはこれを機に一旗揚げてやろうと言う一騎当千の兵も大勢いただろう
そして時は1615年大阪夏の陣、盛親部隊は八尾方面の攻撃を受け持ち
幕府方、藤堂高虎の部隊と激突した緒戦こそ惨敗したが盛親の作戦が功を奏し
しだいに藤堂の部隊を圧倒した、「今が功名の時」と勇猛に敵陣に飛び込んだ忠右衛門
相手方兜首で幌衆の一人、山田何べえの首を打ち取ってしまった
しかし結局は多勢に無勢、次第に大坂方の敗報が続き盛親も大阪城に撤退した。
そして夏の陣は秀頼、真田幸村等の死によって終焉する
その後、盛親は捕らえられ京都六条川原斬首され忠右衛門は元の流浪の身となった
しかし、ここから忠右衛門の運が開花する
何年かの流浪の後、関ヶ原後に敵方山内家の物となった土佐に帰る
忠右衛門の夏の陣の功名を聞き及んでいた土佐藩二代目山内忠義は忠右衛門を召し抱え
小さいながらも領地まで与えた
数十年後その地に忠右衛門を称え忠右衛門を祀った神社まで出来てしまった
大阪夏の陣に立身出世を願って大坂方にはせ参じた侍は数万人に昇ったが
ほとんどが討ち死に、切腹、敗走、流浪、打ち首
その中のごく一部、ほんの数人程が徳川方に召し抱えられている
忠右衛門は極めて運の良い事例だ
それも敵方の兜首を挙げたが故である
大阪夏の陣と言えば戦国時代最後の戦いその最後に挙げた手柄
オーラス、リーチ一発ツモだ
その最後の手柄がその後の数百年の子孫の繁栄を呼んだ
(この話は本当にあった話でこの話を知っているのは子孫の方以外ほんの幾人かと思われます)
昨晩、大河ドラマを見たら個人的に応援している阿南健二さんと言う俳優さんが
長曾我部盛親役で出ていた。
番組の出演者テロップがとうとう何番目かのその画面に一人だけの有名俳優になっていた
大河ドラマ俳優の中堅クラスだ(すごいな)
三谷幸喜さんに気に入られているんだろうな
阿南健二さんには会った事は無いが年齢と星座が同じだ
僕との共通点もいくつかある彼は有名俳優で僕は小汚い名も知られないおっさんだが
同い年で同じ星座、とある同じ大学の受験に失敗した
二人共、18歳の同じ日の同じ時間、同じ建物の中にいたはずだ
女優の藤吉久美子さんもそこにいたはずだ
藤吉さんはもちろん合格したそうだが
大勢の若者が自分の夢をかなえるために挑戦する
しかし
殆どの若者が挫折し、夢をあきらめ、無名のまま野に埋もれてしまう
ほんの数人だけが大小あるだろうが夢をかなえる
藤吉さんはその日から数年後NHK朝の連続テレビ小説のヒロインから梨園の妻
現在はタレントの太川陽介さんの奥さんだ
確固たる人生の目標を持っておられたんだろうな
わしなんぞ夢も希望もへったくれも無い人生を送って来た
座右の身は
「わしの人生付け焼き刃」だ
阿南健二さんも紆余曲折あっただろうけどとうとう大河ドラマの役者さんだ
今回、その阿南さんが演じられる大河の役どころが長曾我部盛親だ
盛親は関ヶ原の戦いでボ~としているうちに家康に国を取られてしまい浪人になってしまった
そこで起死回生を図って大阪城にはいり大坂の陣に臨んだ訳だ
盛親と一緒に大阪城に入った家来の中に○○忠右衛門と言う人物がいた