昔、僕なんかが小さい頃
大人の男性は皆、外出の際、木の下駄を履いて出かけた
うちの親父も下駄だったが
お祭りの時や棟上げ式に呼ばれて新調の下駄を履いて出かけると
必ず帰りにはボロ下駄にすり替わっていた
そのたんびに母親に叱られていたが
宴会で下足場に同じような多くの下駄が並んでいると気の弱かった親父は必ずボロ下駄にすり替えられていた
子供心に・・
(なさけな~)
と思っていたが
僕もよく透明のビニール傘を買うんだが
何回も差さないのに必ずボロ傘になっているんだ
(あれ!買ったばかりなのに)
気が付くと傘立てはボロ傘ばかりになっている
新調の傘はどこへいったんやろ?
犯人がおるんは、あそこのコンビニと銀行やな
反対に
いつも新調の傘ばかりさしてる奴もおるんだろうな
にゃろ!
それにしても
血は争えんのぅ~
昔々のもう忘れてしまいそうな遠い昔、
あの時も将来の自分の姿が思い浮かばなかった
たぶん、とてつもなく漠然と暗い将来を思い描いていたように思う
暑い夏が終わってどこかに秋の気配が感じられるようになると
どこか切羽詰まった居たたまれないような精神状態に陥っていた
古い三畳一間のボロアパート
万年床の湿気た敷布団と薄い掛け布団
頭からかぶって膝を抱えると
金枠のガラス窓からスースーとふきよせるすきま風の音
カチカチカチと目覚まし時計の音
ピーと警笛を鳴らして鉄橋を渡る回送電車の音
なんだかとても怖くて心細くて
不甲斐無い自分にはがゆくて
両親には後ろめたくて
何だかごちゃまぜの気分だった
だけど
どこか心の隅で
誰にも束縛されない一人ぼっちの世界に浸っていると
(このままずっと朝が来なけりゃいいのに)
と思ってた
6月に実家に帰省する折に泊まった隣町のホテル
鰹のたたき定食を注文したら鰹のたたきが冷凍でした
こんな写真いつ撮ったんだろう
横浜港の船
渋谷の交差点
銀座の高知物産館入り口のぬいぐるみ
これが何と言う動物のぬいぐるみかほとんどの人が分かりません
2~3ヶ月前にとうとうガラケーの携帯からスマホに変えたんですがいまいちよう分からん
さっきスマホで撮っの写真をようやく取り出してみました
この間、行った九段下の土佐料理のチェーン店
都内にけっこう増えてる
藁焼きが有名だとか・・
近所の中華屋の四川風マーボ
この店に行くとこれしかたのみません
おなじみのチェーン店・・
○将より好き!
浅草のガラスケースからお惣菜を選んで来て食べる店
・・・特にコメントはありません
秋って何だか物悲しいね
田舎にいた頃、夜中に一人布団に包まってラジカセからながれてくるNSPや甲斐バンドを聞いていた
初めて親元を離れて大阪で一人暮らしを始めた時、いつも深夜放送ではオフコースの小田さんの甲高い声が流れてた
どの曲も秋が似合う物悲しい詩
もっと昔の小さな頃は秋の自然を愛でた歌が流れてた
父の復員を栗の皮をむきながら母と待つ歌
小さい秋をみつける歌
故郷を思う歌
秋の夕日にぃ~♪てるぅやまぁ~もみいじぃ~♪
帰って酒喰らって寝よ
昨日は遠くに行くのが億劫なので比較的近場の向島百花園に行きました。
今、百花園では萩の花が見頃です。
萩の花と言えば鎌倉の成就院がアジサイを減らして萩の花に植え替えられていましたが
あまり・・見栄えが、ぱっ!としないような
萩のトンネルです。植木職人さんが剪定していました。
私もおととい自宅の生垣の剪定をしていたら手の甲を毛虫に刺されて未だに腫れています。
やはり自然と接する時はちゃんと支度はしないと痛い目に遭います。
百花園はある程度の雑草も残して出来るだけ自然に近い状態で草花を配置しています。
ここに来ていつも思うのは・・
個人のお庭でもこれぐらいならあるんじゃなかろうかと
昨日は中秋の名月でしたが夜まで待てません
きっとこのお庭から愛でるお月さまは綺麗だと思います。
現代人もせかせかした生活から逃れて月を愛でるぐらいの心の余裕が欲しいです。
ここの庭にあと野鳥が集まるような工夫が欲しいなと偉そうなことを思いながら
いつも飲んだくれて徘徊する浅草を目指しました
昨日の3連休の半ば恒例でおっさんの日帰り一人旅に行きました。
いつもは神奈川の海沿いに向かうのですが今回は栃木の山の方に向かいました。
向かった先は日光駅
東照宮の入り口に我が郷土の英雄板垣退助像がありました。
なんでも日光東照宮を戦火から守ったそうな・・
もう秋の予感が
さすが連休で雨がぱらつく中にすさまじい人でした。
家康さんのお墓に詣でるのに山道を1時間ほど並びました。
実は日光東照宮に来るのは40年近く前の高校の修学旅行以来
あの時、ここで片思いの同級生の女の子と2人でツーショットの写真を撮って貰いました
彼女も同じ同級生の‘妻,になりました
修学旅行の時、バスガイドさんが・・
「将来東京に出て来たい人手を挙げて」と言ったら数人の同級生が手を挙げていたけど僕は内心・・
(こいつらあほちゃうか、高校出たら大阪に行くのに決まってるやん)
と思いましたが
そんな僕がこの歳になって関東をうろついているとは
何気にこの五重塔は記憶にあるような・・・
おみくじをひいたら大吉でした
僕っておみくじ運が良いような・・
‘運,がおみくじにとられているんじゃ無いやろな?
この橋を渡るのにもお金がかかります。
お金の‘関所,がちらこちらにありました。
まっ!こんな立派なお宮を維持するにはしょうがないでしょうけど・・
帰りに霧降高原のホテルで日帰り露天風呂に入って来ました。
さすがに霧で覆われていました。
この辺りは標高が高いので下界より随分と気温が低いんです。
我が家はここにほったらかしの二束三文の別荘地を持っていますが
こんなに夏が毎年暑いと住むのも‘あり,かなと思って身に来たんですが・・
無いな
昨日は渋谷でとあるイベントに参加
都会で田舎の空気に触れました
最近、東京に出て来て初めて出来たガールフレンドにも会ったし
この間、10日間ほど社会人になって初めての職場その部署に呼んで貰えました
東京での恩師にもいろんな機会に会えたし・・
もう東京に未練は無いわ
(住まいは東京じゃないけど)
はてさてこれからどうやって生きて行こう
好きなように生きる・・・
しかし
どうやって
ほんま、うちの仕事はもう終わっとるな
ケンシロウ的に言ったら・・
「もうお前は死んでいる」
状態だな・・
(どんな状態じゃ!)
ぽつり・・ぽっつり来るお客さんも
よろりよろりと
いつひっくり返って死んでしまうやら分からん、じぃさまとか
(たのむからうちでだけは死なんでくれよ、外に出てからにしてね)
がたいがえらいでかくてプロレスラーのようなお客さんとか
(割に合わんがな)
とか思いながら仕事をしておるんだが
たぶん
こんな事を考えながらやってるから
お客さんも来ないんだろうな
ここんところ、あちこちで自然災害が猛威を振るって
はて?大阪の前はどこの災害だったっけ?
とか、もう前の災害地を忘れるぐらい災害が続いている
我が業界も自然災害じゃないが真綿で締め付けられるような状況が続いている
1年に1どか2ど来るコルセットの営業マン
日本中の同業者を周っている
「他所さん、どうしてる?」
「ボーとしてますね」
「うちみたいに寝てるでしょう」
「嫌、寝て無いけどだいたいネットを見てますね」
「行ったら店無くなってたりしない?」
「もう、しょっちゅうですね」
「うちも来年辺り来たら・・あれっ?って思うかもしれないよ」
「いや、いや、うちの方こそ来年は会社がつぶれて来れないかもしれませんよ」
この会社も我が業界と‘一蓮托生,だもんな
景気の悪い話ばっかり