雨は降りよるし![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_rain.gif)
湿気が高い
しとしとじめじめと
うっとぅしいのぅううう~~~~![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_cloud.gif)
それにもましてお客さんが来んがな![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_shock1.gif)
からっと晴れた天気の下で海にでも行きたいがな![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
青い空に青い海
・・・
今からかれこれ四半世紀も前
10代最後の夏休み・・
いや正確に言うとその頃は‘ぷー,だったんで夏だけが正解か
大阪のバイト先で知り合った同い年の‘うめ,に誘われて
南紀白浜のホテルに夏の間住み込みで働く事になった
南紀白浜は関西圏の夏のリゾート地として栄え
温泉と白い砂浜またワールドサファリがあり多くのホテルが林立していた。
その中の1つのホテルがバイト先だった
仕事はホテル直営の中華レストランのウェイターだったが
他に泊り客の配膳やゲームコーナーの係りもした
夜にはフィリッピンダンサーのショーを垣間見たり
レストランで働くコックさんがスナックに飲みに連れて行ってくれたり
始めての世界に新鮮な驚きがあった
そして
夏休みたけなわになってホテルのバイトの人数が増えるにつれ
男子寮の大部屋はタコ部屋並みにむせ返ったが
部屋には誰かが持ち寄ったカセットテープレコーダーから大滝詠一の曲が流れ
知らなかったマージャンを教えてもらい
新しい友人が出来た
大阪でパチンコ屋通いだけの孤独な生活をしていた僕にとって
完全にお気楽な夏休みの学生気分だった
あっと言う間に二ヶ月が経ち9月間近になって
バイト連中から
「もうすぐ学校始まるな」とか
ゼミがどうのこうのと言う声が聞かれだした
そうだその時、僕は勘違いをしていた
僕と僕以外のバイト達の決定的に違う事は
彼らが学生で
僕はただのプーだ
一緒にやって来たウメだって大学の二部学生だ
同じ様に働き、同じ様に遊びながらも
夏が終わった後に彼らには将来を見据えた明確な生活があり
僕の将来の展望は何も無かった
そんな時、ホテルのバイトの教育係りの主任が
「9月も忙しいから誰か残ってもう少しバイト続けてくれへんか」
と聞いたが
皆、バイト仕事も飽きて来ていたし学校もすぐに始まるから
申し出る者はいなかった
そんな時、主任が僕に
「そうや、ひろ造お前学生じゃないんだしもうちょっと居てくれよ」
と言った
続けて
「何やったら、ホテルの支配人に就職出来る様に口聞いたろか」
と付け加えた
白浜に来て分かった事だが
言葉訛りから白浜の人の人間性まで
極めて僕の田舎の人間と似ている事だった。
大阪とはまったく違う何かが
たぶん太古の昔から海を通じて交流があったんじゃなかろうか
大好きな海と温泉があり
風景も漁師町の自分の田舎に似ているし
白浜になら暮らしていけるかも知れない
しかし、支配人にはそう言われたが
「僕ぅ~大阪に帰ります。」
と言って白浜を後にした
まだ自分の将来を決める事が出来なかった
喧騒の大阪も魅力だった
大阪に帰った後は白浜でのバイト代もすぐにパチンコで無くなり
また暗く孤独な大阪生活に戻った
白浜で新しく出会った友人達と少しの交流はあったが
彼らに対して少し引け目を感じたのか付き合いは続かなかった
あの時、白浜でホテルに就職していたら
今、僕はどこでなにをしていただろう
あのまま白浜に暮らしていただろうか
10年程前に両親を呼んで白浜を旅行した
バイト先のホテルは経営者が変わったのか違う名前になっていた
中華レストランは閉ざされて廃墟になっていた
親切にしてくれたタクシーの運転手さんの詰め所は昔のままだった
僕は10代最後の自分を探したが
見つからなかった
あの時と違って支えなければならない家族があった
飛行機が白浜を飛び立った時
小さくなる白浜を見ながら
これで良かったんやなと思った
現在の自分の歩んでいる人生が一番や![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)