昨日は天気が良かったので都内をウロウロして来ました
お気に入りの皇居外苑の芝生の上で寝転がって来ました
見上げた空です
お囃子が聞こえました
日比谷公園の池にいたゴイサギ
公園のバラ
勝鬨橋
築地の場外市場はどこかの国のスラム街?状態でした
朝、6時15分・・テレビを点けた
この時間はだいたいニュースの時間だ
「YOSIKI過労で入院」
えっ!
「大谷・・どうのこうの」
おっ!
NHK・・
「いしむれみちこさん、の書斎が古本屋になる」
ええっ!
アナウンサーは神妙な顔つきで関係者は涙を流している
(そもそも、いしむれみちこさんって誰やねん)
NHKの朝の話題ってアホウを諭すような内容ばかりやな
わし、どの話題も全く興味が無いんだけれど
わしって非国民なのかな
もうすぐ連休だね・・
何所か知らない土地に旅に出たいけれど・・お金が無いから行かれないね
お金があったら伊豆の天城峠に行きたい天城越えだね
前に伊豆に行ったけれど天城峠は行かれなかった
天城峠は行こうと思ったら行かれるんだけれど旅館に泊まるお金が無いんだよ
最近高いね
お金が無いんだったらアルバイトでも何でもしたら良いんだけれど
工事現場の旗振りも
倉庫のピッキングも
スーパーの品出しも勤まらないよ
根っからの怠け者だから
しょうがないね
清水寺の三年坂で桜の木が倒れて修学旅行の引率の教師が大怪我をしたと言うニュースがあった
三年坂・・産寧坂とも言うらしい
三年坂を初めて上ったのは確か姉が京都の大学を出た年
引越しの手伝いに行って母と一緒に三年坂を上った
音羽の滝の向かいにコシの抜けたうどんを出す店があって二人でうどんを食べたんだ
ちなみに今でこそ讃岐うどんに席巻されてコシが硬くなったけれど昔の京うどんは皆コシがふにゃふにゃだった
高校を出て大阪に住んだ
18歳の時知り合った女の子と初めてデートしたのが清水寺で三年坂を上った
「三年坂で転ぶと三年以内に死ぬねんで」とかしょうも無い事を話した記憶がある
彼女と四条大橋側のそば屋でニシンそばを食べたんだ
有名なそば屋で今でもそのそば屋を見るとその事を思い出す。
(その時以来食べた事が無いけれど・・・)
あくる年の19歳の時、四条河原町のパチンコ屋に嵌った
電車で30分程だったけれどパチンコ屋に通勤している感じだった
パチンコの合間によく三年坂を上った
清水の舞台から京都の町を見下ろして・・
(俺の将来はどないなるんやろ・・・)とか思っていたな
あくる年の20歳の時大阪から東京に出た
京都が遠くなった
それでもちょくちょく帰省の途中とかに京都に寄って三年坂を上った
女房と上った
娘達も上った
18歳の僕は初老になった
そば屋もうどん屋も清水の舞台から見下ろす京都タワーもあの頃のままで
自分だけがどんどん老けて行くんだよ
児童文学者で埼玉県の教育委員会の委員長も務めた上条さなえさんの本
10歳の頃、アルコール中毒で甲斐性無しでDV男と三拍子揃ったお父様と
池袋のドヤ街で過ごした日々を綴った話
借金取りから逃れるために小学校へも通えず、風呂屋へも行けず服は着たきり雀
女の子だよ
そんなお父様でも彼女にとっては大事な親
生活の足しにとパチンコ玉を拾ってお金に換える
それにしても男親ってだらしが無いね
(僕もそうだけど)
結局、養護学校に入るんだけれど
先の東京オリンピックの頃、昭和の39年頃までこの様な貧困家庭の人も多かったと思う
平成天皇陛下と美智子皇后が出会った軽井沢のテニスコートの恋なんて庶民には夢のまた夢で
底辺の人間なんて明日をも知れない生活をしていたんだ
上条さんは地頭?が良くて大学まで行って教員になったそうだけれど
池袋のドヤ街でそのまま育ったとしたら悪い男に騙されてどんな目に合ったか知れないね
ようやく読み終えた、北原亞以子さんの遺作らしい
秀吉時代にポルトガルからもたらさた、ぎやまんの鏡を題材にした話
最初にこの鏡を手にしたのは秀吉の正妻おね
それからいろんな時代のいろんな人の手に渡り最後は上野の彰義隊士の手に
その間250年程、茶々にお江、春日局から新選組まで
鏡を手に入れた時代の史実から人物像や人間模様までを心を持ったぎやまんが話を進めるんだ
なかなか面白い話の内容だ
ポルトガル生まれの手鏡は最初は珍しがられて太閤婦人に送られるがその後はゴミに出されたりする
鏡は声には出せないけれど持ち主を励ましたり詰ったりする
春日局以降の持ち主のほとんどは男なんだけれど
手鏡なんだから最後まで持ち主は女性にして貰いたかった
代々伝わる物って家とか絵とか骨董品があるけれど
前に住んでいた人や品物の前の持ち主はどういう人生を歩んだんだろうとか考えると面白いよね
さっき有線から流れて来て初めて知った・・けっこうノリノリの曲だね
山内惠介さんて初めて知ったけれど紅白も10回近く出場しているんだ
う~~~ん
もう一度人生がやり直せるなら歌って踊れる演歌歌手になりたい
ヒット曲を1曲か2曲出して
そいで持って日本中をドサ周りして暮らしたい
こんな事を考えるのは
もう人生も終板かも知れない