明日から新年度・・・
この怠惰な生活に終止符を打って
明日から本気モードじゃ!
・・・
節目のたんびにこんな事言ってるんだけど
毎年の事なんだが
春が来て桜の花の咲く頃になると
たまに情緒不安定になるんだけど・・・
わし・・・だけかな?
だけどこんなに初老に近いおっさんになって来ると
なんでも来んかい!
とか思ってしまう時もある
ふぅ~~~
毎年のように花見に出かけるが今年の天気はどうかな?
何年か前は冷たい雨だったんだよな
今年の花見の計画は
一人でゆったり見られる桜を探して出かけようと思っています。
酒とつまみ持参で出来たら風呂屋が近くで
あるかな~♪
今日もいろいろ何やかやと
もうそろそろ人生の‘終活,の助走に入る時期かと
もう同じ場所で
同じ仕事を
ずぅ~~~~~~と
してるけど。。。。
もう飽きた!
この先、自分の希望を言えば
誰も知り合いのいない古い温泉街のホテルに住み込みで掃除のおっさんとかで働きたい
それでたま~にリクエストがあったりすると‘もみもみ,のバイトなんかして
夜中に自分が掃除をした露天風呂の一番湯に入って夜空を眺めながら
「お~~今日も一日終わったな~♪」
とか言ったりして
でも
現実問題として田舎の両親の介護とか
広大なボロ家の処分問題
etc
気楽な終活なんぞ望めんな
30年以上前、20歳の時に大阪から上京しました。
アパートが渋谷の代官山にあったのでヒルサイドテラスでよくお茶を飲み
西郷山公園に上京している同郷の連中と集まって青春してました。
その頃の写真を見たらほとんどの奴が髪にパーマをかけているんですね
たぶん、今の時代あの髪形をしてたらおかしいですよ
原宿でタケノコ族が踊ってたけど阿波踊りは参加できてもこっちは絶対ムリだなと思いました。
上京して初めてケンタッキー・フライド・チキン食べた時
「こんなうまいもんが世の中にあったんか!」と驚きました
回転寿司屋で大阪では見かけなかった‘納豆巻き,を初めて食べたんですが・・
「よくこんな不味いもんが食えるな!」と驚きました
ははは!
今は朝食に納豆を欠かしたことがありません
今日は朝から雨
晴れていてもお客さんが少ないのに
今日は加速が付いた暇
今日はうちの唯一残ったスタッフで大御所のパートさんの出勤日
パートさんは出勤するや受付に座って‘スマホ,
僕はベッドに寝転んで読書
お客さんがいないもんだから他愛のない世間話をチラホラ
パートさんがぽつりと・・・
「つぶれそうでなかなかつぶれないね」
「あと何か月ぐらい大丈夫かしら」
「ははは」
(ふつうこんな事言うか?)
他人事やもんな
最近、テレビに映る政治家って偉そうな人ばかりだな
○○学園問題なんて皆、保身、媚びへつらい
弱い相手には脅し
他人を脅す奴なんて最低
相手を指さしながら話す奴も同じ
この問題で一番貧乏くじを引くのは工事関係者
それも下請け孫請けだ
立場の一番弱い人にシワ寄せが行く
入ってくるはずの金が貰えない人だっているだろう
職人の‘一人親方,なんて誰も助けてくれない
もし親方に私立の高校や大学の入学予定の子供なんかがいたとして
その子の入学金や授業料が払えなかったとしたらどうするんや!
「とうちゃん、金が払えないから学校やめてくれ」
こんな事言えるか!
こういう状況に陥る人もいるかも知れない
毎日、エラそうな事言ってふんぞり返っている連中なんて
所詮、他人事
底辺の国民なんて知ったこっちゃない
卒業式に他の子が皆、袴を着て
「袴が着たい」
と言う娘に
「モンペで我慢してくれ」
なんて言えるか
19歳の一時期、出来ない土木作業員として天六の商店街なんぞを闊歩していた
「このボケ!なんぼ言うたら分かんねん」
「工具の名前ぐらい覚えとけドアホ!」
とか毎日怒鳴られ、いびられながら
それでも土方を辞めずにかわいいアイドル顔!の青年は
海千山千の土方のプロの中でもがいていた
「ええか、飯屋に入ったら最初に手元(助手)が皆に茶ぁ~つぐんや」
「きっちゃてん、に入ったらタバコ盆皆に回すねん、ええか分かったんかい!」
それでも毎日、仕事前に喫茶店のモーニングサービスを食べに入るんだが勘定はいつも先輩土方が払った
仕事に慣れた頃、飯屋で割りばしを咥えて片手をズボンのベルト下に突っ込んでいる自分がいた
(わしもいっぱしの土方や)
20歳の頃
かわいいエイドさんとして病棟勤務をしていた
「ひろ造くん、ちょっとこっちの患者さんのお尻を持ち上げてぇ」
「は~~~い」♪
とか何とか言いながら
真っ赤なスタジャンを着て銀座を闊歩していた
看護師さんに
「エイドって助手の意味じゃないですか、大阪の土方の世界では‘手元,って言うんですよ」
「ははは」
とか何とか言ってたな
あの時、大阪を脱出して良かった
ふぅ~~~ん
今度、星野リゾートが新今宮の駅前にリゾートホテルを建てるのか・・・
昔、まだ10代だった頃
生まれて初めてのバイト先があいりん地区三角公園横の工事現場だった
ディープもディープ
たぶんあの頃の日本一のディープな場所やったんと違うかな
そこの現場を右も左も分からん
今やったらスーパーでかわいいエプロンを着けて
「いらっしゃいませ」
「ありがとうございます。」
とか言う
レジ打ちがとっても似合うような青二才の青年の最初のバイト先があそこだった
まだ薄っぺらかったバイトニュースの
「簡単な軽作業」に釣られたんだけど
「しょうれん、とれ!」
「しょうれん、ってなんですか?」
「あほ!そこの先のとがった鉄棒や!」
(そんなもんわかるかい、どこが軽作業じゃ)
とか思いながら、それでも日銭が欲しくて辞めないで行った
いつの頃からか仕事の役に立たなかったので現場の‘見張り番,に回された
昔は警備員なんていなかった
・・・たぶん
もう立ってるだけで
しょんべん臭うて
臭うて
その時ふと思ったんだけど
将来、きっと自分もここの住人になるんだろうな
・・って
あそこは嫌じゃなかったな
日曜日に芝のお寺でお墓参りをしていてふと気づいたんだが
小さなお寺なのに参拝の人がやけに多いなと思った
そう言えばこの日はお彼岸だったんだ
その割に僕が参拝した明治維新に自刀した若者たちのお墓や
寺の奥にひっそりと集められた土佐の侍たちのお墓には線香一本も手向けられてなかった
イギリス留学を前に切腹をさせられた4人の若者の話なんて高知県人でさへほとんど知らない
僕は仏さんに引っ張られたのかな
彼岸に誰もお参りする人のいないお墓なんて・・・
そう言えば田舎のうちのお墓にもお参りする人もおらんやん
じいちゃん、ばあちゃん、兄貴ぃ~~
すまん
昨日の日曜日はいつもの下町じゃなくて都心に向かいました
日曜日の都心は人が少なくて落ち着きますね
この日向かった先は芝の安養院と言う小さなお寺です。
あまりに小さくて場所が分からなくて他所のお寺の住職さんに道を尋ねたら
その住職さんがわざわざここのお寺まで案内してくれたんですよ
ここのお寺の片隅にひっそりと壊れかけた墓石が4っつ並んでいます。
ここに眠るのはまだ20歳そこそこの若者たち
時代が明治になって間もなくの明治3年、土佐藩士であった彼らはイギリス留学を目前に控えていました。
たぶん、選ばれたエリート達なんですね
しかし、ここが高知県人と言うか、若気の至りと言うか
正月の3日に酔って他藩の侍相手に殺傷事件を起こしてしまうんですね
その結果、藩が下した裁定は4人とも‘切腹,
まあしょうがないと言えば、しょうがないんだろうけど
おとなしくしていれば彼らの将来にどんなに素晴らしい道が開けていただろう
それも明治の世になってからの‘切腹,とは
昔から高知県人は酒でしくじる奴が多いんだな・・
(わしか)
その頃はもう土佐藩じゃなくて高知藩だったんですね
ここに来て新発見
ここのお寺の片隅に置かれてある古い墓石って土佐藩士ばかりなんですね
それも時代の古いのばかり
ここのお寺と土佐藩のつながりは分かりませんが
きっと何らかの関係があったんでしょう
4っつのお墓に酒をお供えしましたが
酒でしくじったのに