今日の午後からはバイト仕事も断ったし何をしよかな・・・
そもそも去年の夏から土曜日は半ドンにしたんだが
その土曜に報酬の安いバイト仕事を入れたんじゃ
半ドンにした意味が分からんもんな
久しぶりに浅草にでも行くかな
それにしてもわしの周りはわしも含めてなんだが
景気の悪い連中ばかりだ
いったい今どきは誰が景気がええんだろう・・・
今日の昼は街に出た
2000円床屋だ
でも最近1000円床屋に押されて閑散としていた
新しいジョギングシューズが欲しくてヨーカ○ーに入ったけど
ほんま最近のヨーカ○ーはお客は少ないし
平日の昼間は暇つぶしの年寄りばかりやな
結局、もう少し今のが履けるだろうと買わずじまいだったが
ほんまどうなってしもうたんやろう・・・
何年前までだったか
昼休みは毎日、街のジムに通った
ジムの風呂上りに証券会社の電光掲示板眺めて
今日は○○程儲けたから寿司食って帰るか・・
ははは!今思うたら夢の時代やな
今じゃー靴買う金もあらへん
たぶん、わしだけやのーて世の中の流れがそうやもんな
今日は吉野家に寄って牛丼食ったが
吉野家は盛況だったな
吉野家栄えて国滅ぶ・・
だな
18~9歳の頃、大阪に住んでいた時に食べた思い出のご馳走は
パチンコでフィーバー当てて阪急ホテルのビフテキを食べたのと
土方の社員に連れられて環状線の玉造駅前の焼肉をご馳走になった時ぐらいか
社員は自分の入っている宗教に僕を誘い込もうと焼肉を餌に自分が食べたいのをがまんしてひたすら僕に勧めた涙ぐましい思い出がある
20歳で上京してすぐ最初のご馳走は表参道のオープンエアのパスタ店だった
同級生の大学の柔道部監督?に連れて行って貰ったんだが
夕暮れ時の輝かしい青山通りを眺めながら
(東京のスパゲッティ屋はえらいおしゃれやな)
と感動した
日曜の朝は必ず大使館通りのヒルサイドテラスでコーヒーを飲んだ
大阪にいた時は阪急うどんの‘水,だった
夜の学校の休みの日は仕事帰りに銀座のライオンかビヤホールのニュートーキョー
お気に入りは赤坂のロシア料理店、ボルシチを食べウォッカを飲んだ
初めて女の子を連れて寿司を食べたのがテレビ局の地下にあった店
カウンターで震えながらお好みで頼んだ
たぶん鮪に鯵、鰹ぐらいしか知らなかっただろう
「10万持って行けば足りるよ」と常連に聞いたので10万持っていったら
支払いは5千円だった
(店の大将に貧乏なのを見透かされたんだな)
その年の忘年会は赤坂の料亭で二次会は六本木のクラブだった
スポンサーは大学教授のDr
赤坂にはその他、郷土料理の土佐料理の店があったのでよく行った
それらも日々の食事3食がバイト先の病院で安く食べられたからだ
(この病院の賄食は最高に旨く夜間の学生にはいつも大盛りにしてくれた)
必然、外食に金をかけられた
大阪から上京して食い物が一変した
食い物バブルじゃ!
今晩、雪が降るらしい
「なごり雪」と言うイルカさんの曲がある
発売されたのはたぶん僕の中学3年の時だった
人生で唯一がんばった年
深夜放送を聞きながら受験勉強に打ち込んだ
その頃、流れていたのがこの‘なごり雪,だ
(東京はどんなとこなんやろう・・・)
神田川に青山通り、池上線、
ラジオから流れるフォークソングの歌詞は田舎の少年の想像を書き立てた
しかし少年は漠然と自分が将来東京に住む事は無いだろうと思った
この田舎の小さな町から出て向かう先は皆と同じように大阪
それも叔父さんや叔母さんの住む千里ニュータウンの団地で家庭を持ち
盆暮れに大阪弁になって田舎に帰省する自分の姿を描いていた
業界が斜陽どころか転落状態
もう今の仕事を清算して来年にでも田舎に帰ろうと思ってから更にお客様が減少した
仕事に対しての取り組み方が微妙にお客様は分かるんだろうな
両親が二人共要介護状態、数年前に同居の兄が親より先に逝き
親を近くで看取れる者がいなくなった
子供達も社会人になったし
いざ田舎にUターンっと言っても
たぶん現在より過酷な生活になるだろう
これは火を見るより明らかだ
雇っていただける資格は有してはいるが
いかんせん
社会人人生で組織に属した事はほんの数年
人に指図された事なんてほとんどない
特殊な環境で生きて来た
パートさん達に
「僕、雇われても半年持たないかも知れない」
って言ったら
「無理無理!せいぜい2週間」
って言いよる
(普段、どんな目でわしを見てるんだろう)
ネックは施設に属する人間関係だけじゃなくて
うちの田舎の様な閉鎖的な村社会に戻る事から生じる
息苦しさだろうな
都会と違って住民が知り合いばかりで
秘密保護法なんて何の役にも立たない
きっと暇な住民の‘あら探し,に晒されてしまう
自分自身の昔の悪行を覚えている連中もいるやも知れん
だけど帰って少しでも親孝行が出来て
自分自身の生業を考えたら
来年辺りがラストチャンスかも知れない
「おかあちゃ~~ん!」
今日はニャンコの日だそうですが
昨日三崎港の路地裏に真っ白い猫がいました。
みさきまぐろきっぷでお寿司屋さんのカウンターで寿司を頂きました。
久しぶりの回らない寿司
熱燗450円も安ぅ~~
そうそう三浦海岸駅で河津桜のお祭りが賑やかに行われていました。
満開~
近くのホテルのフロントのえびすさんに大黒さん
御利益があるかな~?
最近、貧乏神に憑かれとるから
無理やろな
ホテルの風呂に入ってから帰って来ました。
それにしても‘みさきまぐろきっぷ,ってお得~♪
電車乗って、バス乗って、飯食って、風呂入って
3060円
帰りに地元の居酒屋で一杯飲んで帰ったら居酒屋の支払いの方が高かった
昨日の休みは三浦半島に行きました。
小網代の森を抜けた入り江にはこの時間僕一人だけでした。
天気も良くて、少しでも憂鬱な日々から離れられて良かったです。
昨日は多くのヨットやクルーザーが海に出ていました。
これだけ見ると地中海のような・・・
行った事無いけど
最近、お昼のワイドショーとかちらりと見たら
自民党の幹部クラスの議員の失言が取りざたされている
言葉尻を捕らえて叩く
夢中になって叩く
あんなもん一生懸命にやっても選挙の得票なんか伸びんだろう
それより口利きとか一生懸命追及した方がええような気がするんだが
たまに国会中継なんぞ見たら
どっかで与野党が後ろで手ぇ握ってるんやなかろうかと
詮索してしまう
何だか何もかも嫌になって来た。
特に仕事が嫌だ
もうここまで落とすかな・・・
てなぐらい
毎日、お客様の不信感との戦いだ
でも悩んでいるのは自分だけじゃない
神様は公平だ
総理大臣も
スーパースターも
わしみたいなアホでも
一日は24時間だし
いつポックリ逝くかも同じ
いい気になってると必ず足をすくわれる
人生は必ず辻褄が合うようになってるんや
ようわからんが
帰ろう
春一番も吹いて
日の出も少しばかり早くなり
草花の新芽も芽吹きだした
大学受験ももう終盤だろうか
自分自身、数十年前数度の受験を経験した
大阪、神戸、京都、
どこの大学を受けてもどこも受からなかった
ただ働きたくなかった
勉強もしたくなかった
パチンコは辞めれなかったな
パチンコに嵌ってその日食う金も無くて
しょうがなく釜ヶ崎で土方をやった
釜ヶ崎は土方天国だった
土方は地下足袋だと思っていたら安全靴だった
小汚いヘルメットかぶってズボンのベルトの下に手ぇ突っ込んだら
(かっこええや~~ん)
一膳飯屋は土方ばかりだった
歯が無いのやら小○が無いのやら
先輩連中と一緒に飯食ってると
それでも何故かしら
(わしらは土方じゃ!)
ちょっとした‘連帯感,があったような気がした
「あほ!ぼけ!カスッ!」
・・は
「おはようさん、ごきげんいかがですか」
と同じ言葉だと知った
思い出すのにあそこのコミュニティは‘ウブ,で役立たずの青年に手は差し伸べないが
クビは切らなかった
出来ない奴は出来ない奴でしょうがないと思っていたんだろうな
でも2か月しか働かなかったから役立たずのままだった