昨日は天気が良かったんで鎌倉に行って来ました。
神奈川県は2週連続です。初めて北鎌倉で降りました。
駅の目の前の円覚寺さんです。新緑に包まれて小鳥のさえずりがうるさいぐらい
禅修行なのかお経と太鼓の音がします。
私も昔、週に1度の禅修行を受けた事がありますが3回程で脱落しました。
国宝の鐘の前に国のクズ?がいました。
この日はお寺巡りのハズ!だったんですが円覚寺さんだけでお寺はお腹一杯になりました。
鎌倉は寺ばかりだもんな
ここで一句
「円覚寺ケロケロケロと雨蛙」
雨蛙がいっぱい鳴いていた
とっとと鎌倉駅にバスで行って鎌倉文学館に向かいました。
ここは確か25年ぶりですね・・
今度来るのも25年後でええです。
ここの文豪の資料より庭のバラの方が自分は気になりました。
江ノ電に乗って湘南の海を眺めます。
電車も車も海の中も一杯でした。
江ノ島の岸壁で缶チューハイを開けゴロンと昼寝をして来ました。
皆、上半身裸でした。
やっぱ海はええな
娘達の初月給で買ってもらったSUSgalleryのチタンタンブラー
数年前日本で行われたApecの引き出物で前から欲しかった
ワインなんぞっちゅーおしゃれなもんは飲まん
焼酎じゃ
タカラの缶チューハイ
缶チューハイ会のドンペリ?
ボロは着てても~♪酒だきゃ~止めぬぅ~♪
いつだか忘れた数日前の朝ごはんです。
さつま揚げの事をうちの田舎では‘天ぷら,と言います。
それで普通の天ぷらも天ぷらなんです。
ちなみに‘かき揚げ,の事も‘天ぷら,と呼びます。
トンカツはトンカツなんですね
・・・
別にどうでもいい事なんですが
今朝の朝ごはんです。
誰かに頂いたタケノコご飯にタケノコの土佐煮?です。
後はメザシに大根おろしにタクアンに納豆
this is 日本人飯ですね
なんやわからんが
数日前の早朝いつもの散歩コースから撮りました
かれこれ30数年前からここを歩いています。
このコースはほとんど景色は変わりませんが
僕自身は確実に老いが歳を重ねています。
畑の雑草の中にアヤメを発見しました。
こう言う自然の変化って嬉しいですね
昨日は山下公園に行きました。
たぶん30数年ぶりです。前回は在京の高校の同級生たちと来ました。
その時は皆学生でした。今は皆疲れたおやじです。
赤い靴のみき?ちゃんは諸説ありますがここ横浜港から船でアメリカに渡らなくて
麻布十番の孤児院に引き取られ病気で亡くなったそうな・・
全国に赤い靴のみき?ちゃんの銅像は5~6体あるそうです。
あやしい黄色は昨日横浜に出没していました。
氷川丸を見学しましたが前回横須賀で乗った三笠よりは良かったです。
軍艦に夢や希望は無いもんな
昔の客船にはロマンがありますもんね
・・・と軍艦好きがほざきます
伊勢佐木町に寄ってきました。
あなたぁ~~♪知ってるぅ~~♪みなと横浜~~~
うちの父が好きだった青江三奈さんの伊勢佐木町ブルースの舞台です。
街の灯りがとても綺麗ねぇ~♪横浜~♪
とか横浜は昭和を代表する歌に唄われています。
やっぱ港だよな
10代最後の初夏
この時期、恋に遊びに勉強にと人生の黄金期とも言えるだろう
僕はこの時期、大阪で汗と埃にまみれて土方仕事にのたうち回っていた
その日はヘドロまみれでガスが発生しそうな受水槽を掃除していた
(アカン、こりゃ死ぬかも知れん日当4千9百円で死んだらしゃれにならんな)とか思いながら仕事をしていた
監督のシゲやんは自分じゃ入らずに上から覗いていた
「ひろ造、ちゃっ!ちゃっ!とやらんかい、」とかいつも怒鳴っていた。
ようやく片付いて穴から外に出たらシゲやんはいなくて
にこにこした知らないおばさんがいて
「兄ちゃん生命保険に入らへんか」と勧誘された
僕もそれもそうやなと思って田舎の母に相談したら怒られた
仕事が終わったら天六の商店街にあるパチンコ屋に直行した
その頃、パチンコの革命とも言われるフィーバー台が登場して
座る台も無いぐらい繁盛していた。
店に入ったら土方仲間が皆打っていて
泥まみれになって稼いだ日当はいつもあっという間に無くなった
毎日、(わし何の為にどやされながら働いているんだろう)と思った。
10代最後に暮らした大阪
パチンコでたまに儲かると元禄寿司に冷えたビール
阪急百貨店のビフテキ、三番街のお好み焼きにクリームソーダ
御堂筋の並木が新緑に輝き地下街から出される熱風が気になりだした頃また大阪の暑い夏が来る
その頃はコンビニがまだ無かった
昼はめし屋でショーケースの中からサバの味噌煮や冷奴など自分の好きなおかずを選んでその分のお金を払う
作業着を来て皆に混ざって割りばしを食わえておかずを運んでいると
(わしも一人前の‘土方,やな)とか思った。
大学に落ちて取り敢えずバイトでもするかって感じでバイトを探した。
生まれて初めての仕事だった。給料の一番いいとこを探したら
仕事内容が「簡単な軽作業」とあった。
事務所の佐々木さんに連れられていかついおっさんのところに行った
「シゲやん今日からちょっとお前んとこの手元(てもと)で使うたってくれんか?」
(てもと・・って何やろ?助手って言うんやないやろか?)
と思った
仕事を始めたら案の定、くその役にも立たなかった。
会社もええ迷惑だったと思う
職場にはいろんな人がいた
同じバイトに吉岡さんがいた
歳は僕より5~6歳上だったと思うが
いつもにこにこして人当たりが良かった
給料日にバイト何人かを飲みに連れて行ってくれた
生まれて初めて女の子が横に付く店だった
こんな世界があるんやなと思ったが
支払いは吉岡さん一人が払った
吉岡さんは給料日に貰った給料を全部使った
吉岡さんは何でも前の会社で大きな交通事故を起こしたらしい
人生をもう捨てていた
その後、数日して会社に来なくなった
一番仲の良かったのは同じ歳のウメだった
ウメがある日こんな事を言った
「佐々木さんが昨日わしのアパートに酒持って訪ねて来てな」
佐々木さんは事務所にいて会社の幹部だった
包容力があって自分らバイトにも優しくて僕も尊敬していた
「佐々木さんがわしに正社員にならんかって言うんや」
「佐々木さんお前の事も言うとったで」
「あいつはあかんたれやって」
「わはは」
僕はやっぱりなって言う思いと少しだけ寂しい気がした
使い古しの汚れた作業着を来て僕はその場所に立っていた
何処からか乾いたしょんべんの匂いがした
しょんべんの臭いはその公園の周り何処へ行っても漂っていた。
寝そべってフェンスにもたれかかった親父が乾いた咳をした
咳をしながら酒を煽っていた
酒を飲みながらまた咳をした
生きているか死んでいるのか寝転がって身動きしない人がいた
ここでは他人に関心を示さない
人だかりはオイチョカブだ
カモはあっという間にその日の日当を巻き上げられる
僕はただぼーと突っ立ってその光景を見ていた
「兄ちゃんこんにちは、今日は仕事無いんかい」
あやしいおっさんが言葉をかけて来た
「僕ぅ~今日の現場ここですねん、監督がお前は役に立たんから昼休みに現場の見張りでもしとけって言うもんやから」
「ふーん、日当なんぼ貰うとんねん」
「4900円です」
「安うっ~~そりゃ安いな、わしんとこの飯場入ったら日当5000円やで」
あやしいおっさんは片手を開いて見せた
その時、監督のハゲのシゲやんが昼飯から帰って来た。
関大の2部学生のウメとシンナーを吸いすぎて歯抜けが目立つ村上も戻って来た。
あやしいおっさんは
「けっ!」と言ってどっかへ行った
ハゲのシゲやんが言った
「お前タコ部屋に送られるとこやったぞ」
「ははは!」
皆で笑った
「そやけどひろ造やったら役たたんからタコ部屋放り出されるでぇ」
歯抜けの村上が言った
「ははは!」
皆でまた大笑いした
機嫌悪そうな顔で吉田も昼飯から帰って来た
吉田はいつも偉そうにしていた
どこぞの組に出入りしていて背中に墨まで入れていた
かと言って組の電話番は避けていた
根性なしだがブロック積みで鍛えたばか力は侮れなかった。
「帰りに新地に寄ってみんか」
ウメが言った
「寄ってどないすんねん、わしら皆、金無いやん」
「ははは」
また皆で笑った
皆、その頃流行っていたパチンコのフィーバー台にその日の日当をつぎ込んだ
村上は借金取りが現場まで来て頭をこづかれていた。
全然、仕事の役に立たなかったけれど会社は僕をクビにしなかった
2度目の大学受験に失敗して生まれて初めてアルバイトをした
とりあえず一番給料の高い所を選んだ
その最初の現場が釜ヶ崎だった