HIROZOU

おっさんの夜明け

腕が痛い

2018-11-30 14:58:21 | グチ

最近、仕事が暇だから午前中11時半の時点でお客さんがいないと閉めて昼休みにしている

3時まで昼休みだから

長いぞ

そうしたところ今日の11時半にIさん来店

ヨロヨロと4点杖を着いて、ものすご~~~~~くぅ!

動作が遅い

もう90過ぎじゃ

転ばないのが不思議なくらい

まっ!電気10分かけるだけだからええか

そうしたところ・・

電気かけてる途中で

「12時までに耳鼻科に行かにゃならん」

うちから耳鼻科まで普通の足で5分ぐらいだからIさんの足でも大丈夫か・・・

でも坂道でビルの2階までエスカレーターで上がらないといけない

(まっ!ええか、わしに関係ないし、うちから外に出たらこっちに責任無いし)

わしも12時までに床屋に行きたいし

そしてIさんが終わって僕も着替えて外に出たら

Iさんがまだほんの少ししか歩いていない

とてもじゃ無いが12時までに耳鼻科に間に合わない

Iさんの脇を知らん顔して通り過ぎようとしたら・・・

Iさんがわしに・・

「助けてくれ~~!」

言いよった

しょうがないから耳鼻科までひきずって連れて行った

腕やら腰やら痛うなって

えらい目にあったわい

タクシイ・・頼めよ!

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花盛り

2018-11-30 08:22:13 | 植物

        

庭の花は絶やした事が無いですが、ここんところ玄関の花も盛りです。

娘の職場の部署移動と女房の誕生日祝いの花が友人から届きました。

私は女房に一切プレゼントをした事がありません

もちろん私も貰った事がありません

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口パク

2018-11-29 17:23:18 | グチ

うちの仕事が潰れたら前の職場で雇って貰える算段が付いている

医療法人でいくつも関連施設を持っているから何処かに潜り込めるだろう

事あるごとに義理を欠かした事が無かったかし、お客様の行き来をさせていた

でもたとえ雇って貰えたとしてもすぐに辞めてしまうだろう

だって組織や人間関係が嫌で辞めたのに

またその組織に戻っても続かない

もう30年自営を続けているけど

もうダメぽー

小さい頃から群れるのは苦手だった

学校も嫌い、でも現代のように登校拒否なんて出来なかったから

毎日、嫌々行ってた

授業中も授業なんて聞いて無くて黒板を見ないで

学校の隣の畑に肥を撒く‘肥かつぎ,の‘たごやん,をいつも眺めていた

そうしたら先生が

「このボケー!わしの授業が可笑しいて聞けんちゅーのか、おう!」

「聞けへんのんやったら聞けるようにしちゃろーか」

まるで帝国陸軍の上等兵が新兵教育をしているようなビンタを咥えられた

そうすると他の同級生達の・・

えへへ・・(またこいつ叩かれちょる)

ニタニタと嘲笑の眼差しが注がれた

中学生になるとどれか運動部に入らなければならない

僕らの頃は帰宅部はそんなにいなかった

バスケット部に入ったんだけど

協調性が無いもんだから

皆と一緒に掛け声なんか出せない

監督かコーチか知らないけれど

「ええか!お前ら」

とか言うと

皆、いっせいに

「はい!」

と言って気合を見せるんだけど

僕は

小さい声しか出なくて

‘口パク,にしか見えなかったようだ

ここでも毎日、先輩?連中に殴る蹴るの制裁を受け

ますます組織が嫌になって

現在に至ってるんだな

ははは!

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何だか

2018-11-28 12:53:03 | グチ

                    

お昼に自宅に帰ったら、盛りが過ぎてもうすぐ枯れ落ちそうなお花に

アゲハ蝶がとまっていました。

何だかいつ潰れてもおかしくないのに仕事にしがみ付いている自分を感じました

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昔ばなし

2018-11-27 11:40:48 | 妄想

海から冷たい波風がビュービューと岩場に吹き寄せる

ガタガタと震えながら玉菊は対岸の港の灯りを恨めしく睨み付けた

もう3日以上食べ物も口にしていない

それに自分以外の人間は誰もいない

ただ目の前は陸地を隔てる海がある

雨風をしのぐような場所も無い小さな島に置き去りにされて

玉菊はひたすら今しも狂いだしそうな憎しみと絶望感に苛まれていた

江戸時代、対岸の小さな港町は大阪と土佐を結ぶ樽廻船が出ていて

この港を出て浪速の町で行商する商人も多く行き来していた

そんな商人の中に魚を扱う淡路屋がいた

淡路屋は浪速の町で一旗揚げて意気揚々と故郷の港町に錦を飾ろうと

色街で身請けした玉菊と言う名の遊女を女房にして玉菊を伴って船に乗った

船が浪速の港を出て幾日か経った頃

淡路屋は故郷の港町の掟を思い出した

この町に住む者はこの町以外の他所の土地から嫁を迎えてはいけない

淡路屋は船が港に近付くにつれ不安になって一計を案じた

港の入り口に葛島と言う無人の島があって

島がこの港を天然の防波堤のように荒波を防いでいた

葛島から港の岸までは大人の男だと泳いで渡れる距離だけれど

泳ぎを知らない女の身だととても泳ぎ切ることはできない

そこで淡路屋は船をその島に着けてもらい

「すぐ迎えに来るから」と玉菊を島に置き去りにした

置き去りにされたことに気づいた玉菊だがどうしようも出来ない

食べ物も無く磯に降りて海藻や貝を拾って口にした

しだいに着物は乱れ髪は解れ体は薄汚れ

何日か経つと乞食か狂人のように見えて来て

とうとう終いには島に近付く漁船の漁師に島の岩に立つ玉菊は幽霊に見えた

葛島に幽霊が出ると言う噂が漁村に流れ

玉菊が泣けど叫べども船は近付いてこなかった

何年かたってそんな噂も消え玉菊の姿は島に見かけなくなった

そしてある嵐の晩

港の近くの浜辺に玉菊が大蛇の姿となって現れたそうな


最近、テレビがつまらんからユーチューブでまんが日本昔話ばかり見ていたから

故郷の昔ばなしを私がアレンジしました

暇やな

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2018-11-26 17:35:07 | Weblog

うちの娘はカップきつねうどんが好きでよく赤いきつねとか買って来る

しかし、きつねのお揚げさんはいつも残す

聞くと

きつねうどんは好きだけれど、入ってるお揚げさんは嫌いなんだそうだ

昨日、女房が柿の種のせんべいを食べていて

ふと見ると

ピーナッツを残している

なんでも柿の種のせんべいは好きなんだけど

ピーナッツは嫌いだそうだ

・・・

親子~

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朝ラー

2018-11-25 08:00:11 | 朝ごはん

                   

今朝は朝からラーメンです。

最近の生ラーメンはけっこう安くておいしい

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分からん

2018-11-20 08:58:44 | 朝ごはん

        

今朝の朝ごはん、うどんに昨日作った手羽元のポン酢煮を入れたら旨かった   

何故か写真が縦置き

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安上がり

2018-11-19 08:07:19 | 徘徊

                      

昨日は東武鉄道の曳舟の駅で降りて初めて鳩の町商店街に行きました。

朝時間が早くてまだお店も開いていませんでした。

とっとと通り過ぎました。

         

それから浅草に向かい、いつもの場所で

昨日はスカイツリーのお店で持ち帰り寿司を買って途中のコンビニで缶酎ハイを買って

ユリカモメを見ながら一杯~♪

それから六区に向かいまるごとにっぽんの外のテーブルで徳島の竹輪をアテに一杯

最近、浅草に行くと必ずここの外テーブルで酒を飲んでいます

一番安上がり

とうとうお店にも入れない貧乏人になってしもうた

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仕事しなくっちゃ

2018-11-15 09:21:24 | メモリー

地下の駅から地上に出るとピューピューと木枯らしが四条河原町の雑踏に舞っていた

ズズーと鼻水をすすった

肩を丸めポケットに両手を入れて足早に向かった先はいつものパチンコ屋

開店と同時にいつものお気に入りのパチンコ台に向かう

たとえ、その日にお気に入りの台が調子良く出たとしても

結局は有り金が無くなるまでパチンコ屋から出る事が無かったので店が損をする事は無かった

昔々、19歳の今の時期

どういう理由だったか京都のパチンコ屋に毎日通った

当時の大学受験は1年や2年の浪人は普通だったので

受験勉強もほとんどしていない僕にとっても幾らか精神的に余裕はあったとはいえ

さすがに19歳のこの時期にパチンコ屋通いはやばかった

でも、今思い出して見ると孤独好き?の僕にとってあの時期は楽しかったのかも知れない

時間にも誰にも束縛されず、他人の目を気にしないで

ふらふらと京都の町をさまよった

・・・

そうだ京都行こう!



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