今朝は塩シャケ・・昔風の塩っからいシャケです。わざわざ探し出して買っています。
最近、店頭で見かけなくなったのが分かる気がします。
塩・・食べてるようなもんやもんな
でも・・旨い
今日は午前中仕事でこれから自宅の片付けの予定です。
酒・・飲んでひっくり返ってた方がラクなんやけど
今朝は‘すきや,で朝ごはんを頂きました。まぜ・・・なんとか朝食です。
半熟たまごにオクラ、小鉢の牛皿、に味噌汁・・ご飯が一杯だったのでオクラと牛皿にご飯を半分づつ
お腹が一杯
これで税込302円・・個人の店なんてかなわんな
今朝は4時に起きて8キロのウォーキング
それから庭の草取り
これから自宅の掃除・・・をしようかと思っているが
ちょこっと疲れた
掃除辞めて
風呂屋にでも行くか
今朝はうどんにしました。関東風の出し汁です。具の多さから器はラーメン用です。
具材はワカメに豚肉、卵に焼き餅、ネギと茗荷、天かすを散らしてあります。
今晩は唯一楽しみにしているテレビ番組「太川と蛭子のローカル路線バス」があります。
飲みに出かけないで家でご馳走を用意して見ようと思います。
昨日の朝ごはんです。相変わらずプレートが汚いままです。
どこの店のプレートじゃ・・
今朝の朝ごはんです。本当は今朝はうどんにするつもりでしたが
賞味期限切れの豚肉ともやしが残っていたんで残飯整理にもやし炒めを作りました。
朝のウォーキングの途中に団地から昇る朝日を携帯から撮りました。
この地でもう30年この景色を眺めています。
そろそろ逃げ出したい
今日は役所で介護の会議があった
会議室に入ってある事に気が付いて(しまった・・・)と思った
靴を取り換えて来るのを忘れていたんだ
いつも履いているボロ靴は朝のウォーキングにも使っていて、おまけに春先は蒸れて強烈な匂いを発している
パートさんと同じ靴箱に入れるのを悪いから外に出してるぐらいだ
会議は同じテーブルに6人が向かい合って座るんだけど時間の経過とともにジワジワ足が蒸れて来て
臭いが部屋に充満しなきゃいいがと議題より今日はそっちばかり気になっていた
足もそうなんだけど高○県人だからニンニク好きなんだよ
もうカツオの刺身なんかスライスしたニンニクを山ほど入れてネギや茗荷と一緒に食べる
客商売だから牛乳飲んだり高い口臭止めのクスリ飲んだりして自分じゃ完璧だと思ってあくる日に職場に行くとパートさんが
「チョーにんにく臭い!」とか言うわけ
それでいてもうおっさんだから加齢臭もあるし
おまけに風呂ギライときてるから
この臭いが混ざり合ったらどんな臭いなんだろう
たぶん史上最強だろうな
自分じゃ前世は‘乞食,だと思ってるぐらいだから自分じゃあんまし気にならないんだよな
たまに自分の靴下をクンクンして(くっさ~~~)とか思いながらも
もう一度クンクンして悦に入ってる自分がいたりするんだよな
これがまた
今日も花子とアンを見た
花子が大変な状況に陥っている
花子が蓮子さんにワインを飲まされたわけだが
当時の食事事情なんかどうなんだろう
明治時代の食事事情は地域によって差があったようだ
地域差は主食にコメが入っている割合だ
コメ以外に麦や粟、稗の雑穀の混ざる割合だが
だいたいコメは50パーセントぐらいでその他は雑穀が占めていた
そう言えば‘おしん,がダイコン飯を食べてったっけ
副食のおかずはせいぜい野菜や漬物程度で肉や卵と言った高級品は都市部の一部の富裕層で食べられていただけだ
僕が小学生時代の昭和40年代でも干物や漬物が主体で
肉や卵が食卓に頻繁に上る様になったのは昭和も50年代に入ってからだと思う
花子が寄宿舎に入ってナイフとフォークで食べる洋食に驚くシーンがあったけど
そりゃ驚くわな
今朝、小雨降る森の中でこんな花を見かけました。
春は花の種類が多いですね。
畑ではえんどう豆も花を咲かしていました。
今日も花子とアンを見ました。学校では紫式部からロミオとジュリエットまで勉強してるんですね
しかし明治40年代こう言った環境の女性達はごく稀な存在ですね
一般的な女性達は貧困とかに喘いでいた時代です。花子の妹は製糸工場に女工として働いていますが
女工の労働時間は一日に14時間以上、休みは盆暮れだけ寝床は豚小屋と同じ賃金に至っては
(一日6銭弱、米約半升の値段)1年働いても20円は貰えなかったそうだ
仲間さん演じる蓮子さんのモデル柳原白蓮さんが嫁ぎ先に持って行った調度品と宝石が5万円
嫁ぎ先から得た土地家屋株券などの総額が200万と言う事だから当時の貧富の差がどれ程だったか
しかし明治の後半には識字率が大幅に向上するから後の大正デモクラシーなど文化が生まれ
活字による情報を得る事で一気に社会生活も向上していったんだな
教育によって庶民が夢を持てる時代にもなったんだな
昨日は久しぶりに浅草に行きました。生憎の天気でした。
一昔前、写真のこちら側はホームレスの青いテントが数多く立っていましたが現在はありません
世の中の景気が良くなった訳ではありませんナマポ・・・って言うんですか
底辺な人間は貰いやすくなったんです。その他いろんな福祉施設なんかも充実しています。
だから今は青テントなんかに住んでられる方は‘変わり者,が多いんですね
今日、中途半端な貧乏人より無いなら全く無い人の方が恵まれているかも知れません
今日の‘花子とアン,の中で仲間由紀恵さんが
柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君・・・と読みました。
与謝野晶子さんの詩だそうですが意味が分かりませんでしたが
不甲斐ない男の事を詠んだ詩なんだ
みだれ髪な中の一節だそうですが・・・
能書きばかり多くて行動力な無い現代の若者に多そうですね
今朝の朝ごはんです。ご飯の隣の得体の知れないものは‘サンマ丼,の具です。誰かがパチンコの景品で貰って来たのを頂きました。
如何にも不味そうなんで取り敢えず一口食べてからご飯に乗せました。
案外いけました。
しかし買ってまでは食べませんね
今日の花子とアンは妹が製糸工場の女工として出発して
花子は帝大生からプロポーズされたのに申し出を断ります。
とっても切ないシーンやな
現代なら‘ゲット~~~!,ってところでしょうけれど
あの時代は家柄が釣り合う者同士の結婚が主なんですよね
貧乏人は貧乏人同士なんだよな
この頃のお金持ちの男の人はお妾さんを持つ人も多かったようです。
山内容堂なんて30人以上のお妾さんを囲っていたそうです。
反対に長屋暮らしの貧乏な男の人は嫁を貰う事が出来なかったそうです。
僕の時代の結婚適齢期は‘バブル,だったんでこんな僕でも嫁が貰えましたが
現在の若い人は苦労してるみたいですね
今も昔も結はも金次第なんですね
今日の朝ごはんです。シャケの真ん中が誰かのおにぎりの具になっていました。
今日は親子丼にしようとしたんでどんぶり飯です。
今日の花子とアンで花子の妹が製紙工場に働きに出る話があった。
明治42年の設定だったが明治42年と言えば日露戦争後の不景気な年代。
生きて行くのが精一杯の時代に子供に中等教育を受けさせる事が出来る家庭と言えば
地主とか医師、商家など一部の裕福な家庭に限られていた。
官立の師範学校とかに入る選択肢もあるだろうけどそれにしてもある程度の経済力は必要だったと思う
うちのじぃさんが生まれたのがこの頃でじぃさんの小学校の頃の教科書と成績表が実家にあったから貧乏人でも義務教育は皆受けたみたいだ(98%)
前にこの時代の製紙工場の劣悪な環境、一日14時間労働や病気の罹患などを読んだ事があったが
現代、食品工場を派遣で働いて女房と子供二人を普通に養う為の労働時間がだいたい一日14時間だ(14時間働かせてくれるかどうかは別として)
平成版、野麦峠だ
僕の労働束縛時間は週5日としたらやはり14時間だ(ラクやけど)
今朝は鯵の開きにキムチに納豆、アサリの味噌汁とサラダです
アサリは今が旬だとかキャベツなんかもそうですね
私の旬はとっくに過ぎてもう腐りかけてますね
今日の花子とアンの中で地主の倅が使用人3人に汽車の中で見かけた美人を
「探してくりょう~」と命じるシーンがありました。
今でも貧富の差は大きいですがあの時代の貧富の差は凄まじいものがありました。
植物学者の牧野富太郎は明治の中頃、東京で勉強するのに身の回りの世話をさせるお供を二人連れて
来ています。実家は造り酒屋ですが人件費が安かったんですね