皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

茂木町八雲神社

2018-10-09 13:15:05 | 神社と歴史

栃木県芳賀郡茂木町に鎮座する八雲神社。町内中心部にあり、ふれあいマラソンではこのお宮の前を駆け抜ける。ご祭神は素戔嗚尊。

神社由緒略記によれば「素戔嗚尊」は天地の始め、山川を治め草木をもたらし、すべての元凶である八岐大蛇を退治したという。創建は後鳥羽院の御代建久三年(1192)この地の前身である藤縄村、槻木村の総鎮守として祀られる。後の領主細川家によって本殿拝殿鳥居などが寄進され現在の地に遷宮となる。

神社創始の伝承として次のものが伝わっている。

昔藤縄村に清兵衛なる百姓がいた。川岸で肥桶を洗っていると何やら流れてくるものがある。清兵衛は柄杓で手繰り寄せると何とも神々しく感じられる。大切に拾い上げ川岸の丘に大切にお祀りすると、不思議なことに当時流行っていた疫病が治まり、作物の害虫もなく豊作に恵まれた。それ以来その祠を大切にお祀りするようになった。

これが八雲神社の起源とされている。現在も逆川のほとりには「古天王さん」と呼ばれる祠がありその後ろの丘は「古天王山」と呼ばれている。

こうした川から神様や神輿が流れてきたという逸話や伝承は非常に多い。 高鳥邦仁先生の『古利根川奇譚』には利根川流域のそうした多くの逸話や伝承が紹介されている。流れてくるのが神輿であったり、社殿であったり、観音様であったり。利根川に限らず日本全国様々な土地、河川でそうした話は残っているのだろう。ここ下野国芳賀郡においては逆川になる。いずれにしても流れ着いた場所では拾い上げて祀ったり、或は恐れをなして流れに戻すもまた戻ってくるなど、神威を感じて祀られることが多かった。古来より川の流れは多くの恵みと共に時として大雨による被害をもたらした。

昭和61年の台風10号によって茂木町は浸水しライフラインの多くが泊まるなど壊滅的な被害をこうむっている。その当時のことを伝える石碑が逆川のほとりに建っている。また町の所々には当時の水位を伝える印が残されている。

昭和19年(1944)には初代領主細川興元公を祀る大光神社を合祀している。細川家は江戸期に入りここ茂木に1万石を与えられ領主として入っている。茂木氏,須田美濃守、と三家領主が入れ替わっている。細川家はその後260年この地を治めている。

初代細川興元は、戦国武将細川忠興の弟に当たる。兄と共に信長、秀吉に仕え小田原征伐にも加わっている。兄細川忠興の妻はキリシタンであったガラシャであることは有名だ。大河ドラマ『真田丸』でも描かれていた。弟興元には嫡子がなかったため、忠興の次男興秋を養子としている。この時すでに興秋がキリシタンの洗礼を受けていたことを興元は知らなかったとされる。しかしこれをきっかけに興元自身も洗礼を受けキリシタンになっている。

秀吉没後は家康に仕えるも兄忠興と不仲になり黒田長政に頼んで出奔してしまう。慶長十五年(1610)家康の仲介で兄と和解し、芳賀郡茂木町に一万石を与えられ大名となる。一説には二代将軍秀忠は10万石の領地を与えようとしたが、兄忠興の反対で1万石に抑えられたともいわれている。その後大阪の陣にも参戦し戦功をあげ常陸筑波、谷田部を加増され拠点を谷田部に遷したうえ、秀忠の御加衆にも取り上げられている。

拝殿には神嘗祭に奉納する初穂の稲穂がかけられている。低い山間に広がる田畑は棚田を思わせる広がりで、多くの田んぼで稲刈りも済んでいた。

 

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レモン牛乳物語

2018-10-09 11:08:42 | 食べることは生きること

栃木県の小旅行からの帰り道、高速道路で休みを取ると、多くの人で賑わっていた。いつもはTVやラジオで渋滞情報を聞いているが、なぜそんなに混んでいるのに車に乗るのだろうと思ってしまう。人の生活習慣とはなかなか変えられないものなのだろう。

東京一極から地方創成の名のもとに各地の名産品がメディアで取り上げられることも多い。栃木でしか飲めない飲み物。レモン牛乳。正式名称は「関東栃木レモン」というらしい。戦後まもなく誕生した乳飲料で

宇都宮の関東牛乳が「関東レモン牛乳」として販売していた。甘いものが貴重な時代給食に出された特別な贅沢品として親しまれたという。ところが平成16年に関東牛乳は廃業しレモン牛乳は終売となってしまったが、翌年栃木乳業が製造法を受け継ぎ「関東・栃木レモン」として復活させたという。地元に愛された商品を残したい。そうした思いが詰まった商品なのだという。

2000年に起こった大手乳業の食中毒事件をきっかけに生乳100%のものしか「牛乳」と表記ができなくなり商品名から牛乳の文字が省かれたという。

豊かになった現代で甘味に対する評価は厳しい。どんなに美味いものを作っても飽きられてしまうことも多いだろう。その一方でこうした物語を知ることで味だけでなく物の歴史を知ると心も豊かになる。SAで飲んだレモン牛乳の味は甘く爽やかで、休日の混雑を癒してくれた。

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茂木町ふれあいマラソン2018

2018-10-09 09:54:45 | 日記

昨年に続いて栃木県茂木町のふれあいマラソンに参加しました。自宅から道なりで約100kmの道のりを車で2時間以上かけてたどり着きます。北関東自動車道が開通し、栃木方面へのアクセスもとても便利になっています。市民マラソン参加を再開したものの、普段は流通販売業に従事していますので日曜日の大会には参加できず、土曜日や祝日に開催される大会に絞って出るようにしています。体育の日に行われるこの大会に2年続けてエントリーできました。

宇都宮から近くツインリンクもてぎがあります。モータースポーツの町で、早朝つく頃にでも多くのバイクのライダーを見かけました。人口約1万2千人。隣接する那須烏山市は最後の忍城主成田氏長が水攻め落城後、たどり着いたところです。治承4年(1180)宇都宮宗綱の次男八田知家は源頼朝にこの地の地頭として取立てられました。その知家の三男知基は茂木氏を名乗りこの地に城を築きました(茂木城)

時代は下り戦国期に入ると常陸の佐竹氏により茂木氏は常陸国小川城に転封となり茂木氏の支配は終わります。その後佐竹氏の重臣須田美濃守盛重の支配となり、北条氏を迎え討ちます。猛勇と称された須田美濃守盛重は茂木に入る前には主君佐竹氏と共に甲州勤番をしておりその際、甲州、木曽の御岳神社に立身を祈願し、ここ茂木で城持ちとなったことを謝して茂木の巽(南東)に御嶽神社を勧請しています。(御岳神社縁起より)

 

その御岳神社の前が茂木高校で、会場の駐車場になっています。

メイン会場となる茂木中学校は東日本大会に出場する吹奏楽の強豪校です。参加者は約1500名。地元の小中学生中心ですが、一般の部の参加も各地からあるようです。

ゲストランナーはソウルオリンピック代表の宮原美佐子さん。埼玉県の出身です。現在ランニングアドバイザーとして活躍しています。ゴールまで1キロ切った付近で、がんばれーと応援していただきとてもうれしく最後まで走りきることができました。

昨年の大会から1年間さしたるトレーニングも走り込みもせず、1年ぶりに参加しました。体が資本の仕事ゆえ、万が一無理ならリタイヤ覚悟で臨みましたが、途中歩いたものの何とかゴールすることが叶いました。マラソンは人生そのものだなど聞きますが、実際にそう感じます。自己ベストを求めて、競技として時間を争う者。趣味として気持ちよく走る者、仮装して目立とうとするものなど様々です。

スタートは一斉ですので多くの人が集まり声援を受けます。走る方も元気いっぱいです。上り下りをこなし折り返し地点を超え後半になると大きな差が付き、声援もまばらです。最終ランナーが戻るころには表彰式も終わります。

それでもみなそれぞれのペースで走っている。ほとんどの人が苦しくもそれぞれ走る充実感を味わっている。3km・5km・10kmと走る距離も異なります。興味のない人からすれば、何が楽しくて走っているのだろうということになりますが、走る喜び楽しさは何事にも代えられないられないと感じる人も多いのでしょう。私もその一人。

昨年よりも記録は遅くなりましたが、完走証ももらい無事にレースを終えることができました。

走ることが好きです。子供のころからずっと。いつまで走ることができるだろうなどと考えていますが、周りには60代70代で颯爽と走っている方が大勢いました。もちろん私よりもずっと早いタイムで。まだまだ頑張らねばと思うばかりです。

 

 

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