昭和50年北海道南茅部町から出土した中空土偶は現在北海道唯一の国宝にしてされていて、縄文文化を学ぶ上で非常に重要な資料とされている。
当時の発掘は偶然の産物で、農作業でジャガイモ畑から主婦がたまたま拾い上げて町役場で調べたところ、縄文期のものと判明している。
高さ41.5cmの土偶としては大型で内部が空洞であることから「中空土偶」と呼ばれている。また薄く精巧な作りで縄文期の特徴である文様が上半身、下半身とも入っていて、当時の呪術を伝えるものである
北海道に人々が住み始めたのは約三万年前と考えられていて、シベリア方面または朝鮮半島から来たという。旧石器時代とされ食べ物を求め、また住環境の良い場所を求めて移動するのが特徴だ。1万5千年前には縄文時代と呼ばれる狩猟採集生活が取り入れられるようになった。特に北海道から東北北部ではそうした豊かな環境がそろっていて、青森の三内丸山遺跡など進んだ生活環境であったことがわかっている。
三千年ほど前から九州方面では稲作が伝わり、弥生式土器に見られる弥生文化、弥生時代が始まっていたが、住環境にて適した北海道南部、東北北部では狩猟採集生活が続いていて、続縄文文化と呼ばれていた。
北の豊かな自然の恵みが人々の暮らしにもたらしたもの、それは
「循環と共生」であったという。
今盛んに叫ばれている「SDGs」は3000年前の北の大地ですでに実践されていたことだった。
この土偶は約3500年前のものと言われています。
しかし何という芸術性の高さでしょう。
豊穣や子孫繁栄を願って作られたと言われていますが、私は「縄文人の遊び心」ではないかと思っています。
発見したおばあさんは、
「本当にびっくりしたわ。イモでねく、頭が出てきたの」と語ったとか。
縄文人の遊び心を確かに感じますね。
続縄文文化と呼ばれるように、この地には続いてほしいと願う穏やかな時が流れたのだと思います。