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「忌」(き)とは故人の御霊祀りに専念することを言い、忌中とはそれに伏する期間を意味します。一般的には五十日祭までが忌の期間であると考えられていて、これは仏教の四十九日の考えに沿ったものだと思われます。
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なぜ四十九日、あるいは五十日という一定期間社会的風習を自粛する「伏」という考えが生まれたのでしょうか。薗田先生の解説によれば、身近な人の死に直面することで、命に対して向き合い生命の継承の危機としてとらえることから、伏せるという風習が生まれたのだといいます。
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大事なことは「生命」と「命」の違いを理解し、伝えることだといいます。
「生命」とは客観的、医科学的にとらえた物理的生命体のことを指し、死後の概念が存在しません。即ち「死」と対立する一個人の所有物的位置づけとなります。
一方「命」=「いのち」は日本古来の言葉であり、主体的かつ霊的なとらえ方であるとされます。「いのち」は個人一人のものではありません。親からもらった、またその先の祖父母、祖先からつながる共同体での共有されるべき魂が今あることへの主体的な考え方です。
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即ち私たちのいのちを遡ると皇室の祖先である天照大御神へとつながるのです。
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江戸期から神宮のお札は御師と呼ばれる人々によって全国へ届けられました。明治四年に御師という制度は廃止されましたが、明治天皇の思し召しによって、国民が朝夕に神宮へ遥拝できるように、全国の神職が配るようになったといいます。
古くは「御祓大麻」と言って箱に入れられて配られたそうです。
そのため年が改まる際、新しい御札にするときには箱が入れ替わることから、「お払い箱」という言葉の起源ともなりました。
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神宮への崇敬が世代や個人によって温度差が生じていることは隠しようのない事実です。戦後の神社界は神社庁を中心に、戦後復興を地域の神社と共に成し遂げる一方、歴史的教育の遮断から神宮への理解が進まなかったことがその温度差の一因となっているように思います。
一方高齢世帯であっても、個人主義的な戦後の経済重視への生活環境から神宮はもとより神社仏閣への意識が薄れていることが多いのが実情ではないでしょうか。地域の氏神様に直接奉仕する立場として、こうした実情にしっかり取り組まなければならないと感じています。
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