道祖神は塞ノ神と呼ばれ導きの神猿田彦と結びついて祀られることが多い。古くは賽大神、道神とも記される。当社においても二の鳥居前、参道に沿うように祀られている。
風雨にさらされ現在では塞の文字が判別できるのみとなっている。「塞神」の塞とは土をもって外敵の侵入を防ぐための砦を意味する。(とりで=砦と同義)その名のごとく元来は防壁、防障の神であり、外から襲い来る疫神悪霊などを村境や辻などで防ぐために祀られたもの。その過程で生者と死者、人間界と霊界の境を司るとも考えられてきた。
塞ノ神の後ろに奉納された石燈篭は宝暦二年(1752)の年号が残り、本殿脇の石灯籠よりも古い。仏教思想との本地垂迹が説かれたこともあり、賽の河原で子供の亡者が小石を積むとの考えから、道祖神の石碑の前に石を積むことも多いという。
塞ノ神を祀る辻や橋畔は古より人馬の往来繁く、子供の集い遊ぶところとなり、或いは市の開設などもあり得た場所であり、道祖神は村人の運命を知り縁を結び、子供と親しい神となった。
子供の頃父から「脚の神様」と教えられてきた。道行く人々の守として旅人が脚を休め、旅の安全を祈願したこともあったのだろう。
正月十五日(小正月)に行われる火祭りの行事を左義長と呼ぶ。正月飾りを田んぼで焼く古くからの風習のこと。どんと焼き、歳徳などと呼ばれ、だるまや正月飾りを燃やして天に帰すとものだが、塞ノ神勧進と言って元々は道祖神の祭りのことだったようである。
正月の書初めもこの時に焚き上げ、炎が高く上がるほど文字が上達するともいわれている。
行田市内にも多くの道祖神の石碑が見られるが、長野、群馬、神奈川には男女を配した道祖神が多く、行田市内では「塞神」「道祖神」と文字が刻まれたもののみだという。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます