気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

若草山頂へ、①春日大社から水谷川へ

2017-12-06 19:40:32 | 散策
今朝も陽が射すと庭に小さなお客、メジロさんです。
写真はサンルームの硝子越しでそっと撮った一枚、
陽がどこかに反射してしまいました。

このメジロを呼び込んだ侘助椿、盛りと咲いています。
でももう少しゆっくり咲いてくれればよいのですが・・

自宅から眺める若草山も色があせ、紅葉も終りなのに、
  12/6午後
先日の小春日和の朝、相方が、急に何を思ったのか
”若草山へ登りに行こう”と、多分前の七面山登山が
堪えたのでしょう。お付き合いしなければなりません。
コースは春日大社前から歩き始め、春日さんに参拝後
水谷神社から水谷川沿いの春日山北部遊歩道を通り、
若草山(三笠山)へ。そして山頂部(鶯塚古墳)342mから
の眺望を愛でながら下山、奈良新公会堂を経て帰宅と。

春日大社のHPより
参拝客で賑わう大仏殿前から人気のない春日大社境内へ
 
こんなところに二つ揃って秋の七草を詠んだ山上憶良の
歌碑が、知りませんでした。
・『秋の野に咲きたる花を指折り
     かき数ふれば七種の花』
・『萩の花尾花葛花なでしこの花
     をみなへしまた藤袴朝顔の花』  
 
参道に合流すると、大きな声が響いてきました。
この9日から祭事が始まり、本祭り「春日若宮おん祭」が
15-17日にあり、17日の正午からのお渡り式の練習です。
 
御本殿前の銀杏も散っており、地の神様が祀られている
摂社・榎本神社前にも銀杏の葉が落ちていました。
 
本殿の西回廊に三門、南から皇族方が出入りする慶賀門、
僧の出入りの清浄門、神官が出入の内侍門があります。
慶賀門は格天井で、この門は今は誰でも出入りできます。
ここからの砂ズリの藤も春が楽しみですが、
近衛家の寄進で樹齢600年以上だそうです。

回廊を降り酒殿の前に安倍仲麿が御蓋山を詠んだ?歌碑が
『天の原 ふりさけ見れば 春日なる
       三笠の山に いでし月かも』

若草山に登り、もっとよく見させてもらいましょう。
衣・食・住の「住」をつかさどる摂社として「総宮神社」、
そして「一言主神社」“一つだけ願いを叶えてくださる”と
いう御神徳から多くの絵馬が納められており、その前から
モミジの葉がたくさん落ちて、昨年の近鉄のCMの場所かも
下ると「水谷(みずや)神社」が聖流水谷川に沿ってあり、
上水谷・中水谷・下水谷の下社に相当するそうです。
御祭神は素盞鳴命様・大巳貴命様・奇稲田姫様で、
平安時代から幕末までの神仏習合時代は祇園精舎の守護神
「牛頭天王(ごずてんのう)」とされ医薬の神様でした。
霊験あらたかな神様として名高く、前にある「磐座」も
子授けを祈る人が多いお社だそうです。
そして瑞垣の隅に伸びるイブキ(ビャクシン)の巨樹があり
幹は空洞で、その中からスギが立ち、イブキの幹が大きな
スギを抱え込む形で『水谷神社の寄生木』と名付けられた。
 
そして前の水谷川にかかる赤い橋の先に『水谷茶屋』が
落葉に埋もれております。さあ橋を渡り

春日山北部遊歩道を通り若草山へ登らなくては(続く)

奈良・田原でリンゴ狩りを

2017-11-24 19:21:41 | 散策
今朝も東の山端から太陽が顔を見せてくれ、朝の霜も
溶けだし、やっと植木屋さんが庭の手入れにみえました。
この植木屋さんなんと先日伺った田原地区の方だったことに
気が付き、「田原やま里散策ウォーク」の話になりました。

田原公民館の朝は-2℃まで下がり氷が、でも到着した
10時前には葉の霜の溶けておりました。

家々や田畑の間に今年は豊作で鈴なりの「鶴の子柿」が
殆どの家々の軒には吊るし柿が見られますが、高齢化で
手入れされてずに放置された柿の木も見られます。
京都の宇治田原だったら有名な「古老柿」になるのに。
  
有機栽培のお茶の和カフェ「遊茶庵」、でも今日は定休日
予約すれば「闘茶会」の体験もできるそうです。
  
中ノ庄の天神社の森は奈良市の天然記念物ですが、
堂の杉という巨杉、樹齢800年?昭和54年に途中で折れ
その間から幹が伸び、子孫の杉の実がたわわに
  
社務所のおトイレ、素敵でしょう、そして石仏も
 

次は映画「殯の森」のロケ地の茶畑へ
でも10年も過ぎ、高齢化で整備されない茶畑もあり
殆どは機械での茶摘みなのに、維持することは困難
畝の上が真ん丸が、角刈り様で揃っていませんね。

テクテク歩いて、太安万侶のお骨が眠っている十輪寺
本堂 
お昼ご飯を頂きながら紅葉狩りの気分に浸りました。
  
そして、 太安万侶の墓へと(既述)
そして、終わったブルーベリー園を過ぎて
リンゴ狩りまでのぼり道に地区の墓が、まだ土葬も
映画の殯の森そっくりです。

遠くに最終目的地の「窪田リンゴ園」の赤い屋根が

午後の日を浴び、気持ちの良い散策に

林檎園に到着しました。
 
つがる、王林、紅玉、シナノスイートとゴールデン
そして最後の「ふじ」、今週末でリンゴ狩りは終り。
三個だけ捥いでよいので、リンゴのお尻を上にすると
不思議とリンゴが捥げるのです。
初めての体験に楽しく、もっと採りたかった・・・
傷物のリンゴを剝いて二キレ、みずみずしくて
買って帰りたいのですが、在庫がなく、残念で、
帰りは下り道なのにその長いこと、くたびれました。

お世話頂いた田原公民館の職員さんに感謝!

太安万侶の墓を訪れて

2017-11-23 18:24:00 | 散策
昨夕から雨が朝までに止み、朝日が昇る日に。
この雨の降りだしが遅れたため、昨日参加予定していた
「田原やま里散策ウォーク」も晴れ間も覗く中、名残の
紅葉を眺めながら、映画「殯の森」のロケ地等の茶畑、
太安万侶の墓そしてリンゴ狩りと盛り沢山の内容でした。
お世話頂いた田原公民館の館長はじめ皆様に感謝します。
 
奈良市田原地区は市街からバスで東南東へ30分の静かな
山里、標高400~500mで茶畑や水田が広がっており、
奈良市で二番目に高い「国見山680m」もあり、

古くは奈良から伊勢へ抜ける交通の要地とされており、
この里が大騒ぎになったのは昭和54年(1979)1月、
古事記を編纂した太安万侶(おおのやすまろ)の墓が
発見されたときのこと。

この当時の話を、案内人の窪田さんのお話によると、
竹西英夫(当時61歳)さんが通称トンボ山の丘陵南斜面の
茶の木を植え替えるために、鍬で掘り返していると炭が
出てきて、この炭を掘り返すと直径40㎝の穴が空き、
小さな骨、真珠に銅板が出てきた。板に「…太朝臣…」の
文字が読まれ、もしやと思い専門家の手にゆだねられ、
銅板には41文字で書かれた太安萬侶の歿年月日が・・・
墓誌で、奈良時代の墓の状況が明瞭になった少ない例に。
左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥
       年七月六日卒之書養老七年十二月乙巳


現在は橿原考古学博物館に所蔵で重要文化財に指定され、
調査にて墳墓は墓壙を設け、木櫃をおき周囲を木炭で
覆ったもので、現在史跡に指定されています。
なお、小さな骨は、近くにある「十輪寺」に祀られており、
十輪寺
太安万侶の一族とされる田原本町の多(おお)氏の多神社、
多坐弥志理都比古神社の宮司さんとの間で、古事記編さん
1300年に合わせ勝手に分骨し、太安万侶の墓とうわさ
された塚に納められ、後に問題となったとの後日談も。
なぜ「もしや」と思われたかと云うと
100年ほど前にこの山の反対側の山で、稗田と記された

甕?が見つかり、調査しようとしたところ、嵐になり
恐れて元に戻すと収まったことが二回繰り返されたそうで
この山は稗田阿礼さんのお墓と地元では噂されていました。

現実に調査してほしいものですが、いつかは?
古代への思いが深まります。
そして古代中国に従い、東側の三角点の頂点にも誰かが、
この地に眠る方だれなんでしょう。
古事記や日本書紀の編さんにかかわりのある方かも
でもなぜこの地にお墓が造られたのでしょうか?
平城京から見て、東から太陽が昇る地だからとの説明
近くに、春日宮天皇陵、光仁天皇陵もありますが?
中級官僚の埋葬地であったかもしれません。

また万葉歌人・志貴皇子(しきのみこ)の墓もあります。
文化人であり、現在の皇室の祖先にあたるとか・・・
葦辺ゆく鴨の羽交に霜降りて寒き夕へは大和し思ほゆ
                   万葉集1-64
訳)葦のほとりを漂って行く鴨の羽がいに霜が降って、
身にしむほど寒い夕暮は、故郷の大和がしきりと思われる。

ウォークも終わり、田原ふる里ほっとステーション内の
田原やま里市場で買い物を済ますと夕方の3時を過ぎ、
陽も傾くと、急に寒くなり、早々に帰宅することに。

大極殿もおんぶばったに

2017-11-09 09:28:05 | 散策
今日は暖かな朝、雨降り、お出かけの予定
一雨ごとに冬に向かっていきますね。
昨日の平城京跡は明るく、気持ち良い散歩日和

ある地点から撮ると、再建された第一次大極殿が
大二次大極殿跡に再建されたかのように・・・
おんぶされているようですね。


立冬の昨日、冬に入りますが、最後の秋を楽しむ
蝶や殿様飛蝗(トノサマバッタ)にであいました。
 
帰りがけに足元で重たそうに飛ぶ飛蝗が、
よく見ると大きなメスが小さなオスをおんぶして
隠れるようにじっと様子を伺っています。
口から出た言葉”おんぶばっただ”

『いにしえも奈良の都に螇蚸飛ぶ』
             愚句
俳句では何故か「螇蚸(ばった)」と書かれるそうで、
秋の季語として。「ばった」「きちきち」「はたはた」
「トノサマバッタ」とか。
『はたはたはわぎもが肩を越え行けり』
             山口誓子
交尾中ですので失礼しました。
でもこどもの頃は男の子たちは「おんぶばった」と
さかんにはやしたてて呼んでいましたね。

京都和束・茶源郷まつりで「一坪茶室」が

2017-11-06 08:05:36 | 散策
「茶源郷まつり」は茶作り800年の歴史を持つ京都の
主な茶産地の一つ和束(わづか)のお祭りで、
”茶畑の緑、澄み切った空気、静けさのなかで飲む
一杯のお茶はいかがでしょうか”のうたい文句で、
茶畑ツアー、世界のお茶、お茶づくしの屋台など、
ユニークな企画もあり、この4日・5日と秋晴れの元で
8000人からの人々で賑わっており、
なんと「一坪茶室」が展示されていました。

「一坪茶室」は10月21.22日ある「お茶の京都博覧会」の
イベントで、山城地域12市町村独自の趣向が凝らして作製
され、12の一坪茶室が宇治の塔の島で展示されたはずが、
あの台風21号の来襲で中止に!
和束町も京都工芸繊維大建築学専攻・阪田研究室の学生8名
とで、和束町原山の円形茶園をイメージして、予算百万円?
で制作されたように聞き及びました。
完成時の学生の嬉しさが・・・
10/19京都新聞より
残念ですので、作品に日の目をということで
この「茶源郷まつり」で展示されました。でも
内部までは公開されておらず、眺めるだけ。

関係者の方が完成時に撮影された写真を頂けましたので
紹介させてもらいます。
外側からの全体像と

躙り口側よりの側面からです。


一坪大の立方体の上方に、

 
円形にくりぬいた合板が重ねられております。


躙り口から入っていただくと


畝が連なり円形に広がる茶園の眺めが、
この一坪の茶室内に現れますでしょう。
10/19京都新聞より

この一坪の茶室、今後どうなるのでしょう。
聞くのを忘れました。

丸久小山園で市川銕琅を知る

2017-10-08 17:25:21 | 散策
今日は寒露なのですが、最低気温は17.2℃と暖かな朝、
元に戻ったような暖かな空気、ゆっくりとしておれず、
10月8日の薬師寺・天武忌での呈茶のご奉仕でした。
10時から3時まで西回廊の野点席にてたちづめ
昨年ほどではありませんでしたが、疲れましたので、
今日は「市川銕琅」さんを知ったお話になります。

帰郷の折、宇治 丸久小山園本店へ伺いました。
駐車場に着きドアを開けた途端に、お茶の香りが鼻に、
ススキ、縞葦、水引に紺菊が活けられ、硝子戸の中の
和室を拝見するのも楽しみの一つになります。

店の中から撮らせていただきました。
お軸は「松老雲間」大徳寺管長 領雲室老大師とのこと
探すのですが・・・
臨済録「松老雲閑曠然自適」の「閑」を「間」と換えられ?
松老いて雲閑(くもしず) かなり、茶掛けの禅語辞典では
”松の老木が穏やかに佇み、雲が静かに浮かんでいる”と
花はシュウメイギク、鉄瓶からの湯気を通して見えます。
  
お店の待合いにも、茶曼荼羅以外に
琅「清風明月」妙心寺元管長 西片憺雪老大師
 

「秋風」蟻が十 市川銕琅(いちかわ てつろう)
1901年(明治34)東京調布市生まれ-1987年(昭和62)87歳。
1918年(大正7)奈良の加納銕哉に弟子入り。
鉄筆・木彫の名工、東大寺長老清水公照師に
「天下の至宝」といわしめた。 
 
売店で注文すれば、缶に抹茶を詰められるのを待つ間に
お茶を頂くのが、二つ目の楽しみになります。
この日は、今が旬の「壺切茶」、この煎茶を頂き、
程よい甘さが口中に。
  

この度はいつになるのでしょうか。アリガトウ 

第一次大極殿の高御座で

2017-10-06 19:08:11 | 散策
突然?の衆議院解散で政権選択選挙になりましたね。
大義が?とか問われておりますが、似たり寄ったり
主権は国民、有権者の選別はどうなんでしょうか?
   
先日伺った第一次大極殿、法隆寺金堂や薬師寺東塔
などを参考にされて再建されており、大極殿とは
古代の宮都における中心施設で、元日朝賀や天皇の
即位など、国家儀式の際に天皇が出御されるところで、
  
この中にある『高御座(たかみくら)』を
 
見ていて、奈良時代天皇さんが、ここに座られ
どういうお気持ちをもたれたのでしょう。
南面されて座られると、朱雀門が目に


なお京都御所に現存する『高御座』、大正時代の作

平成の時代が来年?にも終わるそうで、またヘリコプターで
東京まで送られるのでしょうか?
それとも京都で・・・
第一次大極殿内の小壁の干支絵
年月がたち彩色が薄れてきております。
来年の干支『犬』も


外に出ると、風鐸が風で少し揺られておりました。
激動の時代となるか、落ち着くのか・・・・

猿沢池のシラサギに

2017-09-02 17:57:02 | 散策
今朝の奈良は19.5℃と二日続けての20℃以下となり
昨晩はもう一枚夏の羽毛布団を出しておいて正解でした。
日中は台風の影響なのでしょうか、時おり強い風が吹き
最高気温も29.3℃と過ごしやすい一日になりました。

相方は、昨日から思い出したかのように狭い庭で
秋冬野菜の準備に、雑草だらけだったのが、
朝からもう耕していたはずが、帰ってくると、
もう昼前には腰が痛いとダウン!とのこと

奈良博の「源信、地獄・極楽への扉」展も明日3日まで

新館前は、外国からの方もとおもえば暑さを避け、通り
過ぎるだけ、館内は空いているのかなーと思いきや
 
二階の館内は人の列がずっと続いており、頭越しで観ないと
いけないところも・・・なにかに憑かれたかのように必死に
見ておられる様子に、今も昔も変わりませんが、
文字を読めない昔の方々には、恐ろしい地獄の様の描かれた
六道絵は、天国へ誘うのには重要だったのでしょう。
最後に阿弥陀仏来迎図へと、
一階まで降りてきますと、南側の中庭に茶室「八窓庵」が
 
現実に、引き戻され、ほっとしますね。
さらに地下通路を通り、なら仏像館へ(後日)
リニューアルされた旧館は、見やすくなっており、
ボランティア・ガイドもおられ、気安く受けて頂けます。
欠損した仏様の手足の一部の多さに、修理鑑定される方々の
苦労が偲ばれました。

一歩館内を出ますと、日差しの中鹿さんがバンビ連れや、
外国からの方々の鹿せんべいをもらう鹿もいますが、
暑いので多くの鹿は、溝のなかや日陰へと。
 
興福寺内の「柳茶屋」まで戻ると、五重塔がよく見えます。
二年ほど前に「塔の茶屋」が無くなったからですね。
   
観光客で賑わう興福寺、まだ中金堂の覆いはまだ
阿修羅展もまだ続いていますが・・・、
  
猿沢池まで降りてきますと、池の中に、舞台?、
池床」と云うそうで、京都の川床のパクリ?
このイヴェントは終わったはずなのに
  
池床に来られた方は、”サギに遭ったみたい”なのではと
少し考えさせられてしまいますね。
本当に猿沢池の中に、虎視眈々と一羽のシラサギが
 
『シラサギも猿沢池に映りけり』
             愚句

幻の大仏鉄道廃線跡を歩くⅡ~奈良編

2017-06-15 15:15:08 | 散策
雨が降らないうちにと早めのお昼ご飯は「城山台公園」、
木津ニュータウンの一角、通称「大仏鉄道公園」で摂ると、
歩きだしますが、足が重たい・・・日頃の運動不足が。

アスファルト道をだらだらと下っていくこと20分で梅谷に、
雨が激しければ、旧公民館「梅谷カフェ&マルシェ」で休憩と
連絡をされていたみたい。見守られながら幾分か軽い足取りで
川中にある『井関川橋梁跡』草でよーく解かりません。
大きな住宅地、梅見台をとぼとぼと・・・20分で・・
『松谷川隧道』色の違う煉瓦が交互に配置されています。
大規模な開発のもめげず、残されておりました。
さらに木津川市の給水塔(面白い形、巻貝?)の前を通り

さあ、やっと奈良県へ、途端に歩道がなく、車道横を歩くのです。
国会議員さんの力の差なのでしょう。
20分で梅谷口から道をはずれ、下へと降りていきますが、
”大声で話してはだめですよ”との注意声が
(苦情があったらしい)
『鹿川隧道』石積で、現在も農業用水路として使用中で

そこには説明板がありません。なんと上の道に
奈良県・市の整備する気概が伺われませんね。
さらに足が重くなり、速度が遅くなりますが15分で
『黒髪山トンネル跡』大仏鉄道唯一のトンネルで、
道路拡張のため、昭和41年に取り壊され切り通しに。
 
ここを抜けると、廃墟の奈良ドリームランドで、
この右上に東大寺の元になった金鐘寺(こんしゅじ)との案内が
あり、さらにほぼ線路と同じような経路で鴻池の競技場側を
通り右へ廻り込むと住宅地内へはいり、途中用水路内にある
レンガは大仏鉄道のものと、よく判りません。
小さなお醤油屋(やまもとしょうゆ)さんの前を通り過ぎ、

10分程で尼寺の興福院(こんぶいん)さん前に着きました。
静寂さが忍び寄ってきます。
  
さらに歩くと大伴家持の邸宅跡地には歌碑があります。
『我が背子が見らむ佐保道の青柳を
       手折りてだにも見むよしもがも』   
 
道を渡り佐保小学校前を、とーぼとーぼと
地面に大きな松ぼっくりが、”幸せが訪れる”と、
パリのXmas時に店先にあったのをもらったのみ、
どこにいったのかなー
先ほどの興福院から10分程で、大仏鉄道記念公園に着きます。
大仏駅の停車場跡地にあたり、一年後奈良駅まで延長される

佐保川を渡る『佐保川橋梁跡』も川の中に隠れて見え

20分程で舟橋商店街を抜け、油阪そして
最終目的地のJR奈良駅に至りました。
まだ電車に乗り、家まで歩いて帰らなければなりません。
迎えは・・・・なし。
16kmも歩き通しました。久しぶり、やった。
明日は痛いでしょうか・・・実は3日間も痛かったです。

高台寺の茶室は

2017-05-31 15:51:26 | 散策
先日の話、五月だというのに真夏日の京都、訪れた寺院で、

ヒラヒラと本堂前で一頭の蝶々が、嬉しいことに止まり
歓迎してくれたのでしょうか、ヒメアカタテハ?。

接待所前には古い茶釜が飾として置かれておりました。
下部に1801(享和元)年11月に1703(元禄15)年4月15日の
初代と同様に再鋳造され1973(昭和48)年まで使われており、
 
鐶付はかわいい獅子?、鬼面でしょう。でも尼面?も
またこの厚い木蓋は何代目になるのでしょうか?

昔は歴史の中で、たくさんのお参りの方々の喉を潤され、
今は静かに見守って下さっておりました。

さあ高台寺へまいりましょう。10年前?以来、久しぶりに
ねねの道には着物を着た外国からの方々か修学旅行生が、
  
台所坂を上ります。

入り口に茶会の案内で、「七夕のお茶会」7月8・9日、
午後4時よりご祈祷(薄茶席・短冊所願祈祷)があり、
書かれた短冊は、和尚様が所願成就のご祈祷をしていただけます。
どの茶室でされるのでしょうか。
高台寺には、3つの茶室(いわゆる茶屋)があります。
伏見城から移築されたとされる『傘亭、時雨亭』そして
書院の北側にある『遺芳庵』です。
  遺芳庵
遺芳庵は閉められており詳細は判りませんが、
一畳台目向板・向切逆勝手という大変小さなお茶室だそうです。
京都の豪商・灰屋紹益が芸妓吉野太夫を偲んで建てたもので、
石州好みの丸窓で、藁葺きとこけら葺きを使った茶室です。

なお遺芳庵朝茶席が6月1日(木)〜6月7日(水)の毎日一席のみ、
それも一席は1〜3名様だそうですが、すでに予約終了。

『傘亭、時雨亭』へは方丈そして書院から
方丈庭園
山側に観月台(通行不可に)を通り
 
開山堂、

臥龍廊そして
 
霊屋の経て、さらに

上ると京都市内が見渡せるところに、『傘亭』(戸は開方)、
   傘亭図
土間廊下を隔て『時雨亭』(登壇不可に)が並んでおり、
異国風な造りの二階建で、三方開け放つ階上は貴人席になり、
京都市内(西南方)が眺望できたのですが・・・
  時雨亭図

なお高台寺の塔頭の圓徳院さんにも茶室があるそうですが
残念ながら拝見できず・・・

最後に北政所さんを偲び、月命日の6日に因んで毎年10月6日(金)
『北政所茶会』午前8時〜午後3時までで、
五つの茶席と点心席が設けられるそうです。