![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/93/4ecf32e97e445ca20e5d56008b795572.jpg)
晴れ間からの日差しがあっても、寒ーい!
昨日の若草山の頂上付近や高円山の大文字の雪もほとんど
解けているようですが、右奥の大和高原では白いですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/71/39/8b5e732b27bf9deb6b160f33b8fdc991_s.jpg)
奈良を離れられた先生の後を受け、昨年の4月から任された
茶道クラブ、初釜の予定が来週に迫っており、お点前をされる
方の最後の練習と打ち合わせを兼ね、結び柳などを持って
伺うと、床柱に柳釘が・・・ありません。
日陰蔓の懸蓬莱でも持っていくしかありません。
さらに初釜のお弁当を頼むのをすっかり忘れており、
先週の3連休に先生がお使いになっている日本料理屋さんに
電話をするも、留守電のみで繋がらないのです。
仕方がなく、先生に電話をしてもらうようにお願いを・・・
昨日掛けたのよと心安く引き受けて頂きましたが、
やはり留守電だった!
やっと昨日の朝、先生から”新年会に出かけていたためで、
引き受けてもらえたよ”と電話が入りました。
有難いことに、いつまでたっても、先生は先生ですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/30/d0/83d900d817764179f4ba7d12b1cbe74a_s.jpg)
初釜の濃茶で使った『嶋台茶碗』を仕舞っていると、
”茶碗なのにどうして嶋台というの”と
ぶつぶつと相方からの疑問が投げかけてきました。
そういわれても、何でなのでしょうか?。
『嶋台』とは、大辞林・第三版によると
”洲浜台の上に、蓬萊山を模した形をつくったもの。
松・竹・梅・鶴・亀などの形で飾り、
祝儀の際の飾り物とした。島形。島。蓬萊。”と
『嶋台茶碗』は新版・茶道大辞典(淡交社)、一部加筆
”井戸形に開き、内面に金銀の箔を置いた楽茶碗。
縁起を祝う茶事に重ね茶碗として用いられる。
・表千家七代如心斎好み(楽家七代長入作)
如心斎自身の手作りを 川上不白に与えたあと、
写しを楽長入に作らせた。
・表千家十代吸江斎好み(十代旦入作)
吸江斎が南紀徳川家・徳川治宝(はるとみ)公に
出仕し島台茶碗でお茶を点てたときに、
幼い吸江斎の手に合うように、楽旦入に焼かせた
・裏千家十一代玄々斎好み(十一代慶入作‣三都茶碗)など”
・明治・大正時代になって裏千家十二代惺斎が楽弘入に
好みの島台を作らせた。
如心斎好みの島台の小の方を大として下にすえ
その上に新しく小の碗を重ねたそうで、今日使われて
いるものの寸法は惺斎好みを基本としているそうです。
*なお _は河原書店の「茶道雑誌」2003.12月号より
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5d/b2/91845429a62e4ae79d2fb40e5061f0af_s.jpg)
大振りの赤楽の茶碗が二個重なった重ね茶碗で、
内側は金と銀に塗られております。
高台の形にも意味があるそうです。
レファレンス協同データベース によると
・高台が五角形(小)は、鶴を表す金色で、空を羽ばたく鶴は陽
つまり五の奇数は割り切れず永遠に続いていくので陽に
・高台が六角形(大)は、亀を表す銀色で、海に潜る亀が陰
つまり六の偶数は割り切れてそこで終わってしまうので陰
この嶋台茶碗にも「陰陽五行思想」反映されており、
今の様に使われるようになったのは、大正以降なので、
蓬莱山の如く、祝儀の鶴・亀が飾られたお濃茶を頂くのは
この上なく目出度いことなのです。
知らずに使わせていただきましたが、
知れば知るほど愉しみも増しますね。
昨日の若草山の頂上付近や高円山の大文字の雪もほとんど
解けているようですが、右奥の大和高原では白いですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/34/32/77ce94743a0e1f12aa73da56598a53b7_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/71/39/8b5e732b27bf9deb6b160f33b8fdc991_s.jpg)
奈良を離れられた先生の後を受け、昨年の4月から任された
茶道クラブ、初釜の予定が来週に迫っており、お点前をされる
方の最後の練習と打ち合わせを兼ね、結び柳などを持って
伺うと、床柱に柳釘が・・・ありません。
日陰蔓の懸蓬莱でも持っていくしかありません。
さらに初釜のお弁当を頼むのをすっかり忘れており、
先週の3連休に先生がお使いになっている日本料理屋さんに
電話をするも、留守電のみで繋がらないのです。
仕方がなく、先生に電話をしてもらうようにお願いを・・・
昨日掛けたのよと心安く引き受けて頂きましたが、
やはり留守電だった!
やっと昨日の朝、先生から”新年会に出かけていたためで、
引き受けてもらえたよ”と電話が入りました。
有難いことに、いつまでたっても、先生は先生ですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/30/d0/83d900d817764179f4ba7d12b1cbe74a_s.jpg)
初釜の濃茶で使った『嶋台茶碗』を仕舞っていると、
”茶碗なのにどうして嶋台というの”と
ぶつぶつと相方からの疑問が投げかけてきました。
そういわれても、何でなのでしょうか?。
『嶋台』とは、大辞林・第三版によると
”洲浜台の上に、蓬萊山を模した形をつくったもの。
松・竹・梅・鶴・亀などの形で飾り、
祝儀の際の飾り物とした。島形。島。蓬萊。”と
『嶋台茶碗』は新版・茶道大辞典(淡交社)、一部加筆
”井戸形に開き、内面に金銀の箔を置いた楽茶碗。
縁起を祝う茶事に重ね茶碗として用いられる。
・表千家七代如心斎好み(楽家七代長入作)
如心斎自身の手作りを 川上不白に与えたあと、
写しを楽長入に作らせた。
・表千家十代吸江斎好み(十代旦入作)
吸江斎が南紀徳川家・徳川治宝(はるとみ)公に
出仕し島台茶碗でお茶を点てたときに、
幼い吸江斎の手に合うように、楽旦入に焼かせた
・裏千家十一代玄々斎好み(十一代慶入作‣三都茶碗)など”
・明治・大正時代になって裏千家十二代惺斎が楽弘入に
好みの島台を作らせた。
如心斎好みの島台の小の方を大として下にすえ
その上に新しく小の碗を重ねたそうで、今日使われて
いるものの寸法は惺斎好みを基本としているそうです。
*なお _は河原書店の「茶道雑誌」2003.12月号より
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/08/93/4ecf32e97e445ca20e5d56008b795572_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5d/b2/91845429a62e4ae79d2fb40e5061f0af_s.jpg)
大振りの赤楽の茶碗が二個重なった重ね茶碗で、
内側は金と銀に塗られております。
高台の形にも意味があるそうです。
レファレンス協同データベース によると
・高台が五角形(小)は、鶴を表す金色で、空を羽ばたく鶴は陽
つまり五の奇数は割り切れず永遠に続いていくので陽に
・高台が六角形(大)は、亀を表す銀色で、海に潜る亀が陰
つまり六の偶数は割り切れてそこで終わってしまうので陰
この嶋台茶碗にも「陰陽五行思想」反映されており、
今の様に使われるようになったのは、大正以降なので、
蓬莱山の如く、祝儀の鶴・亀が飾られたお濃茶を頂くのは
この上なく目出度いことなのです。
知らずに使わせていただきましたが、
知れば知るほど愉しみも増しますね。
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