自粛生活も2週間、手作りマスクで歩く
マスクは我ながらなかなか快適、
眼鏡も曇らず、息苦しい事もなく
しっかり顔にフイット。
この日は足を延ばし、平城京跡の北にある平城山丘陵(ならやまきゅうりょう)
古綴では寧楽山、楢山、那羅山、奈良山、平山とも記される100m前後の丘陵、
東部は佐保丘陵と西部の佐紀丘陵からなる。
今回は佐紀丘陵の『ヒシアゲ古墳・仁徳天皇皇后磐之姫陵』が目的地
午後4時過ぎから奈良時代は平城京からの主要街道奈良坂の「歌姫街道」へ、
歩道がなく、車が横をすれすれに通る。
危ないこの街道からはずれ、小さな谷筋に一歩入ったら別世界。
三つ葉や蕗、芹など色々な草花が咲く小道を上る。
ふと見上げれば藤の花が満開
あっちこっちで鶯が鳴き、
鶯の宿と思われる大きな木も発見!
大和川水系と木津川水系の分水嶺を過ぎれば、田畑が広がる台地に到着。
夕陽が差し込む田畑では、のんびりと農作業をされる姿が、
空には、雁が北へ向かって帰る・・・
田起こしされたばかりの田んぼに、見え隠れする雉を発見!
雄のキジ
晩春の散歩は感動がいっぱい
たどり着いたヒシアゲ古墳・仁徳天皇皇后『磐之姫陵』
木々が鬱蒼と生い茂り人気のない石畳、いつの間にか足早に
磐之姫は、仁徳天皇の4人の皇后のうちのひとり、
仁徳天皇陵は堺、どうして皇后である磐之姫陵は
遠く離れた奈良なのでしょう?
と疑問に思いながら歩いた歩数は8251歩、目標達成!。
マスクは我ながらなかなか快適、
眼鏡も曇らず、息苦しい事もなく
しっかり顔にフイット。
この日は足を延ばし、平城京跡の北にある平城山丘陵(ならやまきゅうりょう)
古綴では寧楽山、楢山、那羅山、奈良山、平山とも記される100m前後の丘陵、
東部は佐保丘陵と西部の佐紀丘陵からなる。
今回は佐紀丘陵の『ヒシアゲ古墳・仁徳天皇皇后磐之姫陵』が目的地
午後4時過ぎから奈良時代は平城京からの主要街道奈良坂の「歌姫街道」へ、
歩道がなく、車が横をすれすれに通る。
危ないこの街道からはずれ、小さな谷筋に一歩入ったら別世界。
三つ葉や蕗、芹など色々な草花が咲く小道を上る。
ふと見上げれば藤の花が満開
あっちこっちで鶯が鳴き、
鶯の宿と思われる大きな木も発見!
大和川水系と木津川水系の分水嶺を過ぎれば、田畑が広がる台地に到着。
夕陽が差し込む田畑では、のんびりと農作業をされる姿が、
空には、雁が北へ向かって帰る・・・
田起こしされたばかりの田んぼに、見え隠れする雉を発見!
雄のキジ
晩春の散歩は感動がいっぱい
たどり着いたヒシアゲ古墳・仁徳天皇皇后『磐之姫陵』
木々が鬱蒼と生い茂り人気のない石畳、いつの間にか足早に
磐之姫は、仁徳天皇の4人の皇后のうちのひとり、
仁徳天皇陵は堺、どうして皇后である磐之姫陵は
遠く離れた奈良なのでしょう?
と疑問に思いながら歩いた歩数は8251歩、目標達成!。
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