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月ヶ瀬の昔の風景を記した木版刷りです。
岡本八谷『月瀬楳渓十六勝地真景』絵図、明治26年(1893)
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昔渡しがあった場所には、明治後期には月ヶ瀬橋(初代)が
そしてダム湖が出来ると、鉄鋼の月ヶ瀬橋が出来ました。
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その橋を望む、小高い場所に『本田種竹山人詩碑』徳島生れ
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『月ヶ瀬梅花の詩』
山中にて愚庵禅師に贈る
古木巌を回りて一路紆る
雲を出ずれば相見雲に入れば
呼ぶ 何人か画家の案(思
案のこと)をふん倒(さかさまにする)
して 新たに梅花三笑の図
を補いしならん
(註)梅花三笑は中国の故事虎渓三笑に
倣っての意
キチョウが舞っておりました。
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帆浦梅林まで登ると、
「山と水 清き天下の 梅の里」
東大寺館長を務められた狭川明俊氏の句で、
二月堂のお水取りが終わると春が訪れるという意味に。
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梅の品種園には『齋藤拙堂詩碑』が
梅邊清絶竹邊幽に
罨畫渓中小舟を蕩かす
風白く雲香りて春両岸
杳然一棹中流を下る
月瀬五絶之一 拙堂居士謙
意味)
梅のほとりは清く、竹のあたりはひっそりとし、
絵のような渓谷に舟を浮かべる。
風は花に吹いて雲まで香り
梅花は両岸に満ちて正に春、
少し漕いではるか遠くまで流れを下る。
月瀬五絶句のひとつ 拙堂居士謙
帰りのダム湖のほとりには、谷崎潤一郎の碑がひっそりと
『わがや度の梅のさかりをよそにして
たづ年てぞこ新月ヶ瀬農里』
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岡本八谷『月瀬楳渓十六勝地真景』絵図、明治26年(1893)
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昔渡しがあった場所には、明治後期には月ヶ瀬橋(初代)が
そしてダム湖が出来ると、鉄鋼の月ヶ瀬橋が出来ました。
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その橋を望む、小高い場所に『本田種竹山人詩碑』徳島生れ
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『月ヶ瀬梅花の詩』
山中にて愚庵禅師に贈る
古木巌を回りて一路紆る
雲を出ずれば相見雲に入れば
呼ぶ 何人か画家の案(思
案のこと)をふん倒(さかさまにする)
して 新たに梅花三笑の図
を補いしならん
(註)梅花三笑は中国の故事虎渓三笑に
倣っての意
キチョウが舞っておりました。
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帆浦梅林まで登ると、
「山と水 清き天下の 梅の里」
東大寺館長を務められた狭川明俊氏の句で、
二月堂のお水取りが終わると春が訪れるという意味に。
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梅の品種園には『齋藤拙堂詩碑』が
梅邊清絶竹邊幽に
罨畫渓中小舟を蕩かす
風白く雲香りて春両岸
杳然一棹中流を下る
月瀬五絶之一 拙堂居士謙
意味)
梅のほとりは清く、竹のあたりはひっそりとし、
絵のような渓谷に舟を浮かべる。
風は花に吹いて雲まで香り
梅花は両岸に満ちて正に春、
少し漕いではるか遠くまで流れを下る。
月瀬五絶句のひとつ 拙堂居士謙
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帰りのダム湖のほとりには、谷崎潤一郎の碑がひっそりと
『わがや度の梅のさかりをよそにして
たづ年てぞこ新月ヶ瀬農里』
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