学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

東京ステーションギャラリー「岸田劉生展」

2019-09-08 19:10:06 | 展覧会感想
岸田劉生は日本近代美術を代表する作家のひとりです。作風としては、38歳という人生のなかで、後期印象派、北方ルネッサンスを矢継ぎ早に吸収し、そして東洋の美へ向かっていきました。また、ヒュウザン会や現代の美術社(草土社)にも関わり、彼のカリスマ性とその作風は多くの人を惹きつけたことで知られています。

私自身、岸田劉生の作品はどこかしこで見たことはありますが、同一会場でまとまった点数を見たことがなかったため、今回の東京ステーションギャラリーで始まった「岸田劉生展」はとても楽しみにしていました。

作品展示はほぼ年代順で、10代の水彩画から始まり、自画像、肖像画、風景、静物、麗子像へと続いていくため、作風がどのように変化していったのかがとてもわかりやすい内容になっています。そのなかでもやはり圧巻なのが《道路と土手と塀》で、角度のある坂下から切通しを描くという難しさをよくこなしていますし、ぬらぬらとした感じのするマチエールに絵そのものが生きているような心地がしました。また、《静物(手を描き入れし静物)》の神秘的、宗教的なイメージも面白く、今は塗りつぶされ、完成した時にはあったという林檎を狙う「手」を想像しながら見るのもまた一興でした。

私は岸田劉生について詳しくはありませんが、作品を眺めてきて思ったのはその宗教性でした。特に聖書との関係が気になります。展示室内の解説にも、彼がキリスト教の信者であったことは一文ありましたが、主題がずばり聖書のもの(特にペン画やエッチングなど)、妻を聖母に見立てたり、風景画における大地の役割など、作風自体は後期印象派や北方ルネッサンスから吸収したとはいえ、その思想のなかにはずいぶん宗教性が感じられました。彼の精神性という部分を考えるうえでのきっかけを与えられたような気がします。

展覧会は10月20日までとのこと。機会があれば、二度行ってみたい展覧会です。


水戸芸術館「大竹伸朗 ビル景」展

2019-08-30 19:49:37 | 展覧会感想
私の職場である美術館には、毎日のように全国各地で開催される展覧会の案内が届きます。そのなかに変わった印刷物を見かけたのは1ヶ月程前でした。それはA4のチラシで、真ん中から左右見開きになる仕立て。変わったデザインなのはすぐにわかりましたが、なんとそれだけではない。文字に凹凸があって、おそらくは活版印刷で刷られたもののよう。とても洒落ている!

このチラシを作った美術館は、茨城県水戸市にある水戸芸術館。現代美術の作家大竹伸朗さんの展覧会ということもあり、先日見に出かけました。「ビル景」という展覧会の主題だけあって、会場にはずらりとビルを描いた作品が並びます。それらは必ずしも実景というわけではなく、いろいろな街のビルの姿が重なり合っているそうで、心象風景と捉えていいのでしょうか。ビル、という1つのテーマながら、それを油彩やエッチング、さらには立体など様々な方法を用いて表現しているところに驚かされます。ときおり、社会性を帯びている作品も見かけ、ビルの上空に飛行機が有るものは制作された時期から言ってもアメリカの9.11、つまり同時多発テロなのでしょう。無機質な箱であり、人が集まるところでもあり、経済の小さな中心でもあり、現代文明の象徴でもあり、飛行機の標的にもなるビル。大竹さんの作品を見ていると、「ビル」という物体ひとつで、いろいろな角度からの切り取り方が有ることに気づかされました。

私は定期的に現代美術を見るようにしています。なぜなら、ふだんの日常で凝り固まった頭脳が新鮮になるから。既成概念を乗り越えて創造される作品は、とてもポジティブな印象を受けます。そうした作品の力が、頭のなかをやわらかく、やわらかくしてくれるのでしょう。チラシに引かれて美術館詣で。とても充実した1日を過ごすことができました。

作品返却の旅

2019-05-30 19:00:00 | 展覧会感想
企画展が終わり、展示室から作品を引き上げるとすぐに作品返却の仕事が待っています。個人や他館からお預かりした大切な作品を無事に返却してようやく担当者としての企画展の仕事が終わります。作品を返却し終えた後の私の密かな楽しみ。それは返却先の街を知るということです。返却作業は夕方までかかることが多いので、もっぱら夜になりますが、街の中をぶらぶら歩いてその雰囲気を味わったり、居酒屋に入って郷土料理に舌鼓を打ったり、店主や初対面のお客さんといろいろな会話をして仲良くなったり…。自分の知らない世界を知る、ということは私にとってとても楽しいことで、物事を考えるときのヒントになってくれるときも有ります。作品を通した街とのご縁にただただ感謝です。企画展を立ち上げるという仕事はとても大変だけれど、私にとって終えた後の達成感と返却時のこうした時間が次の展覧会へのモチベーションとなっています。さあ、明日からまた頑張ろう!

新・北斎展にて

2019-05-29 21:11:52 | 展覧会感想
今年の春、森美術館で開催されていた「新・北斎展」を見てきました。作品資料がずらりと並び、とても見応えのある展覧会で、特に《弘法大師修法図》の大画面は圧巻。北斎が近代まで生きたら、どんな絵を描いたんだろう、と想像したくなりました。展覧会を立ち上げて下さった美術館の皆様に感謝です。さて、北斎展を見ていたとき、こんなお客様の会話を耳にしました。それは「浮世絵は北斎が全工程を手がけている」、「浮世絵は手で描いたもの」、(西洋版画に影響受けた作品を見て)「これは北斎の浮世絵ではない」などです。実は浮世絵版画は分業制で、北斎は絵師の役割を担い、彫師、摺師は別です。そして北斎は西洋版画の特徴を取り入れながら、新しい浮世絵に挑戦していたこと。作品の基本的なところを押さえながら、深いところまで掘り下げてお客様に楽しんでいただく。展覧会に関わる私にとっても永遠の課題です。私自身がお客様の会話や反応から学ぶべきことがたくさんあると感じました。

前橋文学館へゆく

2019-03-05 21:23:56 | 展覧会感想
アーツ前橋から北へ少しばかり行くと、広瀬川という小さいけれど勢いのある川が見えてきます。その川沿いに建っているのが前橋文学館で、ここは前橋出身の詩人萩原朔太郎の資料を有しているところです。

萩原朔太郎(1886‐1942)は、口語自由詩という新しい表現方法を芸術的な域にまで高め、特に詩集『月に吠える』の斬新さによって一躍世に知られることとなった近代を代表する詩人のひとりです。私は萩原の詩がとても好きで、時折本棚から詩集を引っ張り出してきては繰り返し読んで楽しみます。その萩原の詩を楽しむには、大なり小なりとも声に出して読むことをお勧めします。彼は詩と音楽の関係性をとても意識していて、その詩の音を口に出し、耳で捉えることで、日本語の軽快なリズムがとても心地よく感じられるのです。私は『月に吠える』も好みですが、文語体による『純情小曲集』も好きです。私が思うに文語体であれ、口語自由詩であれ、彼は言葉の使い方にとても敏感であったのでしょう。

前橋文学館は、3年前に朔太郎の孫にあたる朔美氏が館長となって、以来、さらに積極的な事業展開を行うようになったようです。私も5、6年ぶりに文学館を訪れましたが、まず1階にbarができ、新しいミュージアムグッズも売られ、さらに企画展示室にある大きな詩集のオブジェに耳を当てると、作家(詩人の中本道代さん)の声でご本人の詩が朗読されるという面白い仕掛けがされていました。

文学館というのは、展示の仕方がとても難しい。博物館や美術館なら、ある歴史的事項や表現方法を作品や資料でお客様の視覚に訴えることができるけれど、文学館はそうはいかない。というのは、本や原稿をただ並べただけではお客様が小説や詩を理解したことにはならないし、かといって、会場内で小説や詩を読んでもらうわけにもいかない。ゆえに前橋文学館のように、視覚だけでなく、触覚や聴覚を使って楽しめる展示方法は面白いアイディアであると感じました。

ここは私の好きな文学館のひとつで、これからの活動を1ファンとして応援していきたいし、これからどんな活動をしてくれるのかとても楽しみにしています。

「闇に刻む光 アジアの木版画運動」展を観る

2019-03-04 19:21:59 | 展覧会感想
群馬県は前橋にあるアーツ前橋では「闇に刻む光 アジアの木版画運動」展が開かれています。私たちが子供のころに学校の授業で親しんだ木版画というものは、版さえあれば絵や文字を複製することができる特長を持っています。そうであるなら、マス・メディアのひとつになりえますね。この展覧会では、1930年代から今日に至るまで、資本主義によって生み出された社会のひずみを、木版という媒体がどのように訴え、そして広がっていったのかを示したものです。これはとても大きな主題であり、よって展示されている作品の数も400点に近く、かなり見ごたえがありました。

まず、魯迅が中国での木版画教室に日本人を招き、その技術を同志に広めてゆくところから始まります。木版画は、経済活動という名において労働力を摂取し、そして摂取される者との関係をあぶり出し、その死や暴力、略奪は、おそらく印象を強く残したいという意図をもって、木版の墨摺りのみで強く訴えかけます。それは同じ木版でも、権力者への反発心を「見立て」で茶化した江戸時代の浮世絵とは迫り方が全く違うものです。この社会の問題を訴える木版画は、時代に寄り添い続け、やがてベンガル、インドネシア、シンガポールなどの世界へ広がっていきます。

会場を進むにつれ、木版画が人間の精神をよく表し、そしていかに強く訴えるものかを知るとともに、1930年代から続くこうした資本主義経済の問題は、今も根深く残っていて、これはつまり人を奴隷のように扱うブラック企業や、外国人労働者を低賃金で雇い長時間労働を命ずる一部の会社など、我々は何も変わっていない社会に居ることを実感するのです。木版画を通し、現代の文明というものは一体何なのか、私はつくづく考えさせられたのでした。


「松本竣介 読書の時間」展を観る

2019-03-03 20:42:29 | 展覧会感想
群馬県は桐生の大川美術館へ行ってきました。ここは、水道山の中腹にある、眺めの良い美術館です。以前、ブログでも紹介しましたが、現在、「松本竣介 読書の時間」展を開催しています。

この松本竣介という洋画家は、東京の生まれですが、父の都合で少年から青年時代まで岩手県盛岡に居り、その経緯から彫刻家の舟越保武とも深い付き合いがありました。ゆえに、岩手県立美術館でも郷土の作家として松本竣介を扱い、私はそこで何遍も松本の作品を見ているせいか、彼は岩手県の作家であるという印象が強いのです。展覧会では、よく本を読んだという松本の蔵書を紹介しています。

松本は900冊近くの蔵書を有していたと云われますが、実際の会場に有るのはそのうちの数百冊。それらを一見するに、和洋問わず、小説、詩集、哲学、画集を持っていて、さらに殆どが近代の作家で占められていました。松本が特に愛した小説家は宮沢賢治だと云われ、もしかしたら岩手県が舞台となる、その世界観を通して、少年、青年時代を過ごした懐かしき郷里に想いを馳せていたのかもしれません。松本は本を大切に扱ったそうですが、ときどきペンで書き込みもしていて、展示もされていましたが、本と向き合う松本の息遣いが聞こえてくるようでした。

これらの本がどれだけ滋養となって、作品制作に反映されていったのでしょう。とても知ることはできないけれど、海外へ留学をしていない彼が日本で洋画を描くうえでのヨーロッパの精神性というものを本から学び得たのかもしれません。本を通して、作家の精神性に迫ろうとする企画はとても面白いものでした。

高校の卒制を見にいく

2019-02-03 21:15:21 | 展覧会感想
今日も素晴らしい天気で、春のような暖かな陽気に恵まれました。コートを羽織ると、少し汗ばむくらいです。暖かくなり、これからさまざまな花も咲きますから、外出するのが楽しくなる日が多くなってきますね。

先日、地元高校の卒制の案内状をいただきましたので作品を見てきました。卒制とは、卒業制作展のこと。いわば、高校3年間の集大成となる展覧会です。ギャラリーにずらりと並ぶのは油絵、写真、書道の3ジャンルでした。油絵のほうは、生徒の個性、あるいは好みが良く出ていました。佐伯祐三風であったり、クリムト風であったり、戦後のグラフィック風であったり…それぞれの高校生の趣向とその下敷きとなる絵画の傾向がわかりやすい内容でした。やはり集大成というだけあって、しっかり描きこまれ、真剣に制作と向き合っていることがわかり、見ていて大変心地よい作品ばかり。この高校生のみなさんはほとんどが美大に進学するそうで、これからのますますの活躍が楽しみです。

私の高校時代、美術部に親友がいて、彼女から「あなたは将来何をやりたいのか、もっと明確にするべきだ」と言われたことが忘れられません。彼女は将来作家になりたいという夢を叶えるために頑張っていて、私はやりたいことがありながら行動をしないので、しびれを切らした親友からの一言でした。卒業してから、もうずいぶん経つけれど、彼女が作家になったのかはわかりません。でも、きっと今も好きな絵を描き続けていることでしょう。

明日は仕事がおやすみ。ゆっくり休んで英気を養いたいと思います。それでは、おやすみなさい。

「絵画のゆくえ2019」展を観る

2019-01-13 18:23:37 | 展覧会感想
今日は昨日と打って変わって暖かい陽気となりました。明日が成人の日ですが、地元では今日が成人式で、羽織袴や振袖姿の新成人を見かけました。初々しいものですね。かつては私も20歳のとき、成人式に参加したわけですが、まだまだ精神的には幼くて、大人として迎えられることに戸惑った覚えがあります。今の新成人はどんな気持ちで今日を迎えたのでしょうね。大人の一員として、お互いに頑張って行きましょう。

さて、昨日から東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館で開催している「絵画のゆくえ2019」展を見てきました。同美術館では、2013年から「真に力があり将来国際的にも通用する可能性を秘めた作品」を見出すため、新進作家の登竜門として公募展「FACE」を開催しており、今回の展覧会は受賞作家のその後の活動を紹介したものです。現代の美術の一片を垣間見ることができるので、学芸員としての勉強とともに、美術の一ファンとして期待して伺いました。

計11名の作家の作品がずらりと並び、とても見応えのある展覧会。どの作家も良かったのですが、個人的な好みからいえば遠藤美香さん、唐仁原希さん、三鑰彩音さん、石橋暢之さんの作品を特にじっくりと見入りました。個々の作品のことは長くなりますので省きますが、ひとつひとつの線に生命力が宿るような丁寧な仕事ぶりが圧巻でした。もちろん、この4名以外の作家についても、素晴らしい作品ばかりです。とても充実した時間を過ごすことができました。企画して下さった美術館と作家さんに感謝です。

また、公募展を開催した後も、作家活動のフォローをする同美術館の姿勢がとても良いと思います。なぜなら、賞金を差し上げて終わり、ではなく、その作家の近況を紹介することで賞の意義を再確認できますし、作家を育てようとする想いが伝わってくるためです。理想的な公募展のかたちがここに見られるのではないでしょうか。素敵なことですね。

さくら市ミュージアム「青木義雄と内村鑑三」展を観る

2018-12-22 21:14:09 | 展覧会感想
今日も冬晴れ、日中は暖かくてコートもいらないほどでした。感覚として、今年の冬は暖かい日が多いような気がしています。暖冬なのかもしれませんね。

最近、内村鑑三の『代表的日本人』を読んでいたこともあり、先日、遠出をして、栃木県さくら市のさくら市ミュージアムで開催している「青木義雄と内村鑑三」展を見て来ました。青木は明治初年生まれの地元さくら市の事業者で、若いときに内村の講演を聞いたことで私淑するようになり、以後、内村と沢山の手紙のやり取りをして親交を温めたほか、彼を栃木県に案内したり、自分の子供の名前の名付け親になってもらうなど、青木にとって内村の存在はなくてはならないもののようになっていったようです。

青木は内村を通して、キリスト教を信仰するようになったよう。展示会場には、青木が所蔵していた聖書がありましたが、使い込まれていて、赤線がものすごく引いてありました。ビジネスをするうえでの心の弱みを、キリスト教や内村に支えてもらっていたのでしょう。以前、NHKドラマに「ハゲタカ」というのがあって、IT企業のトップは毎日不安でたまらなくてオフィスに神棚を設けるケースが多いという場面があったかと記憶していますが、ビジネスでトップに立つ人は必要以上にプレッシャーを感じ、心がくじけそうになることも多々あるのかもしれません。

展覧会では、消費的人間ではなく製作的人間になれ、という熱い内村のメッセージなどもあり、青木との交流を通して、人間、内村鑑三を理解する助けになるような内容でした。自分が読んでいる本とリンクして、展覧会を観ると理解度が全く違います。予習、という、大げさなものでなくても、少しだけでも知識を身につけてから展覧会に行くとさらに深く楽しめるかもしれませんね。