学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

川端康成『驢馬に乗る妻』を読む

2008-01-02 20:47:24 | 読書感想
普段の休日ならば仕事も兼ねて美術館巡りをするところですが、さすがに年末年始はどこも休館中。さりとて、家のコタツで丸くなっているのも何だかいやなので、初売りへ出かけてみました。買ったものは…眼鏡。近頃、文字が見づらくなってしまい、やや不便を感じるようになったためです。さっそく眼鏡をかけてみると、ものが大変クリアに見えます。これは快適!(そのぶん視力が下がったことを考えると多少物悲しくもありますが)眼鏡をかけて、さっそく読書です。

平成20年の初読書は、川端康成の『驢馬に乗る妻』。タイトルからして、ずいぶん首をかしげたくなるものですが、話の中身もつかみどころがありません。

彼(主人公)は、宿へ帰ってくると、妻が驢馬に乗っている姿を見かけます。そんな妻の格好は、姉豊子の上衣に、下は彼(つまり夫)のだぼだぼのズボンをはいているという奇妙なもの。彼はそんな妻の姿を見て笑いますが、妻を乗せた驢馬を引いているのが妻の姉豊子だと知るととたんに不機嫌になります。というのも、かつて彼と豊子は恋人関係にあったのですが、豊子に拒絶され、その妹綾子と結婚することになったためです。彼は、豊子がまだ自分のことを好いていて(これはあくまで彼の妄想だと思うのですが)綾子に恩を着せ、後から自分を奪い取るつもりだと思っています。彼はその呪縛をとくためにとんでもないことをしてしまうのですが…。

これが書かれたのは大正13年(川端康成26歳)ですが、古さをあまり感じさせません。今でも十分斬新な気がします。妻の登場シーンからして。この作品の意味について考え出すと、どうもうまくつかめず。はっきりいえることは、私は彼が大嫌いだということ。そこまで愛の保障を得たいの?と言ってやりたくなります。一番の疑問がラストシーン。彼と妻が驢馬に乗るシーンの清清しさ。まるで悪魔を退散させたかのような気味の悪すぎる清清しさです。彼が行ったことは正しいとは思えないのに、どうしてこんなに清清しく終われるのだ!と思ってしまいます。

この作品は短編ですので、とても読みやすいです。(話の内容はちょっとごちゃごちゃしているけれど)彼のとんでもない行為、気になる方はどうぞご覧になってみて下さい。


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