(6)尊厳死法案によれば、終末期は
①患者が傷病について行い得るすべての適切な医療上の措置を受けた場合であっても、回復の可能性がなく、
②かつ、死期が間近であると判定された状態で、
③さらに、必要な知識および経験を有する2人以上の医師が一般に認められている医学的知見に基づいて判断する、その判断の一致
によって判定される。
問題は、どんな経験を積んだ医師でも、終末期を正確に予想できるのは癌患者のみで、他の疾病における終末期の診断や判定は非常に難しいことだ。医学的に統一された見解が確立していないから、運用する人間の解釈で、どのようにも変わってしまう危険性がある。
(7)厚生労働省は「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」(2007年)によって、終末期医療のあり方を示した。
(a)十分な情報と説明を得た患者本人によって決定するのが基本。
(b)終末期医療における医療行為の開始・不開始、医療内容の変更、医療行為の中止等は、多専門職種と適切性を基に慎重に判断。
(c)疼痛や不快症状を十分に緩和し、患者・家族の精神的・社会的な援助も含めた総合的な医療・ケアが必要。
(d)積極的安楽死((1)-(a))は認めない。
(8)その後、医療機関・学会(日本医師会、日本学術会議、全日本病院協会、日本救急医学会、日本集中治療医学会など)からも終末期医療に係るガイドラインが発表された。
日本老年医学会「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン」(2012年6月)では、
(a)人工的水分・栄養補給法(胃ろうなど)の導入、減量、中止の指針。
(b)本人の表明された意思ないし意思の推定のみに依拠する決定は危険(指摘)。
(c)本人にとって最善を核としつつ、これに加えて家族の負担や本人に対する思いなど(本人の利益)も考慮。
(d)生命維持につながる医学的介入の差し控えおよび中止については、法的な定めより、現在の社会的通念と専門家たちの知見によって決まるもの。ガイドライン等で明確化するのが相相応しい。
(9)元気な解きに延命拒否を表明した人も、実際に死を直前にして意思が変わることもある。リビング・ウィルだけですべてを判断するのは危険だ。【小田政利・TILベンチレーターネットワーク呼ネット代表】
尊厳死は必要だ。しかし、尊厳死に関する法律は、政治家が多数決で決めるべきものではなく、医師や有識者、それに国民全員が問題点を認識したうえで議論し、個々の状況や症状、本人や家族の考え方をひとつひとつ丁寧に考慮して決めるべきもの。国民が知らない間に尊厳死法案が採決されるならば、ある意味で殺人に近いかも。【楠本成周・障害児父兄】
(10)今のところ、尊厳死法制化に賛成する宗教団体はない。
(a)カソリック教会・・・・①直接的な安楽死は認められない。②過度の延命措置の拒否は許される。③通常の看護の差し控えは許されないが、末期患者への緩和ケア、ターミナル・ケアは積極的に勧められる。④末期患者への栄養・水分補給は原則的には義務である。なお、持続的植物状態の患者にも、人工的手段であっても水分と栄養の供給は必要だ。
(b)曹洞宗・・・・過去の教典や祖師の言葉に依拠して、現代固有の問題を論じるのは容易すぎる。人間の価値観をいつも相対化し、冷静に眺め、その先にどのような苦悩と葛藤が待ち受けるかを、今一度立ち止まって考えるのが仏教の視点。リビング・ウィルについては、まだ0.1%しか行われていない理由にこそ深く思いをいたすべきで、純粋な「自己決定」などというものが成立するか、どうか。
(c)稲葉剛・NPO法人自立生活センター「もやいの」代表・・・・高齢者や貧困層の人々は、周りの人に迷惑をかけたくないという意識が強く、このような状況では自由に自分の意思を表明できない。周りの無言の圧力を受けて「自己決定」させられる。この法案が社会保障費削減など社会的弱者の切り捨てに繋がるのではないか(懸念)。
(11)日本尊厳死協会が会員の遺族に対する毎年のアンケートによれば、リビング・ウィルが最後の医療に生かされた、という回答が9割を占める。尊厳死はすでに社会的に容認されている。法制化を急ぐ理由はない。
誰のための、何のための法制化なのかを尊厳死議連は有権者に説明する責任がある。国民全体の議論を抜きに、尊厳死法案が上程されることがあってはならない。
□吉田敬三(フォトジャーナリスト/社会福祉士)「尊厳死法は必要か ~終末期医療を考える~」(「週刊金曜日」2013年2月15日号)
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①患者が傷病について行い得るすべての適切な医療上の措置を受けた場合であっても、回復の可能性がなく、
②かつ、死期が間近であると判定された状態で、
③さらに、必要な知識および経験を有する2人以上の医師が一般に認められている医学的知見に基づいて判断する、その判断の一致
によって判定される。
問題は、どんな経験を積んだ医師でも、終末期を正確に予想できるのは癌患者のみで、他の疾病における終末期の診断や判定は非常に難しいことだ。医学的に統一された見解が確立していないから、運用する人間の解釈で、どのようにも変わってしまう危険性がある。
(7)厚生労働省は「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」(2007年)によって、終末期医療のあり方を示した。
(a)十分な情報と説明を得た患者本人によって決定するのが基本。
(b)終末期医療における医療行為の開始・不開始、医療内容の変更、医療行為の中止等は、多専門職種と適切性を基に慎重に判断。
(c)疼痛や不快症状を十分に緩和し、患者・家族の精神的・社会的な援助も含めた総合的な医療・ケアが必要。
(d)積極的安楽死((1)-(a))は認めない。
(8)その後、医療機関・学会(日本医師会、日本学術会議、全日本病院協会、日本救急医学会、日本集中治療医学会など)からも終末期医療に係るガイドラインが発表された。
日本老年医学会「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン」(2012年6月)では、
(a)人工的水分・栄養補給法(胃ろうなど)の導入、減量、中止の指針。
(b)本人の表明された意思ないし意思の推定のみに依拠する決定は危険(指摘)。
(c)本人にとって最善を核としつつ、これに加えて家族の負担や本人に対する思いなど(本人の利益)も考慮。
(d)生命維持につながる医学的介入の差し控えおよび中止については、法的な定めより、現在の社会的通念と専門家たちの知見によって決まるもの。ガイドライン等で明確化するのが相相応しい。
(9)元気な解きに延命拒否を表明した人も、実際に死を直前にして意思が変わることもある。リビング・ウィルだけですべてを判断するのは危険だ。【小田政利・TILベンチレーターネットワーク呼ネット代表】
尊厳死は必要だ。しかし、尊厳死に関する法律は、政治家が多数決で決めるべきものではなく、医師や有識者、それに国民全員が問題点を認識したうえで議論し、個々の状況や症状、本人や家族の考え方をひとつひとつ丁寧に考慮して決めるべきもの。国民が知らない間に尊厳死法案が採決されるならば、ある意味で殺人に近いかも。【楠本成周・障害児父兄】
(10)今のところ、尊厳死法制化に賛成する宗教団体はない。
(a)カソリック教会・・・・①直接的な安楽死は認められない。②過度の延命措置の拒否は許される。③通常の看護の差し控えは許されないが、末期患者への緩和ケア、ターミナル・ケアは積極的に勧められる。④末期患者への栄養・水分補給は原則的には義務である。なお、持続的植物状態の患者にも、人工的手段であっても水分と栄養の供給は必要だ。
(b)曹洞宗・・・・過去の教典や祖師の言葉に依拠して、現代固有の問題を論じるのは容易すぎる。人間の価値観をいつも相対化し、冷静に眺め、その先にどのような苦悩と葛藤が待ち受けるかを、今一度立ち止まって考えるのが仏教の視点。リビング・ウィルについては、まだ0.1%しか行われていない理由にこそ深く思いをいたすべきで、純粋な「自己決定」などというものが成立するか、どうか。
(c)稲葉剛・NPO法人自立生活センター「もやいの」代表・・・・高齢者や貧困層の人々は、周りの人に迷惑をかけたくないという意識が強く、このような状況では自由に自分の意思を表明できない。周りの無言の圧力を受けて「自己決定」させられる。この法案が社会保障費削減など社会的弱者の切り捨てに繋がるのではないか(懸念)。
(11)日本尊厳死協会が会員の遺族に対する毎年のアンケートによれば、リビング・ウィルが最後の医療に生かされた、という回答が9割を占める。尊厳死はすでに社会的に容認されている。法制化を急ぐ理由はない。
誰のための、何のための法制化なのかを尊厳死議連は有権者に説明する責任がある。国民全体の議論を抜きに、尊厳死法案が上程されることがあってはならない。
□吉田敬三(フォトジャーナリスト/社会福祉士)「尊厳死法は必要か ~終末期医療を考える~」(「週刊金曜日」2013年2月15日号)
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