語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【メディア】放送の「自由」と「公平・公正」とは ~停波問題~

2016年04月06日 | 社会
 (1)放送にとって公平とは何か。
 日本では放送法によって、放送事業者は番組編集に際し政治的な公平と論点の多角的解明が要請されているが(4条1項)、欧米でも公平原則は一般に放送規制の一環として維持されてきた。
 しかしながら、これだけが唯一の方式というわけではない。
 公平原則を制度化し、維持する欧米でなお普遍的な伝統的モデルがある一方で、1980年代後半に規制緩和の流れの中で「公正原則(フェアネス・ドクトリン)」という公平原則に匹敵する規制原理(連邦通信委員会(FCC)の規則による)を撤廃してしまった米国に典型的な別のモデルも生まれたからだ。

 (2)二つのモデルの背景には、
   公平(公正)原則
   放送の自由
についての理解の違いがある。欧米での支配的な方向では、多様な言論の確保を重視する放送の自由観から公平原則を原則的に擁護する一方、米国では政府からの介入、規制の排除を本質とする放送の自由観から公平原則は放送の自由を侵害するものとみなされることになる(ただし、法的なルールが撤廃されたからといって、放送局が自主的、主体的ルールとしての公正さを投げ捨ててしまったわけでは、むろん無い)。
 どのように放送の自由像を構築し、その中に公平原則をどう位置づけるべきか。

 (3)このような原理的、理念的モデルとは別に、欧米の経験を踏まえると、公平原則が制度化され、維持されるためには、多くの条件が満たされねばならない。例えば、
  (a)公平性を制度化し、執行するためには、少なくとも「公平とは何か」についてある程度明確な、具体的な規定が不可欠だ。
  (b)違反した場合の制裁の種類や手続きが法定される必要がある。
  (c)特に、政府の恣意的な介入を避けるためには、公平原則の判定、制裁する機関は政府から独立した機関であることが不可欠だ。
  (d)さらに、番組への過剰な萎縮を避けるべく、過度に詳細で厳格な規制は許されず、放送局の番組全体をではなく、個々の番組に即して公平原則を適用することは認められない。

 (4)いずれにしても、公平原則はどのように制度化されても、本質的に不確定性を免れず、実質的にはメディアの自律によって実現していくほかなく、現に各国とも免許取り消し等の重大な制裁は発動してこなかった、と言われている。

 (5)日本では、独立的な規制機関を欠くなど、公平原則をまっとうに支える条件を満たしていない。
 高市発言等の放送介入がいかに不当であるかは、以上からも明らかだが、これを超えて、公平原則の将来像をどう構築するか、議論が求められるのも確かだ。【注】 
  
 【注】記事「放送法とは」議論に熱 総務相の「停波」発言めぐり」(朝日新聞デジタル 2016年4月2日)

□田島泰彦(上智大学教授)「放送の「自由」と「公平・公正」とは? 求められる将来像」(「週刊金曜日」2016年4月1日号)
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 【参考】
【メディア】安倍首相のメディア対策に高まる国際的批判 ~停波問題~
【メディア】自民党のテレ朝への圧力が契機に ~停波問題~
【メディア】安倍政権による行政指導の誤り ~放送電波停止発言~
【メディア】高市総務相は「脅し」の政治家、報道は「健忘症」
【メディア】総務大臣には、停波命じる資格はない ~放送電波停止発言~ 
【メディア】や高市発言にみる安倍政権の「表現の自由」軽視
【古賀茂明】一線を越えた高市早苗総務相の発言
【メディア】政治的公平とは何か ~「NEWS23」への的外れな攻撃~
【NHK】をまたもや呼びつけた自民党 ~メディア規制~
【テレビ】に対する政権の圧力(2) ~テレ朝問題(9)~
【テレビ】に対する政権の圧力(1) ~テレ朝問題(8)~

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