(1)世界政治における「トランプ現象」を理解するには、世界の人口の流れ、とくに国境を越えた人口移動と結びつけて考えねばならない。
現代の世界を動かしているのは、個々の主権国家よりは国際的な人間の動きだ、と言えるからだ。
(2)シリア、イラク、アフガニスタンなどから難民がトルコ、ギリシャ、マケドニア、オーストリアなどを経てドイツに流入する、といった現象はこの地域に限られた単発的なものではない。
メキシコなどの中南米諸国から米国へ流入する移動者も同じ現象の一部だ。
日本にもフィリピンなどから定住する人が増加しているようだが、国境を越えたトランスナショナルな動きは止まるまい。
(3)グローバル化とは、モノやカネが世界中に流れる現象だが、そのような時代に人間だけが一つの国に定住して動かない、ということはあり得ない。主権独立国家という存在が、すべての人間の生涯や運命を決定する時代ではないのだ。
その意味でも「現代」は「近代」とは異なっている。
「近代」とは、国家という政治集団が個々の人間にとって根本的要素だった時代だ。世界がいくつかの主権国家に分岐され、国内政治や国際関係が人類の運命を決定した時期・・・・それは欧米で18世紀に出現し、20世紀に他の地域でも普及していった。
しかし、その意味での「近代」はもはや存在しない。
(4)それにもかかわらず、国家を中心に据え、自分の国を通して個人や世界を考える習慣が、依然として一般的だ。歴史の流れを無視して。
逆説的に言えば、個々の国の相対的重要性が低下しているからこそ、愛国主義的な言動にこだわる者も多いのだろう。
この現象は、トランプ氏を支持する米国人のみならず、アラブ移民を排斥するフランス人、ユーラシア大陸制覇の夢を追うかのようなロシアの指導者にも見られることだ。それは、国家中心主義が時代に逆行するものであることを無視しているのだ。
(5)現代の世界を動かすものは、国ではなくて個人だ。国家としての米国ではなく、個々の米国人、アジア大国としての中国では無く世界中に拡散している中国人だ。
それはアジア大国としてではなく、 世界中に「拡散」している中国人だ。
(6)トランプ氏は、「米国を再び偉大な国にしよう」と呼びかけるが、そのような国家主義は過去のものになっていることを認識すべきだ。
個人個人の存在感を定めるのは、国籍や市民権だけではなく、性別、年齢、教育水準、健康状態などでもある。
このような要素は、国境を越えたトランスナショナルなものであり、その意味でも国というアイデンティティが持つ意味は減少している。
(7)日本では自国の特殊性にこだわり、「日本的」なるものを強調する政治家や論客が多いようだ。しかし、もともと日本文化は世界各地の文化と交流、合流して作りあげてきた「雑種的」なものなのだ。
諸文化を受け入れ、そのすべてに対して寛容さを示してきたのが日本の魅力であり、「日本的」なるものにこだわるのは、実際には「非日本的」なのだ。
その点、日本人は現代世界の特徴を極めて鮮明に反映しているとも言える。
中国人、インド人、メキシコ人、その他の人びとと比べて、海外に出かけ、定住する日本人は限られている。しかし、世界に孤立した存在である、ということにはならない。
肉体的には自分の国から離れなくても、精神的に国際人であることは可能だからだ。
(8)国家中心主義(トランプ氏らによって代表される)に代わる人類主義とでもいうべき視野を持たなければ、世界を理解することにはなりえない。そのような視野を育成するためには、教育が大切になる。
世界各地で偏狭な愛国主義ではなく、国境を越えたトランスナショナリズムが育成されることを期待したい。
その仕事を個別の国に委ねることは、もともと不可能であろう。
したがって、非国家組織の役割が重要になる。国とか市民権とかではなく、年齢、趣味、問題意識などを共にする人たちの国境を越えた集まりが、新しい秩序を作っていくのではないか。
□入江昭(ハーバード大学名誉教授)「人類主義の視野持とう ~現論~」(「日本海新聞」 2016年4月3日)
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現代の世界を動かしているのは、個々の主権国家よりは国際的な人間の動きだ、と言えるからだ。
(2)シリア、イラク、アフガニスタンなどから難民がトルコ、ギリシャ、マケドニア、オーストリアなどを経てドイツに流入する、といった現象はこの地域に限られた単発的なものではない。
メキシコなどの中南米諸国から米国へ流入する移動者も同じ現象の一部だ。
日本にもフィリピンなどから定住する人が増加しているようだが、国境を越えたトランスナショナルな動きは止まるまい。
(3)グローバル化とは、モノやカネが世界中に流れる現象だが、そのような時代に人間だけが一つの国に定住して動かない、ということはあり得ない。主権独立国家という存在が、すべての人間の生涯や運命を決定する時代ではないのだ。
その意味でも「現代」は「近代」とは異なっている。
「近代」とは、国家という政治集団が個々の人間にとって根本的要素だった時代だ。世界がいくつかの主権国家に分岐され、国内政治や国際関係が人類の運命を決定した時期・・・・それは欧米で18世紀に出現し、20世紀に他の地域でも普及していった。
しかし、その意味での「近代」はもはや存在しない。
(4)それにもかかわらず、国家を中心に据え、自分の国を通して個人や世界を考える習慣が、依然として一般的だ。歴史の流れを無視して。
逆説的に言えば、個々の国の相対的重要性が低下しているからこそ、愛国主義的な言動にこだわる者も多いのだろう。
この現象は、トランプ氏を支持する米国人のみならず、アラブ移民を排斥するフランス人、ユーラシア大陸制覇の夢を追うかのようなロシアの指導者にも見られることだ。それは、国家中心主義が時代に逆行するものであることを無視しているのだ。
(5)現代の世界を動かすものは、国ではなくて個人だ。国家としての米国ではなく、個々の米国人、アジア大国としての中国では無く世界中に拡散している中国人だ。
それはアジア大国としてではなく、 世界中に「拡散」している中国人だ。
(6)トランプ氏は、「米国を再び偉大な国にしよう」と呼びかけるが、そのような国家主義は過去のものになっていることを認識すべきだ。
個人個人の存在感を定めるのは、国籍や市民権だけではなく、性別、年齢、教育水準、健康状態などでもある。
このような要素は、国境を越えたトランスナショナルなものであり、その意味でも国というアイデンティティが持つ意味は減少している。
(7)日本では自国の特殊性にこだわり、「日本的」なるものを強調する政治家や論客が多いようだ。しかし、もともと日本文化は世界各地の文化と交流、合流して作りあげてきた「雑種的」なものなのだ。
諸文化を受け入れ、そのすべてに対して寛容さを示してきたのが日本の魅力であり、「日本的」なるものにこだわるのは、実際には「非日本的」なのだ。
その点、日本人は現代世界の特徴を極めて鮮明に反映しているとも言える。
中国人、インド人、メキシコ人、その他の人びとと比べて、海外に出かけ、定住する日本人は限られている。しかし、世界に孤立した存在である、ということにはならない。
肉体的には自分の国から離れなくても、精神的に国際人であることは可能だからだ。
(8)国家中心主義(トランプ氏らによって代表される)に代わる人類主義とでもいうべき視野を持たなければ、世界を理解することにはなりえない。そのような視野を育成するためには、教育が大切になる。
世界各地で偏狭な愛国主義ではなく、国境を越えたトランスナショナリズムが育成されることを期待したい。
その仕事を個別の国に委ねることは、もともと不可能であろう。
したがって、非国家組織の役割が重要になる。国とか市民権とかではなく、年齢、趣味、問題意識などを共にする人たちの国境を越えた集まりが、新しい秩序を作っていくのではないか。
□入江昭(ハーバード大学名誉教授)「人類主義の視野持とう ~現論~」(「日本海新聞」 2016年4月3日)
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