<ベネディクト16世の前、ヨハネ・パウロ2世が教皇になったのは1978年で、ポーランド出身の教皇ということで、大きな話題になりました。
同時期に、神学界ではもう一つ大きな出来事が起きていました。1979年、ハンス・キュングとスヒレベークスという二人の神学者を教理聖省が呼んで、審問を行ったことです。教理聖省とは、昔の異端審問所。その結果、キュングはカトリックの基幹的な神学者と認めることはできない、ひと昔前で言うと異端宣告をされたわけです。彼はカトリック神学部での授業が一切できなくなりました。
それに対してスヒレベークスはキュングとほぼ同じことを言っているにもかかわらず、お咎めなしとなります。その結果、教会の権威が高められた。どういうことか。この線を越えれば破門というガイドラインが明確なら、その線ぎりぎりのところで神学者は教皇庁に挑めます。しかし、同じことを言っているのに、片方は破門して片方は大丈夫ということになると、神学者はローマ教皇庁が本当に怖くなる。その恐れの感覚を持たせたわけです。
なぜそのような必要があったのか。
少しさかのぼっって、1960年代に「第二バチカン公会議」が行われました。これを主催したのは、ヨハンネス23世です。ヨハンネス23世は対話の精神を前面に掲げてきました。その対話は幅が広い。プロテスタントとの対話だけでなく、正教の人たち、非カルケドン派のキリスト教、エジプトのコプト教会、ネストリウス派の教会、イスラムとも仏教とも対話する。それと共に共産主義者との対話もしていく。対話によって平和を維持していくことがカトリック教会において最大の使命である。こうしたかたちでの平和路線、対話路線を取ったわけです。東西冷戦反共体制と一線を画して、第三の道をカトリック教会は進もうとしました。
それと同時に正義の実現が重要だということで、中南米においては解放の神学が生まれてきました。この武装闘争によって中南米の独裁者を打倒する運動に、カトリックの神学者はかなり入り込んでいきます。韓国でもカトリックの影響は非常に強く及んだ。女性解放の神学という神学も生まれてきた。
この流れに歯止めをかけることが、ヨハネ・パウロ2世体制下のローマ教会にとって非常に重要な問題になりました。そこでの最大の課題は、共産主義者との対話をやめることでした。共産主義は敵である。共産勢力に対して巻き返していくことが、バチカンの大きな方針転換だったわけです。
ヨハネ・パウロ2世は、実践家でした。実践家の横にはその実践を理論づける人が絶対必要です。それを理論化していったのが、ベネディクト16世です。ちなみにベネディクト16世、本名ラッツィンガーが教理聖省の長官になったのが、1981年です。
そして東西冷戦の終結。結局西側が東側に勝利する過程において、私はバチカン、カトリック教会の果たした役割は非常に大きいと思っています。もしカトリック教会が対話路線を維持して反共路線への回帰をしていなければ、ゴルバチョフが「欧州共通の家」、核兵器全廃に向かった場合、カトリック教会はその流れを全面的に支持したことでしょう。そうすればヨーロッパにおいてデタントが成功し、社会民主党と共産党の関係は劇的に改善して、今とは違う世界絵図になっていた可能性は十分にあったと思います。>
□佐藤優『思考法 教養講座「歴史とは何か」』(角川新書、2018)の「第四講 近代〈モダン〉とは何か」の「バチカンの大きな方針転換、「共産主義は敵」」を引用
【参考】
「【佐藤優】反知性主義の勃興 ~『思考法』(3)~」
「【佐藤優】AIに関連した宗教の具体例 ~『思考法』(2)~」
「【佐藤優】『思考法 教養講座「歴史とは何か」』の「新書版まえがき」」

同時期に、神学界ではもう一つ大きな出来事が起きていました。1979年、ハンス・キュングとスヒレベークスという二人の神学者を教理聖省が呼んで、審問を行ったことです。教理聖省とは、昔の異端審問所。その結果、キュングはカトリックの基幹的な神学者と認めることはできない、ひと昔前で言うと異端宣告をされたわけです。彼はカトリック神学部での授業が一切できなくなりました。
それに対してスヒレベークスはキュングとほぼ同じことを言っているにもかかわらず、お咎めなしとなります。その結果、教会の権威が高められた。どういうことか。この線を越えれば破門というガイドラインが明確なら、その線ぎりぎりのところで神学者は教皇庁に挑めます。しかし、同じことを言っているのに、片方は破門して片方は大丈夫ということになると、神学者はローマ教皇庁が本当に怖くなる。その恐れの感覚を持たせたわけです。
なぜそのような必要があったのか。
少しさかのぼっって、1960年代に「第二バチカン公会議」が行われました。これを主催したのは、ヨハンネス23世です。ヨハンネス23世は対話の精神を前面に掲げてきました。その対話は幅が広い。プロテスタントとの対話だけでなく、正教の人たち、非カルケドン派のキリスト教、エジプトのコプト教会、ネストリウス派の教会、イスラムとも仏教とも対話する。それと共に共産主義者との対話もしていく。対話によって平和を維持していくことがカトリック教会において最大の使命である。こうしたかたちでの平和路線、対話路線を取ったわけです。東西冷戦反共体制と一線を画して、第三の道をカトリック教会は進もうとしました。
それと同時に正義の実現が重要だということで、中南米においては解放の神学が生まれてきました。この武装闘争によって中南米の独裁者を打倒する運動に、カトリックの神学者はかなり入り込んでいきます。韓国でもカトリックの影響は非常に強く及んだ。女性解放の神学という神学も生まれてきた。
この流れに歯止めをかけることが、ヨハネ・パウロ2世体制下のローマ教会にとって非常に重要な問題になりました。そこでの最大の課題は、共産主義者との対話をやめることでした。共産主義は敵である。共産勢力に対して巻き返していくことが、バチカンの大きな方針転換だったわけです。
ヨハネ・パウロ2世は、実践家でした。実践家の横にはその実践を理論づける人が絶対必要です。それを理論化していったのが、ベネディクト16世です。ちなみにベネディクト16世、本名ラッツィンガーが教理聖省の長官になったのが、1981年です。
そして東西冷戦の終結。結局西側が東側に勝利する過程において、私はバチカン、カトリック教会の果たした役割は非常に大きいと思っています。もしカトリック教会が対話路線を維持して反共路線への回帰をしていなければ、ゴルバチョフが「欧州共通の家」、核兵器全廃に向かった場合、カトリック教会はその流れを全面的に支持したことでしょう。そうすればヨーロッパにおいてデタントが成功し、社会民主党と共産党の関係は劇的に改善して、今とは違う世界絵図になっていた可能性は十分にあったと思います。>
□佐藤優『思考法 教養講座「歴史とは何か」』(角川新書、2018)の「第四講 近代〈モダン〉とは何か」の「バチカンの大きな方針転換、「共産主義は敵」」を引用
【参考】
「【佐藤優】反知性主義の勃興 ~『思考法』(3)~」
「【佐藤優】AIに関連した宗教の具体例 ~『思考法』(2)~」
「【佐藤優】『思考法 教養講座「歴史とは何か」』の「新書版まえがき」」
