<共産主義体制を打倒した後、ヨハネ・パウロ2世は次の課題を立てます。イスラム原理主義に対する巻き返しです。2006年、ローマ教皇(ベネディクト16世)がイスラム批判演説を行って、大変な非難を受けたので直後に撤回したという事件がありました。日本の新聞には一行か二行、小さく出ました。ところがこれは戦術的な撤回だったのです。
ローマ教会の目的は、イスラム勢力に対してキリスト教の力をもう一回巻き返していくこと。単にキリスト教だけでなく、西欧的な文明の力によって巻き返していくということです。
これについては私の印象論ではなくて、文献的な根拠があります。ベネディクト16世がローマ教皇に選出される1年3ヵ月前の2004年の1月19日、当時のラッツィンガー枢機卿は、ドイツの非常に有名な社会哲学者のユルゲン・ハーバーマスと公開討論を行いました。
ラッツィンガーは教理聖省、昔の異端審問所の長官を務めたカトリックの保守思想の代表者。対してハーバーマスはフランクフルト学派、マルクス主義の影響を受けた左派リベラルの知の巨人です。この二人が最初で最後の公開討論を行う。当然、哲学や神学関係者のみならず、広範な知識人の関心をものすごく集めました。
二人を接近させたのは何なのか。9・11のアメリカにおける連続テロです。このときの討論会の基調報告が岩波書店から出ています。参考文献に入れた『ポスト世俗化時代の哲学と宗教』という論文。その中でラッツィンガーはアルカーイダの活動に強い関心を向けています。
〈(中略)〉(ユルゲン・ハーバーマス/ヨーゼフ・ラッツィンガー〔三島憲一訳〕『ポスト世俗化時代の哲学と宗教』岩波書店、2007年、34頁)
アルカーイダというのは結構力があるぞ。道徳的な正当性を主張していて、一部の支持を得ている。だから封じ込めないといけない。ではどのように封じ込めるのか。アメリカのブッシュがやったような力による封じ込めは最低だ、封じ込めは対話によって行わないといけないと、ラッツィンガーは言っています。イスラムの文化世界に存在する緊張関係に目を向けると、一方の極にはビン・ラーディンのような狂信的絶対主義者がいる。他方の極には寛容な合理性に対してオープンな態度をとっている穏健派もいる。その幅は極めて広いということで、ラッツィンガーは異文化対話を掲げる。しかし真の目的は対話ではないのですね。まずアルカイーダ、つまりイスラム過激派を封じ込める。過激派を封じ込めた後には、イスラム全体を封じ込める。二段階戦略です。だからまずは対話によってイスラム穏健派を味方につけよう。こういう戦略だったのです。
ハーバーマスも全面的に賛成しています。彼もイスラム過激派の脅威には危機感を持っていて、
〈(中略)〉(前掲書、14頁)
と言っています。
ワイマールのあの雰囲気からナチズムが登場してきた。異文化対話を通じて、宗教がなぜ世俗化した現代においても存続しているかについては、〈いわば内部から、知的挑発として真剣に取り上げるべきである〉(前掲書、15頁)と言います。
実践的な帰結として、二人とも対話によってイスラム過激派の脅威を解体していくという路線を取りました。
ハーバーマスというのはリベラルなかたちで対話をしていく人、というイメージで捉えるべきではありません。日本では一般にハーバーマスは対話的理性を強調する人と紹介されています。後ろに権力の背景も何もないとろこで、話せばわかるというかたちで議論をしていく。
非常にリベラルと見られていますが、実は彼の理解では対話理性が適用できる領域は、ヨーロッパとロシアとアメリカだけなのです。それ以外の世界はいわば化外(けがい)の地であって、文明の論理は通用しないという考えの持ち主です。
日本でハーバーマスの『コミュニケーション的行為の理論』が訳されたとき、ハーバーマスは序文を寄せています。その中で、日本でも対話的理性が通じるという流れがあるということで、私の本が訳されることになり、非常に喜ばしく思う、ということを言っています。これは、それまでは日本は対話的理性の通用しない、野蛮人の地だと思っていたということです。こうしたところをきちんと読み取れるかどうかは、やはりテキストを読むときの重要なポイントになります。>
□佐藤優『思考法 教養講座「歴史とは何か」』(角川新書、2018)の「第四講 近代〈モダン〉とは何か」の「対話によってイスラム過激派の脅威を解体していく」から一部引用
【参考】
「【佐藤優】バチカンの大きな方針転換、「共産主義は敵」 ~『思考法』(4)~」
「【佐藤優】反知性主義の勃興 ~『思考法』(3)~」
「【佐藤優】AIに関連した宗教の具体例 ~『思考法』(2)~」
「【佐藤優】『思考法 教養講座「歴史とは何か」』の「新書版まえがき」」

ローマ教会の目的は、イスラム勢力に対してキリスト教の力をもう一回巻き返していくこと。単にキリスト教だけでなく、西欧的な文明の力によって巻き返していくということです。
これについては私の印象論ではなくて、文献的な根拠があります。ベネディクト16世がローマ教皇に選出される1年3ヵ月前の2004年の1月19日、当時のラッツィンガー枢機卿は、ドイツの非常に有名な社会哲学者のユルゲン・ハーバーマスと公開討論を行いました。
ラッツィンガーは教理聖省、昔の異端審問所の長官を務めたカトリックの保守思想の代表者。対してハーバーマスはフランクフルト学派、マルクス主義の影響を受けた左派リベラルの知の巨人です。この二人が最初で最後の公開討論を行う。当然、哲学や神学関係者のみならず、広範な知識人の関心をものすごく集めました。
二人を接近させたのは何なのか。9・11のアメリカにおける連続テロです。このときの討論会の基調報告が岩波書店から出ています。参考文献に入れた『ポスト世俗化時代の哲学と宗教』という論文。その中でラッツィンガーはアルカーイダの活動に強い関心を向けています。
〈(中略)〉(ユルゲン・ハーバーマス/ヨーゼフ・ラッツィンガー〔三島憲一訳〕『ポスト世俗化時代の哲学と宗教』岩波書店、2007年、34頁)
アルカーイダというのは結構力があるぞ。道徳的な正当性を主張していて、一部の支持を得ている。だから封じ込めないといけない。ではどのように封じ込めるのか。アメリカのブッシュがやったような力による封じ込めは最低だ、封じ込めは対話によって行わないといけないと、ラッツィンガーは言っています。イスラムの文化世界に存在する緊張関係に目を向けると、一方の極にはビン・ラーディンのような狂信的絶対主義者がいる。他方の極には寛容な合理性に対してオープンな態度をとっている穏健派もいる。その幅は極めて広いということで、ラッツィンガーは異文化対話を掲げる。しかし真の目的は対話ではないのですね。まずアルカイーダ、つまりイスラム過激派を封じ込める。過激派を封じ込めた後には、イスラム全体を封じ込める。二段階戦略です。だからまずは対話によってイスラム穏健派を味方につけよう。こういう戦略だったのです。
ハーバーマスも全面的に賛成しています。彼もイスラム過激派の脅威には危機感を持っていて、
〈(中略)〉(前掲書、14頁)
と言っています。
ワイマールのあの雰囲気からナチズムが登場してきた。異文化対話を通じて、宗教がなぜ世俗化した現代においても存続しているかについては、〈いわば内部から、知的挑発として真剣に取り上げるべきである〉(前掲書、15頁)と言います。
実践的な帰結として、二人とも対話によってイスラム過激派の脅威を解体していくという路線を取りました。
ハーバーマスというのはリベラルなかたちで対話をしていく人、というイメージで捉えるべきではありません。日本では一般にハーバーマスは対話的理性を強調する人と紹介されています。後ろに権力の背景も何もないとろこで、話せばわかるというかたちで議論をしていく。
非常にリベラルと見られていますが、実は彼の理解では対話理性が適用できる領域は、ヨーロッパとロシアとアメリカだけなのです。それ以外の世界はいわば化外(けがい)の地であって、文明の論理は通用しないという考えの持ち主です。
日本でハーバーマスの『コミュニケーション的行為の理論』が訳されたとき、ハーバーマスは序文を寄せています。その中で、日本でも対話的理性が通じるという流れがあるということで、私の本が訳されることになり、非常に喜ばしく思う、ということを言っています。これは、それまでは日本は対話的理性の通用しない、野蛮人の地だと思っていたということです。こうしたところをきちんと読み取れるかどうかは、やはりテキストを読むときの重要なポイントになります。>
□佐藤優『思考法 教養講座「歴史とは何か」』(角川新書、2018)の「第四講 近代〈モダン〉とは何か」の「対話によってイスラム過激派の脅威を解体していく」から一部引用
【参考】
「【佐藤優】バチカンの大きな方針転換、「共産主義は敵」 ~『思考法』(4)~」
「【佐藤優】反知性主義の勃興 ~『思考法』(3)~」
「【佐藤優】AIに関連した宗教の具体例 ~『思考法』(2)~」
「【佐藤優】『思考法 教養講座「歴史とは何か」』の「新書版まえがき」」
