関ヶ原合戦の戦功により近江に18万石を賜った井伊直政は一旦石田光成の居城であった佐和山城に入城する。直政が翌年佐和山城中で没すると、
子の直継は慶長8年(1603)より新城の築城にとりかかる。これが彦根城である。築城に際しては公儀より奉行が派遣され、助役に7か国12の
大名が動員された天下普請であった。この慶長年間の築城は大坂城に備えた軍事的なものであった。大坂落城後の元和の築城は表御殿の造営や中堀、
城下町など山麓部分の整備であった。その構造は彦根山の頂上に本丸、西の丸、太鼓丸、鎧の丸を一直線に配し、それらを2本の堀切で切断すると
いう戦国的な縄張であった。山麓には彦根山を取り囲むような内堀が巡らされ、その内側には広大な表御殿や米蔵などが設けられていた。中堀に囲
まれた外郭には馬屋、楽々玄宮園、さらに大身の家臣屋敷が配された。 (山川出版社「山川MooK 日本の城」彦根城の項より引用転記)
4月9日(土)午後11時からのBS朝日「日本の城紀行 彦根城」(再放送)を見てみました。
この番組はナレーションはなく時折字幕がでるだけで、静かなBGMが流れる中、映像のみで城の美しさを知ることが出来ます。
この国宝彦根城は、BS-TBS「【にっぽん百景】栄華を極めた名城」でも3月15日に放送(再放送)されたばかりですが番組構成が異なりますので・・・
投稿日:2011年(平成23年)4月10日(日)