四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

「小諸城」再び(長野県小諸市)

2013年10月09日 | 日本100名城


三の門

小諸城の起りは、平安時代から鎌倉時代にかけて「源平盛衰記」や「平家物語」に登場する小室太郎光兼(木曽義仲の武将)が、現城址の東側に館を築いた。
またその後、大井光忠が小室氏の勢力をおさえて鍋蓋城を築きその子光為がさらに出城として乙女城、別名白鶴城(二の丸跡)を構えたが、武田信玄の攻略により落城。
信玄はこの地が重要であることから山本勘助と馬場信房に命じて築城した。”酔月城”ともいわれている。

その後、織田信長の将滝川一益、徳川家康の将松平源十郎康国が城主になった。さらにその後、仙石秀久が城主となって二の丸・黒門・大手門を建て、その子忠政が
三の門・足柄門を建て現在の小諸城が完成した。その後、城主は徳川・松平氏など六氏に変り、元禄15年(1702年)、牧野氏が入り十代続いた。
この城の特徴は、全国的にも珍しい城下町より低い穴城で、浅間山の火山灰でできているため、水を用いず、崩れやすい断崖が堅固な要塞となっている。
明治4年(1871年)の廃藩置県で役割を終え、明治13年(1880年)に神社を祀り、懐古園と呼ぶようになった。
現在は小諸公園として小諸市が管理運営をしている。            (懐古園パンフレットから引用転記)

今回が2度目となった小諸城の攻城(見学)。とは言え、ツアーでの見学でしたから時間に制限がありましたので、前回、見て来ようと向かったものの途中で引き返してしまった
「大手門」(小諸城址=懐古園とは別の場所に移築されている)を是非とも見ておきたかったものですから、前回見た城跡よりも重きを置いて・・・




二の丸跡




北の丸跡




南丸跡




黒門橋




紅葉谷(空堀)




お駕籠台跡




本丸跡




本殿




庭園




山本勘助の鏡石




石垣




天守台石垣




馬場跡




水の手展望台からの千曲川




中仕切門跡




番所跡




大手門




大手門の説明板




大手門を内側から

攻城日:2013年10月9日(水)