城 名:小田野城(おだのじょう)
別 名:小田野屋敷
形 態:平山城
時 期:戦国時代末期(伝・天正15年〔1587〕頃)
築城主:小田野源太左衛門
城 主:小田野氏
遺 構:曲輪・土塁・空堀
指 定:国指定史跡(昭和58年〔1983〕3月28日八王子城跡の一部として追加指定)
現 状:山林・公園
所在地:東京都八王子市下恩方
小田野城跡は、江戸時代に著された『武蔵名勝図会』に北条氏照の家臣小田野源太左衛門の屋敷跡と云う伝承が簡単に紹介さ
れている程度で、注目されていませんでした。
昭和54年から55年にかけて、都道61号線の建設に伴って、発掘調査を実施したところ、16世紀後半と考えられる数段
の腰曲輪、桝形状の遺構や空堀等が発見された。その結果都道はトンネル構造に設計変更され、これらの城跡遺構は保存され
ることになりました。そして、昭和58年3月28日、八王子城跡の一部として国の史跡に追加指定されました。
小田野城は、主郭部分が過去に削平を受けたため、不明な部分がありますが、八王子城の出城として機能していたと考えられ
ます。
【現地『「史跡八王子城跡 伝小田野屋敷跡(小田野城跡)」八王子市教育委員会』説明板より】
観栖寺台(かんせいじだい)公園の東端にある石碑 小田野城跡はこの観栖寺台公園の西側に位置しています
公園内を西方に向かって歩きます 東屋やトイレが整備されています
更に西に行きますと片側のフェンス沿いに「史跡八王子城跡 伝小田野屋敷跡(小田野城跡)」の説明板設置されています
説明板にある見取図に加筆(便宜上の名称)しました
フェンス西端に扉が設けられています 城跡への入り口です
扉を開けて下に降ります 右側の見えるフェンスは公園敷地からの転落防止措置であることは一目瞭然です
空堀 右の茶色部分が土橋かと思いますが?
桝形状遺構
桝形状遺構から空堀を見下ろしています
桝形遺構を北側から見ています
腰曲輪(南方から北方向へ) 石垣の上方が本曲輪
腰曲輪を逆方向から(北方から南方向へ)
腰曲輪 右側の道を上がって本曲輪へ
上がって来た「あ⇒」 から 本曲輪へは「い⇒」へ
手前は林道のようですが、木が置かれているのは本曲輪への車両の進入防止のため?
本曲輪
本曲輪 北方から南方に
本曲輪北側の物見台跡
物見台跡に上がってみました 削平されていますが灌木等ではっきり見えません
下界を眺望しようとしましたが木立で見えませんでした
本曲輪南側の土塁(西方部)
本曲輪南側の土塁(東方部) 東端は開口されており裏側の曲輪?に通じています
本曲輪南端から住宅街を眺望
本曲輪東縁から帯曲輪と空堀を見下ろしています
観栖寺台公園の南端から都道61号の小田野トンネルを見下ろしています。
小田野城跡はこの小田野トンネルの上にあります。
攻城日:平成30年(2018)6月14日(木)