四季・めぐりめぐりて

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麻場城跡(群馬県甘楽町)

2010年02月16日 | 100名城以外の城館跡






指 定 平成元年8月24日   町指定史跡
所在地 甘楽町大字白倉918番地ほか

 麻場城は、甘楽町の東北丘陵地帯の舌状(ゼツジョウ)台地上の先端部に立地した丘城である。当城は、この地の豪族白倉氏(シラクラシ)の居城であり、
約500m東方にある仁井屋城(ニイヤジョウ)と合わせて白倉城(シラクラジョウ)と呼ばれ、別城一郭(ベツジョウイッカク)(双子城とも言って、
二つの城が一人の城主のもとに相助けて戦う構造)の形態といわれている。城址公園整備に伴い、平成元~3年(1989~1991)に調査が実施され、
本丸(城の中心となる曲輪(クルワ)で、東西の南側約60m、同北側約42m、南北約54mの台形状)内には、土塁(土を盛り、たたいて固める)が
まわっていたと推考でき、周囲には空堀(カラボリ)(上幅約15m、下幅約3.5m、深さ約6mの逆台形)がめぐり、東側の堀と北側の堀のほぼ中央
付近には橋を架けたと思われる穴が見つかっている。虎口(コグチ)(出入口)は、本丸の南側中央にあり、幅約2m弱の土橋構造で、二の丸(本丸を
保護する曲輪)へと続いている。白倉氏は、小幡氏(オバタシ)と並んで関東管領(カントウカンレイ)上杉氏の重鎮(ジュウチン)であったが、
天正(テンショウ)18年(1590)国峯(クニミネ)城と同時に落城し、小幡氏とともに滅んだ。平成4年(1992)4月、麻場(アサバ)城址公園となった。
                                                 (以上は甘楽町ホームページから引用)

と言うことで、群馬県甘楽町の『麻場城跡』に登城してきました。あとは余計なことは書かずに写真説明だけで・・・




笹曲輪手前の空堀 




帯曲輪




展望台 前に立っている柱に、「この展望台は城の櫓を復元したものではありません」とあります。あくまで展望台のようです。




展望台から見た空堀  木橋(木を模したコンクリート製だが)  本 丸




空 堀




空 堀




本丸跡 




本丸から見た土塁




本丸と二の丸を繋ぐ土橋




二の丸の土塁




土塁の上から見た本丸跡



二の丸跡

以上、写真で見たとおり綺麗に整備されており、素人が見ても分かりやすい遺構です。ただ、空堀の掘り方や土塁の盛り方がいかにも土木機械でやったと
いわんばかりの感じがしますし、土塁がある位置に疑問を呈する方もおりますが、城址公園のことですから許容範囲でしょう。

なお、双子城のもう一方の城である「仁井屋城」は遺構がほとんど見られないとのことから登城はしませんでした。

攻城日:2010年(平成22年)2月14日(日)