ワシは「代償」に時間は関係しないと思っている。
というか・・・「思い」は時間を超える。
つまり、今、この場で具体的な代償行為が無くてもいい。
代償行為が出来ない状況も沢山あるのだ。
代償の代用、お金が無い場合はかなりある。
(我家では慢性的に大ピンチ・・・もう慣れた・・・)
それでも「代償」はできる。
「代償」の本質は「思い」だからだ。
全くお金が無くても、病は回復できる。
大丈夫だ。
お金は魔力がある。
有っても無くても判断を狂わす。
息を吐いて、冷静になろうね。
有ったら、キチンと使う。
使う事によって、代償が出来る。
無かったら、キチンと「思い」を残す。
代償は済んでなくても、借りる事ができる。
「思い」が借契約書だ。
いつか、出来る時に完結すればいい。
「代償」は堂々と借りていいのだ。
社会的にはどんな事でも誤魔化す事はできる。
だが内面の「思い」は嘘がつけない。
その内面の「思い」が「代償」だ。
だから「代償」は魂の契約書になる。
社会的な約束は破っても大丈夫だ。
トラブルがあるだけだ。
(それがメンドウなら破らない事だね)
だけど魂の契約書を破ると・・・
とても大きな反動が来る。
とても、とても割りが合わない。
絶対破らない方がいいぞ。
故御師匠様や故関先生はそれを知っていた。
だから「治療費を貰え」と言った。
治療師の生活の為じゃない。
故御師匠様はあくまでも患者の味方だ。
患者の回復の為を教えてくれたのだ。
「本気で治すなら、キチンと貰え」と言った。
ワシも今なら理解できる。
だがクライアントに細かな説明はしない。
有るのに使わない人もいる。
それは、それでもいい。
「金より命」と誰でも言うが、
実際は「命より金」を大事にする場合が多い。
そういう生き方もアリだと思っている。
いろいろなパターンを経験する為に生きている。
(本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間・氣功療法院」