大切な血(思い)。
温かい血(思い)。
だから、自他の役に立つ。
冷たい思いは、自他の役に立たない。
大切な血(思い)を自分の為に使う時、
捨ててはダメだ。
死んじゃうぞ・・・。
だが、他の為に使う時には、
捨てれば更に活かす事ができる。
自他では意識の使い方が逆になる。
この点が理解され難いようだ。
(深い表現なら、自他の意識の使い方は同じになる。
しかし、深く自分を使える人はマレなのだ・・・。
理屈で解っても、実行は難しい。
他より、自の方が、難しいのだ)
親が子供を思う。
とても大切に温かく思っている。
それは・・・親側の気持ちだ。
それは大事にとっておこう。
自分の為だから。
同じ思いを、そのまま子供に使うと、
子供は自立し難くなるのだ。
自立できない子供は苦しむ。
子供は「大切な他」なのだ。
他に使う時には、捨ててこそ活きる。
親心は捨ててこそ、親心が活きる。
本当に大切だから捨てる事ができる。
「捨てる」のは「冷たくする」のではない。
「厳しく」するのでもない。
「無関心」になることではない。
相手を最高に思えば、捨てる事ができる。
捨てなければいけないわけじゃないが、
捨てれば更に活かせる。
同じ献血をするなら、捨てる方が元気になる。
使われる相手が、更に元気になる。
そして、ここからが不思議な仕組みだ。
「生命」は不思議に満ちている。
中途半端な知識で語るモノではない。
ワシは「不思議な仕組み」を「ヒネクレ」と表現する。
この世は、ヒネクレている。
生命の仕組みは、この世の仕組みと相似している。
血は「生命の氣」を宿している。
捨てれば、不思議の仕組みが動く。
(捧げると表現するのは、少し恥ずかしいだろ)
生命は捨てると、流れ込んでしまうのだ。
(本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間・氣功療法院」