お金は変化を促進する「代償」だ。
変化しないモノを購入するのならどうでもいい。
例えば、100万円の車を買う。
騙されて200万を払ってもいい。
オークションで10万円で買ってもいい。
高くても安くても無料でも、どうでもいい。
車は変わらない。
しかし変化を求める場合は違ってしまう。
「○○が欲しい」と「○○になりたい」の違いだ。
そして未来は変化によって方向が決る。
濃く生きたいのなら「代償」が必要だ。
何でも安けりゃいいわけじゃない。
有料より無料がいいわけじゃない。
有料と無料の違い。
お金の有無じゃないのだ。
「変化」の濃さの違いだ。
タダではタダ分の変化しかない。
ボランティアを単純に無償とする愚かさ。
社会を住みよくしたいのなら、
もっと深く物事を観て欲しいと思うぜ。
(反論があるだろうなぁ・・・
まぁ、解る人には解るから、いいか・・・)
濃い変化が必要な一つに病気回復がある。
積極的な健康がある。
回復や健康をモノと同じに考えてしまうと、
少しの変化で止まってしまう。
単純に金額の多寡ではないが、
「代償」をせずに変化は濃くならない。
(双方に「思いと行為」があるのが前提。
インチキや能力の少ない相手は論外)
何でも金額の多寡で判断する風潮になった。
「お金は多く欲しい。
払うのは少ないほどいい。」
本気でこう思っている限り、
味気ない未来しか訪れない。
「代償」という意味。
自分の人生の変化の代償だ。
お金は有効に使うモノだ。
変化しないモノに使うのか?
変化する為に使うのか?
生き方を変える。
誰でも変える事ができる。
それには代償が必要だ。
しかし「お金」が必要という意味ではない。
「お金の代償」も山ほどある。
(本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間・氣功療法院」