水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

代償・4

2005-06-17 20:10:28 | Weblog

ワシが「氣功療法院」を開院する前の話だ。
いろいろな人の体に氣功療法をさせていただいた。
ワシの経験をさせていただくのだから料金は無し。
とにかく、あらゆる事が初めてだらけだった。

いろいろな体がある。
いろいろな家庭がある。
いろいろな考えがある。
いろいろな悩みがある。
そして、いろいろな反応があった。

まだ氣功の御師匠様が存命の頃だ。
「治療費をもらわなくてはダメだぞ」
そう言われていたが、イマイチ意味を理解できなかった。
自分の能力も不明のままだ。
料金なんて言い出せない。
経験させていただく、こちら側が払いたいくらいだ。
(今でも、学びが大きいと、そう思う事がある)

数年前に亡くなったが、ワシの尊敬する人がいた。
関英夫先生だ。
(亡くなる一週間前に手紙をいただいた・・・)
故関先生の御著書の中にも書かれていた。
「適切な治療代は患者の為である」
初期は、本当の意味が解らなかった。

「代償」という意味を理解するようになり、
「お金」の意味が理解できるようになった。
ワシは理解できるが・・・
クライアントが充分理解しているわけでもない。
料金はワシの為じゃないのになぁ・・・

ワシがこんな体(氣功師)になる前の話だ。
ワシの母上は持病があった。
原因不明だから病院では治せない。
健康食品やら健康器具やら買った。
とても高額だった。
だが・・・変化は無かった。

「お金が代償」となるわけじゃない。
「代償としてお金」が使えるだけだ。
変化を求めて、幾らお金を注ぎ込んでも
「代償」でなければ変化はない。
変化は相手との交流・共鳴が前提だ。

変化できる相手と出会い交流した時、
「代償」は最後の条件になる。
そういう相手と出会えるのは
いろいろな意味を含め・・・「縁」だ。

例えば病気回復の場合
治療側が差し出している「病を受け取る覚悟」
(注:覚悟のある治療側のみの話ですよ~)
それに対応する「代償」はクライアント側だ。
単純に金額の多寡じゃない。
お金に乗せた「思い」が「代償」だ。


(本館は http://iiki.desu.jp/  「氣の空間・氣功療法院」
コメント
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