故御師匠様がいた頃だ。
氣功をすると浮かび上がるモノがいる。
嘗て人間だったモノだ。
霊とか魂とかいわれている。
肉体が無い意識体だ。
肉体が無いだけで、あとは変わらない。
見えないけど人間と同じだ。
多少、根性が歪んでいるのが多いが、
現実の人間だって大して変わらない・・・。
むしろ生身の人間の方が性質が悪い。
実際に害を及ぼすのは生身が圧倒的に多いし大きい。
霊よりアナタの方が怖い・・・。
故御師匠様はひょうきんだった。
そして優しかった。
霊と生身の人間を差別しなかった。
普通に話しかけていた。
霊も普通に答えていた。
側で聞いているワシ等もいつしか違和感は無かった。
故御師匠様は霊をイジめる事はなかったが、
時々、からかう事はあった。
もっとも普段から冗談は欠かさなかったから、
特別に、からかったわけでもなかったが・・・。
冗談相手でも霊を差別しなかっただけだ。
師匠「お前、おばけじゃないのなら、名前言ってみな」
おばけ「・・・・」
師匠「どうした?」
おばけ「・・・わ、忘れた・・・」
(言葉につまる霊は・・・可愛い)
師匠「ハッハッハ」
ある時、ワシ等にこんな事を教えてくれた。
「おばけ(親しみを込めてこう呼んでました)は、
名前を聞いても答えられないんだよ。
名前は肉体側に付くようだな」
この意味の深さに気づくのは10年後だった。
「名」がモノを決める。
「名」がモノの結界を表す。
「名」がモノを縛る。
いろいろな表現ができるが、
結界が定まらないモノに名はつけられない。
人の本質体は名前が付けられない。
結界が定まらない。
本質体の限度は無いようだ。
我々の未来は果てがないようだ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」