第十三章(7)
菩提薩多 依般若波羅蜜多故
菩薩行に必要なのは正しい心ではない。
正しさを判断する智恵でもない。
優しさであり、明るさだ。
イタズラ小僧のような、愉しさだ。
正しさに「こだわらない」生き方。
だから「無」を付ける。
生きる事を愉しめる心。
それを菩薩心という。
愉しむ、とは押し付けない係わり合いだ。
何でも認める優しさがあって愉しめる。
その優しさを生活に活かす「般若」という智恵。
だから生きとし生けるモノ全てが対象となる。
「般若」を知る事が菩薩行となる。
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