第十三章(6)
菩提薩多 依般若波羅蜜多故
出来が良くても悪くても、菩薩は皆同じ方向を歩む。
菩薩道という道を歩く。
自他が幸せになるように歩く。
その為の方法が「般若」というわけだ。
ここで間違えやすいのが「正誤」や「真偽」だ。
菩薩は正しい行いをするものだ、と考え違いをする。
まだ人間だぜ。
正しいと思い込むと、争いをする生物だぜ。
菩薩行の逆なのが「正しさの追求」ってヤツだ。
ほとんどの宗教は菩薩行を邪魔しているのが現実だ。
宗教者は争いが好きなのだ・・・。
菩薩行は誤りを認めるものだ。
至らなさを優しく抱きしめるものだ。
正しさに導き、押し付けるものじゃないぜ。
未成熟の生物に必要なのが菩薩行だ。
未成熟同士お互い様だから必要なのだぜ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)